浅草橋→神田散策(2):東京35区/看板建築/神田のレトロな建物たち
- 2018/07/29
- 17:27
前回の浅草橋→神田散策(1)では、秋葉原公園に行き、この公園が堀跡であることをお話しました。
今回は神田に関することから話を始めたいと思います。
(東京35区の話をもう一度)
田園調布界隈を歩く(2)で昭和22年(1947年)に東京35区が再編成され現在の23区になったと書きました。
現在の千代田区もこの時に、「神田区」と「麹町区」が合併してできた区です。
「神田区」は秋葉原がある「外神田」と、古書店街などがある「内神田」を含めた地区で、町名に「神田」が冠せられています。
旧神田区の人たちは「神田」という地名に愛着があり、町名に「神田」を冠することに非常に熱心です。
つい最近の話として、「神田」が冠されていなかった「三崎町」と「猿楽町」が住民からの熱心な働きかけで、平成30年1月1日をもって「神田三崎町」「神田猿楽町」となりました。
また、「神田」を冠している「旧神田区」と皇居や大手町・丸の内・霞が関を抱える「旧麹町区」は今でも街並みの雰囲気が異なっています。
東京35区時代の区は、それぞれが個性を持った独特の区でしたが、昭和22年(1947年)の再編成後も、このような個性が生きているのは興味深いことですし、そのような視点から散策すると東京散歩がより面白くなります。
(看板建築)
秋葉原公園から戻って、さらに柳原通りを進んで行くと、左手に「看板建築」のお手本のようなレトロな建物があります。

「看板建築」とは、関東大震災後に造られた建築で、木造家屋が火事の被害にあったことから、燃えにくいように改造したものです。銅板建築とも言います。
基本は木造ですが、木造に銅版を張り燃えにくくしたもので、銅版は年月が経つと空気中の水や酸素と反応し、緑色に覆われて何とも言えない渋く美しい色になります。
ここで写真を撮っているとお店のご主人が出てきて「好きなだけ写真撮っていいよ」とおっしゃってくださいました。
ご主人に話を聞くと「開発業者から狙われているんだ」とのことでしたが、できればいつまでも残しておいて欲しい建物です。
(その他のレトロな建物)
この「看板建築」の手前には下のようなレトロな建物があります。

さらに万世橋から神田須田町に行くと、千代田区から「景観まちづくり重要物件」に指定されている「鷹岡株式会社東京支店」の建物があります。

1階と2階のデザインが異なる昭和初期の建物です。
また、神田多町には下のような「看板建築」もあります。

昭和初期に「ミルクホール」という軽食・喫茶・甘味を提供する店が流行りましたが、このお店も昭和初期はミルクホールを経営していたと思われます。今ではラーメンなどの軽食を提供しているようです。
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今回は神田に関することから話を始めたいと思います。
(東京35区の話をもう一度)
田園調布界隈を歩く(2)で昭和22年(1947年)に東京35区が再編成され現在の23区になったと書きました。
現在の千代田区もこの時に、「神田区」と「麹町区」が合併してできた区です。
「神田区」は秋葉原がある「外神田」と、古書店街などがある「内神田」を含めた地区で、町名に「神田」が冠せられています。
旧神田区の人たちは「神田」という地名に愛着があり、町名に「神田」を冠することに非常に熱心です。
つい最近の話として、「神田」が冠されていなかった「三崎町」と「猿楽町」が住民からの熱心な働きかけで、平成30年1月1日をもって「神田三崎町」「神田猿楽町」となりました。
また、「神田」を冠している「旧神田区」と皇居や大手町・丸の内・霞が関を抱える「旧麹町区」は今でも街並みの雰囲気が異なっています。
東京35区時代の区は、それぞれが個性を持った独特の区でしたが、昭和22年(1947年)の再編成後も、このような個性が生きているのは興味深いことですし、そのような視点から散策すると東京散歩がより面白くなります。
(看板建築)
秋葉原公園から戻って、さらに柳原通りを進んで行くと、左手に「看板建築」のお手本のようなレトロな建物があります。

「看板建築」とは、関東大震災後に造られた建築で、木造家屋が火事の被害にあったことから、燃えにくいように改造したものです。銅板建築とも言います。
基本は木造ですが、木造に銅版を張り燃えにくくしたもので、銅版は年月が経つと空気中の水や酸素と反応し、緑色に覆われて何とも言えない渋く美しい色になります。
ここで写真を撮っているとお店のご主人が出てきて「好きなだけ写真撮っていいよ」とおっしゃってくださいました。
ご主人に話を聞くと「開発業者から狙われているんだ」とのことでしたが、できればいつまでも残しておいて欲しい建物です。
(その他のレトロな建物)
この「看板建築」の手前には下のようなレトロな建物があります。

さらに万世橋から神田須田町に行くと、千代田区から「景観まちづくり重要物件」に指定されている「鷹岡株式会社東京支店」の建物があります。


1階と2階のデザインが異なる昭和初期の建物です。
また、神田多町には下のような「看板建築」もあります。

昭和初期に「ミルクホール」という軽食・喫茶・甘味を提供する店が流行りましたが、このお店も昭和初期はミルクホールを経営していたと思われます。今ではラーメンなどの軽食を提供しているようです。
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