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浅草橋→神田散策(2):東京35区/看板建築/神田のレトロな建物たち

前回の浅草橋→神田散策(1)では、秋葉原公園に行き、この公園が堀跡であることをお話しました。

今回は神田に関することから話を始めたいと思います。



(東京35区の話をもう一度)

田園調布界隈を歩く(2)で昭和22年(1947年)に東京35区が再編成され現在の23区になったと書きました。

現在の千代田区もこの時に、「神田区」と「麹町区」が合併してできた区です。

「神田区」は秋葉原がある「外神田」と、古書店街などがある「内神田」を含めた地区で、町名に「神田」が冠せられています。

旧神田区の人たちは「神田」という地名に愛着があり、町名に「神田」を冠することに非常に熱心です。

つい最近の話として、「神田」が冠されていなかった「三崎町」と「猿楽町」が住民からの熱心な働きかけで、平成30年1月1日をもって「神田三崎町」「神田猿楽町」となりました。

また、「神田」を冠している「旧神田区」と皇居や大手町・丸の内・霞が関を抱える「旧麹町区」は今でも街並みの雰囲気が異なっています。

東京35区時代の区は、それぞれが個性を持った独特の区でしたが、昭和22年(1947年)の再編成後も、このような個性が生きているのは興味深いことですし、そのような視点から散策すると東京散歩がより面白くなります。


(看板建築)

秋葉原公園から戻って、さらに柳原通りを進んで行くと、左手に「看板建築」のお手本のようなレトロな建物があります。
神田 看板建築 岡昌裏地ボタン店


「看板建築」とは、関東大震災後に造られた建築で、木造家屋が火事の被害にあったことから、燃えにくいように改造したものです。銅板建築とも言います。

基本は木造ですが、木造に銅版を張り燃えにくくしたもので、銅版は年月が経つと空気中の水や酸素と反応し、緑色に覆われて何とも言えない渋く美しい色になります。

ここで写真を撮っているとお店のご主人が出てきて「好きなだけ写真撮っていいよ」とおっしゃってくださいました。

ご主人に話を聞くと「開発業者から狙われているんだ」とのことでしたが、できればいつまでも残しておいて欲しい建物です。


(その他のレトロな建物)

この「看板建築」の手前には下のようなレトロな建物があります。
神田 レトロな建物 海虎原商店


さらに万世橋から神田須田町に行くと、千代田区から「景観まちづくり重要物件」に指定されている「鷹岡株式会社東京支店」の建物があります。
神田 鷹岡株式会社  神田 鷹岡株式会社 重要物件のプレート 


1階と2階のデザインが異なる昭和初期の建物です。

また、神田多町には下のような「看板建築」もあります。
神田 看板建築 ミルクホール


昭和初期に「ミルクホール」という軽食・喫茶・甘味を提供する店が流行りましたが、このお店も昭和初期はミルクホールを経営していたと思われます。今ではラーメンなどの軽食を提供しているようです。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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