渋谷散策(1):バスケットボールストリート/旧陸軍標石/シスコ坂/二・二六事件慰霊像
- 2018/08/02
- 08:20
今回は渋谷(主に渋谷の西側)を散策してみます。
(「バスケットボールストリート」と「春の小川」)
渋谷のハチ公口に出ると有名なスクランブル交差点がありますが、この交差点を渡って、
飲食店・衣料店・ファーストフード店などが立ち並び、若者や観光客でごった返す狭い道、通称「バスケットボールストリート」を歩きます。

上の写真左のスクランブル交差点を上から見渡す写真は、マークシティーの通路(JR山手線の玉川口改札から、京王電鉄井の頭線の改札口に向かう途中にある通路)から撮影したものです。
実は、この「バスケットボールストリート」は童謡「春の小川」の作詞の舞台になった宇田川(うだがわ)が流れていた場所です。
♪春の小川はさらさら流る
岸のすみれやれんげの花よ♪
という歌詞のような清らかな小川が100年ほど前には流れていたことを、この雑踏の中を歩いている人たちのどれだけが知っているでしょうか。

この宇田川の上流部分には「春の小川の碑」があるのですが、これについてはこのシリーズの後半で触れます。
なお、この道を「バスケットボールストリート」とした理由は、Wikipediaによれば、
からだそうです。
(旧陸軍用地の標石)
「バスケットボールストリート」を右に折れ、井の頭通りを進んでいくと「東急ハンズ」があります。
この東急ハンズの北向い、「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の敷地の一角に「旧陸軍用地の標石」が隠れているように残されています。

この東急ハンズの北向い一帯(渋谷区役所、神南小学校、税務署などがある一帯)は「陸軍衛戍(えいじゅ)監獄」があった場所です。
(「衛戍(えいじゅ)」とは、軍隊が一つの土地に長く配備駐屯する意味で、この「陸軍衛戍監獄」は仮設ではなく恒久的な監獄であることを示しています)
なお、この敷地は「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の所有地ですが、この名前からもこの近辺に「宇田川」が流れていたことが分かります。

(シスコ坂)
この「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の脇に、通称「シスコ坂」という変わった坂道があります。

壁に描かれた巨大な絵が異空間を醸し出しています。

民間の方が作られたと思われる「シスコ坂に関する説明板」がありました。

この説明板によれば、1970年代からアナログレコード販売を手がけた「シスコ・インターナショナル」という店があり、全盛期には行列が大通り((注)井の頭通りと思われます)まで続いたこと、この「シスコ・インターナショナル」から「シスコ坂」と呼ばれるようになったこと・・・が書かれていました。
(二・二六事件慰霊像)
昭和11年(1936年)2月26日に、昭和維新の合言葉のもと決起して重臣たちを殺害した陸軍青年将校が、上でご説明した「陸軍衛戍(えいじゅ)監獄」に収監され、処刑された場所に「二・二六事件慰霊像」が建っています。

私が行った時には、関係者と思われる方々がお花をお供えし清掃していました。
なお、二・二六事件の決起者の一人であり山口県出身の磯辺浅一のお墓が、同郷の吉田松陰が葬られている南千住の回向院にあることは、史蹟の宝庫(1):南千住・北千住を訪ねるでご説明しました。
次回は渋谷駅に戻り、神泉駅まで歩いてみます。
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(「バスケットボールストリート」と「春の小川」)
渋谷のハチ公口に出ると有名なスクランブル交差点がありますが、この交差点を渡って、
飲食店・衣料店・ファーストフード店などが立ち並び、若者や観光客でごった返す狭い道、通称「バスケットボールストリート」を歩きます。


上の写真左のスクランブル交差点を上から見渡す写真は、マークシティーの通路(JR山手線の玉川口改札から、京王電鉄井の頭線の改札口に向かう途中にある通路)から撮影したものです。
実は、この「バスケットボールストリート」は童謡「春の小川」の作詞の舞台になった宇田川(うだがわ)が流れていた場所です。
♪春の小川はさらさら流る
岸のすみれやれんげの花よ♪
という歌詞のような清らかな小川が100年ほど前には流れていたことを、この雑踏の中を歩いている人たちのどれだけが知っているでしょうか。

この宇田川の上流部分には「春の小川の碑」があるのですが、これについてはこのシリーズの後半で触れます。
なお、この道を「バスケットボールストリート」とした理由は、Wikipediaによれば、
「若者の持つ『情熱』『エネルギー』を、クリーンなイメージを持つ『スポーツ』と結びつけ、渋谷の『若者・ファッション・音楽・文化・国際性』という持ち味を全て表現できるのは『バスケットボール』だと判断した」
からだそうです。
(旧陸軍用地の標石)
「バスケットボールストリート」を右に折れ、井の頭通りを進んでいくと「東急ハンズ」があります。
この東急ハンズの北向い、「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の敷地の一角に「旧陸軍用地の標石」が隠れているように残されています。


この東急ハンズの北向い一帯(渋谷区役所、神南小学校、税務署などがある一帯)は「陸軍衛戍(えいじゅ)監獄」があった場所です。
(「衛戍(えいじゅ)」とは、軍隊が一つの土地に長く配備駐屯する意味で、この「陸軍衛戍監獄」は仮設ではなく恒久的な監獄であることを示しています)
なお、この敷地は「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の所有地ですが、この名前からもこの近辺に「宇田川」が流れていたことが分かります。

(シスコ坂)
この「渋谷区清掃事務所宇田川分室」の脇に、通称「シスコ坂」という変わった坂道があります。

壁に描かれた巨大な絵が異空間を醸し出しています。

民間の方が作られたと思われる「シスコ坂に関する説明板」がありました。

この説明板によれば、1970年代からアナログレコード販売を手がけた「シスコ・インターナショナル」という店があり、全盛期には行列が大通り((注)井の頭通りと思われます)まで続いたこと、この「シスコ・インターナショナル」から「シスコ坂」と呼ばれるようになったこと・・・が書かれていました。
(二・二六事件慰霊像)
昭和11年(1936年)2月26日に、昭和維新の合言葉のもと決起して重臣たちを殺害した陸軍青年将校が、上でご説明した「陸軍衛戍(えいじゅ)監獄」に収監され、処刑された場所に「二・二六事件慰霊像」が建っています。

私が行った時には、関係者と思われる方々がお花をお供えし清掃していました。
なお、二・二六事件の決起者の一人であり山口県出身の磯辺浅一のお墓が、同郷の吉田松陰が葬られている南千住の回向院にあることは、史蹟の宝庫(1):南千住・北千住を訪ねるでご説明しました。
次回は渋谷駅に戻り、神泉駅まで歩いてみます。
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