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豊洲新市場に行ってきました

東京都の発表によれば、豊洲市場は今年(2018年)10月11日が開場日になっていますが、現在どうなっているかを見てきました。

まず、豊洲市場の全体図を見てみましょう。
豊洲市場 全体地図


上の地図はゆりかもめ(道路上の高い走行路を走る新交通システムで、モノレールに似ていますがモノレールではありません(正式名称は「東京臨海新交通臨海線」)。なお、この地図は市場前駅近くに掲示されている地図で、上が南側、下が北側で表示されています。



豊洲市場は、ゆりかもめの新豊洲駅近くの交差点付近から西に向かって、道路を挟んで青果棟、水産卸売場棟が建設中です。

建設中の様子を見ると、下の写真のように「豊洲市場 青果東門」の表示が既にされているものもあれば、
豊洲市場 青果東門


下のビルのように、表示が布で覆われているのもあります。この表示が覆われているビルは「水産卸売棟」ですが、どちらかと言えば青果棟の方が工事が進んでいるようです。
豊洲市場 表示が布で覆われている


しかし、その青果棟前の信号はこのように布で覆われている状況です。
青果棟前の信号


築地に通じる豊洲大橋が見えますが、まだこのように工事中です。
築地に通じる豊洲大橋 工事中


バス停と思われますが、これも覆い隠されていますね。
豊洲市場 バス停 布で覆われている


豊洲市場の先まで歩いてみました。そこからはレインボーブリッジが見え(写真左)、お台場も見渡せました(写真右)。
豊洲市場からレインボーブリッジを見渡す  豊洲市場から お台場を見渡す


端から端まで歩くと相当な距離で、今の築地市場よりもはるかに大きいことが実感できました。

ゆりかもめの市場前駅ですが、駅の近辺にはお店も住居もありませんので、現時点ではこの駅の利用者はほとんどが工事関係者のみと思われます。
豊洲市場 市場前駅


☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

歴史的に見れば、築地市場の前身は日本橋にあった「日本橋魚河岸」で、日本橋の北詰めには、下の写真のような「日本橋魚市場発祥の地碑」が建っています。
日本橋魚市場発祥の地碑


この「日本橋魚河岸」は江戸時代からあり大きく発展しましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅しました。

壊滅後は、当時海軍省が所有していた築地に東京市設魚市場を開設したのが、現在の築地市場の始まりです。

築地市場内にある水神社に「旗山」と刻まれた大きな石碑があります。海軍大臣旗が掲揚されていたことを示す史蹟で、築地が「海軍発祥の地」であることを物語っています。
築地市場 水神社 旗山 海軍発祥の地


築地から豊洲への魚市場(卸売市場)の移転については、いろいろな問題があるとは言え、このような歴史的な経緯から見れば、あり得ることだと思われます。

今は上で説明したような状況ですが、今年10月の開場後さらに数年後には全く違う景色になっていると思います。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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