御殿山散策(最終回):品川神社/板垣退助の墓/マリオットホテル
- 2018/07/27
- 08:35
前回の御殿山界散策(2)では、御殿山を散策し、幕末における台場築造のための不自然な凹地や英国公使館跡を見てきました。
ここまで来ると品川神社はすぐそこです。
御殿山地区ではありませんが、見どころ満載の神社ですので、せっかくですので品川神社にも寄ってみます。
(品川神社)
品川神社の創建は平安時代の1187年と大変歴史のある神社で、

源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神社として阿波国の洲崎明神である天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧進したと伝えられています。
入り口の階段前にある石造鳥居ですが「昇り龍・降り龍」の彫刻が見事で、「双龍鳥居」と呼ばれています。

このような彫刻の施された「双龍鳥居」は珍しく、この品川神社以外には、東京では杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にしかなく、「東京三鳥居」と言われているそうです。
同じく神社の入り口には、東海七福神の一つの「大黒天」が祀られています。

入り口を通って急な階段を登っていくと、

上野東照宮の鳥居に次いで、都内では二番目に古い石造鳥居(慶安元年、1648年)があります。鳥居の柱には「慶安元年」と刻まれています(写真右)。

また、江戸後期に造られた備前焼の狛犬もあります。

この狛犬には備前焼の証拠として「備前伊部窯元」の文字が彫られています。

富士塚もあり、頂上の展望はとても素晴らしいです。

品川神社の裏には、自由民権運動を進めた板垣退助の墓があり、

「板垣死すとも自由は死せず」の碑があります。この碑は佐藤栄作元首相の筆によるものです。

神社の裏にあるのに、板垣退助の墓は戒名があり神式の墓ではありません。なぜかと言うと、この墓地はここから数百メートル離れた東海寺所有の墓地であるからなのですが、品川神社からアクセスできるようになっています。
(マリオットホテルで休憩)
これで御殿山界隈の散策を終了し、前回の御殿山散策(2)でご紹介した「御殿山庭園」に隣接しているマリオットホテルで休憩しました。

マリオットホテルからは品川駅までのシャトルバスがありますので、休息後は利用しても良いかもしれません。
これで「御殿山散策」シリーズを終わります。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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ここまで来ると品川神社はすぐそこです。
御殿山地区ではありませんが、見どころ満載の神社ですので、せっかくですので品川神社にも寄ってみます。
(品川神社)
品川神社の創建は平安時代の1187年と大変歴史のある神社で、

源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神社として阿波国の洲崎明神である天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧進したと伝えられています。
入り口の階段前にある石造鳥居ですが「昇り龍・降り龍」の彫刻が見事で、「双龍鳥居」と呼ばれています。


このような彫刻の施された「双龍鳥居」は珍しく、この品川神社以外には、東京では杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にしかなく、「東京三鳥居」と言われているそうです。
同じく神社の入り口には、東海七福神の一つの「大黒天」が祀られています。

入り口を通って急な階段を登っていくと、

上野東照宮の鳥居に次いで、都内では二番目に古い石造鳥居(慶安元年、1648年)があります。鳥居の柱には「慶安元年」と刻まれています(写真右)。


また、江戸後期に造られた備前焼の狛犬もあります。


この狛犬には備前焼の証拠として「備前伊部窯元」の文字が彫られています。

富士塚もあり、頂上の展望はとても素晴らしいです。


品川神社の裏には、自由民権運動を進めた板垣退助の墓があり、


「板垣死すとも自由は死せず」の碑があります。この碑は佐藤栄作元首相の筆によるものです。

神社の裏にあるのに、板垣退助の墓は戒名があり神式の墓ではありません。なぜかと言うと、この墓地はここから数百メートル離れた東海寺所有の墓地であるからなのですが、品川神社からアクセスできるようになっています。
(マリオットホテルで休憩)
これで御殿山界隈の散策を終了し、前回の御殿山散策(2)でご紹介した「御殿山庭園」に隣接しているマリオットホテルで休憩しました。

マリオットホテルからは品川駅までのシャトルバスがありますので、休息後は利用しても良いかもしれません。
これで「御殿山散策」シリーズを終わります。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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