五島美術館と明神池跡
- 2018/04/15
- 23:26
東急電鉄の株主優待を使って世田谷区上野毛にある五島美術館に行ってきました。

東急電鉄は鉄道会社と思われがちですが、鉄道事業以外の事業も手広く行っており、百貨店・スーパーなどの生活サービス事業、不動産事業、ホテル・リゾート事業などの合計収益が鉄道事業の収益をはるかに上回っています。最近では、2015年に二子玉川ライズを開業しました。このように、東急電鉄の事業内容もキチンと見ていかないとその株価動向を・・・・おっと、株式投資の話になってしまいました(笑)
ここは東京散歩のカテゴリーですので話を戻します。
☆☆☆
☆☆☆
(五島美術館)
五島美術館は、東急電鉄の元会長・五島慶太が半生をかけて収集した美術品を展示することを目的に設立された私立の美術館で、閑静な住宅地の中にあります。
この五島美術館では定期的に専門家や学芸員によるセミナーが開催されており、「絵物語の魅力」というテーマでギャラリートークがあったので、それを聞きに行ったのです。
やはり、専門家の説明を受けて展示の美術品を見ると、深い鑑賞ができますね。
五島美術館は美術品の展示だけでなく、素晴らしい日本庭園もあります。建物・敷地の総面積は約6,000坪で、多摩川が武蔵野台地を長い年月をかけて侵食してできた国分寺崖線に沿って武蔵野の雑木林を彷彿させる庭園が展開しています。

(庭での撮影は許可されています)
(明神池)
美術館を見学した後に、以前から行ってみたかった明神池跡(世田谷区上野毛三丁目)に行ってきました。
明神池とは、かって多摩川と丸子川の間に存在していた池です。昔、多摩川が蛇行しながら流れていた頃、流路が変わって取り残された三日月湖だと考えられます。
この場所に行ってみると、池のあった場所が低くなっており、昔あった明神池が「ここには昔池があったんだよ。忘れないでおくれよ」と語りかけてくるようで、アスファルトで固められても土地の記憶はなかなか消せないものだということがよく分かります。

明神湖があった頃は、この一帯は大変美しい場所であったそうで明神様が祀られていましたが、残念ながら宅地開発により昭和36年頃に全て埋め立てられ、明神様も失われたそうです。しかし、その埋め立て後、ある老人が「明神様を祀って欲しい」とのお告げを受け、また付近一帯で火災などの災害が相次いだことから地元の方々が昭和50年に祠を再建したそうです。その祠の写真です。

明神池があった痕跡として、近くに「明神池前」のバス停と丸子川に架かっている「明神橋」があります。

港区麻布には「がま池」という小さな池が閑静な住宅地の中にひっそりと残されています。昔はもっと大きな池だったそうですが、「池中にいた大蛙が口から水を吹いて火事を防いだ」という「がま池伝説」があるためか今でも小さな池が残されています。
この明神池も小さくてもいいから残して欲しかったと思います。美しかった明神池は開発の名のもとに失われ、昔池があったことを物語る低い地形と祠、バス停と橋の名前が残るのみとなりました。
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東急電鉄は鉄道会社と思われがちですが、鉄道事業以外の事業も手広く行っており、百貨店・スーパーなどの生活サービス事業、不動産事業、ホテル・リゾート事業などの合計収益が鉄道事業の収益をはるかに上回っています。最近では、2015年に二子玉川ライズを開業しました。このように、東急電鉄の事業内容もキチンと見ていかないとその株価動向を・・・・おっと、株式投資の話になってしまいました(笑)
ここは東京散歩のカテゴリーですので話を戻します。
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☆☆☆
(五島美術館)
五島美術館は、東急電鉄の元会長・五島慶太が半生をかけて収集した美術品を展示することを目的に設立された私立の美術館で、閑静な住宅地の中にあります。
この五島美術館では定期的に専門家や学芸員によるセミナーが開催されており、「絵物語の魅力」というテーマでギャラリートークがあったので、それを聞きに行ったのです。
やはり、専門家の説明を受けて展示の美術品を見ると、深い鑑賞ができますね。
五島美術館は美術品の展示だけでなく、素晴らしい日本庭園もあります。建物・敷地の総面積は約6,000坪で、多摩川が武蔵野台地を長い年月をかけて侵食してできた国分寺崖線に沿って武蔵野の雑木林を彷彿させる庭園が展開しています。

(庭での撮影は許可されています)
(明神池)
美術館を見学した後に、以前から行ってみたかった明神池跡(世田谷区上野毛三丁目)に行ってきました。
明神池とは、かって多摩川と丸子川の間に存在していた池です。昔、多摩川が蛇行しながら流れていた頃、流路が変わって取り残された三日月湖だと考えられます。
三日月湖(みかづきこ)とは、蛇行する河川が長期の侵食などの影響により河道を変えた際、旧河道が取り残されて池や湖となったものである。河跡湖(かせきこ)とも呼ばれる。(Wikipedia)
この場所に行ってみると、池のあった場所が低くなっており、昔あった明神池が「ここには昔池があったんだよ。忘れないでおくれよ」と語りかけてくるようで、アスファルトで固められても土地の記憶はなかなか消せないものだということがよく分かります。

明神湖があった頃は、この一帯は大変美しい場所であったそうで明神様が祀られていましたが、残念ながら宅地開発により昭和36年頃に全て埋め立てられ、明神様も失われたそうです。しかし、その埋め立て後、ある老人が「明神様を祀って欲しい」とのお告げを受け、また付近一帯で火災などの災害が相次いだことから地元の方々が昭和50年に祠を再建したそうです。その祠の写真です。

明神池があった痕跡として、近くに「明神池前」のバス停と丸子川に架かっている「明神橋」があります。


港区麻布には「がま池」という小さな池が閑静な住宅地の中にひっそりと残されています。昔はもっと大きな池だったそうですが、「池中にいた大蛙が口から水を吹いて火事を防いだ」という「がま池伝説」があるためか今でも小さな池が残されています。
この明神池も小さくてもいいから残して欲しかったと思います。美しかった明神池は開発の名のもとに失われ、昔池があったことを物語る低い地形と祠、バス停と橋の名前が残るのみとなりました。
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