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横浜桜木町散策(最終回):三菱ドック踏切/岩亀横丁/岩亀稲荷

前回の横浜桜木町散策(2)では、「みなとみらい駅」が「船の配管」をイメージした駅であることを見てきました。

今回は、地上に戻って、「みなとみらいセンタービル」に行ってみます。

☆☆☆



(山汐丸のイカリ)

みなとみらいセンタービルに入ると、横浜桜木町散策(1)でご紹介したパブリック・アート「ロゼッタ」が出迎えてくれます。

ビルのフロアーを横切って広場に行くと、広場の中に巨大なイカリが置かれています。
みなとみらいセンタービル 山汐丸イカリ


説明板に「イカリの主は陸軍航空母艦『山汐丸(やましおまる)』で、『みなとみらいセンタービル』工事中に発掘されたものである」ことが書かれています。
みなとみらいセンタービル 山汐丸イカリ 説明板


山汐丸は、太平洋戦争末期、米軍の爆撃で大破し、その船体は昭和31年(1956年)に撤去されるまで、岸壁の一部として使われていました。


(三菱ドック踏切)

山汐丸のイカリを見た後は、いちょう通りをひたすら西に進みます。いちょう通りにもパブリック・アートが見られます。

高速道路の下をくぐると踏切があります。線路は単線で、JRの高島貨物線です。その踏切に「三菱ドック踏切」と書いた看板が掲げられています。
三菱ドック踏切 線路  三菱ドック踏切


この踏切の少し先に、「横浜船渠会社正門」という説明板が掲げられています。前回の記事で説明しましたが、横浜船渠会社は三菱重工横浜造船所の前身です。「三菱ドック踏切」という名称にその名残を見ることができるとの説明が書かれています。
横浜船渠会社正門 説明板


その説明板に、「横浜船渠会社で働いた多くの人たちが利用した商店街、料亭街として賑わった歴史ある岩亀横丁」の説明がありました。

それでは、その岩亀横丁に行ってみましょう。


(岩亀横丁)(岩亀稲荷)

雪見橋の交差点を渡って行くと、昭和の雰囲気のある岩亀横丁(がんきよこちょう)にたどり着きます。
横浜 岩亀横丁


横浜開港後、横浜公園にあった遊郭(岩亀楼)の遊女が病に倒れた時に療養した施設がこの付近にあり、その遊女が参拝したという岩亀稲荷があります。この岩亀稲荷が岩亀横丁の名前の由来となっています。
横浜 岩亀稲荷


この岩亀横丁には、横浜船渠会社(三菱重工横浜造船所)華やかなりし頃にあったお店が今でも残っています。

横浜船渠会社(三菱重工横浜造船所)の労働者が通った市民酒場の「常盤木」が今でもありますし、
横浜 岩亀横丁 常盤木


会社幹部が使った高級料亭の「岩亀」本店や、
横浜 岩亀横丁 岩亀本店


船の進水式の時にシャンパンを提供したという「大塚油五郎商店」。名前からして歴史がありそうですね。
横浜 岩亀横丁 大塚油五郎商店 


造船所の出入りは厳しくチェックされていましたが、蕎麦の出前を許可された「そば処 松山」も残っています。
横浜 岩亀横丁 そば処 松山


労働者が使った銭湯「松島館」。私が行った時は閉まっていましたが、ネットで調べると昭和の雰囲気で味わいのある銭湯のようです。
横浜 岩亀横丁 松島館1  横浜 岩亀横丁 松島館2


超モダンな「みなとみらい」の直ぐそばに、このような昭和の雰囲気ただよう商店街が佇んでいるのも、「古い横浜」と「新しい横浜」の絶妙な組み合わせだと思います。

これで、桜木町散策シリーズを終わります。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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