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石原慎太郎はなぜ田園調布1丁目に住み続けたのか?~「川崎市の三社宮と田園調布の多摩川浅間神社は同じ氏神を祀っている」と「田園調布3丁目にあった神社はどこに行ったのか?」~田園調布1、2丁目~田園調布散策・新シリーズ(10):三社宮/川崎市下沼部


東京でよく見かけるようなごく普通の商店街があり、平坦な台地上に広がる田園調布1(及び2丁目の一部)には、小さな地域コミュニティーに守られて維持されている神社・祠が多く残されていること、

そして、渋沢栄一が開発した神社が全くない田園調布3丁目(及び2丁目の一部)との対比を考察しました。

今回の記事では、

上沼部村の鎮守社である「多摩川浅間神社」と川崎市下沼部にある「三社宮」を訪れた後、渋沢栄一が開発した田園調布3丁目(及び2丁目の一部)にあった神社はどこに行ったのか、石原慎太郎はなぜ田園調布1丁目に住み続けたのかを考察します。

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「田園調布散策・新シリーズ」では、以下のようなサブシリーズと番外編があります。



(4)「田園調布1,2丁目散策サブシリーズ」(3回にわたり散策)




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(※)私の個人的な考えをまとめた記事として「日々思うことのカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらをご覧ください

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。


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X(旧ツイッター)でも配信しています。



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本ブログ掲載の写真が、他サイトで出典を明記せず無断引用される事例が多発していますが、本ブログ掲載の写真は(出典が明記されているものを除いて)全て私が現地に赴いて撮影したオリジナルの写真です。


(多摩川浅間神社①:旧下沼部村の鎮守社)


この界隈(旧下沼部村)の鎮守社である「多摩川浅間神社」(下の写真)は
多摩川浅間神社 田園調布108-2


田園調布1丁目の国分寺崖線上にあります(大田区田園調布1-55-1)。
多摩川浅間神社 ジオラマ 田園調布108-2
(出典:野川流域インフォメーションセンター)


その由緒書には「かつて、下沼部村には浅間信仰の団体として「富士講」があり、境内にその富士講関連の石碑がある」との記述があります。
多摩川浅間神社 由緒書 田園調布108-2


また、「多摩川浅間神社」のパンフレットには、下沼部村にあった、浅間、赤城、熊野の三つの神社が明治政府による「一村一社令」により赤城、熊野の2つの神社が浅間神社に合祀されたことが書かれています。
多摩川浅間神社 パンフレット 田園調布108-2


「一村一社令」により廃された赤城、熊野の2つの神社は本殿に祀られています。




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(多摩川浅間神社②:川崎市の三社宮と田園調布の多摩川浅間神社は同じ氏神を祀っている)



下の図は、明治期の地図を各大字に色分けしたもので、現在の田園調布にあたる部分は「上沼部」と「下沼部の北の一部」になります。また、「下沼部」の多摩川の西に突き出た部分は現在の川崎市中原区下沼部になります
現在の田園調布の範囲 田園調布プロローグ
(出典:「XWIN Ⅱ Weblog」を筆者が加工)


この川崎市側にある下沼部村の痕跡を探すために、川崎市下沼部にある「三社宮」(下の写真)に行ってみました(神奈川県川崎市中原区下沼部1745)。
三社宮 田園調布108-2


その三社宮の由緒書です。
三社宮 由緒書 田園調布108-2


長文ですが全文を掲載します(太字は筆者)。

三社宮の誕生
明治45年4月1日(1912)付けで東京府(都)と神奈川県の境が多摩川によって区切られたため、多摩川のこちら側にあった下沼部は、荏原郡下沼部より分村することになりました。
当時の氏神様は、浅間神社(今の大田区亀甲山々上田園調布浅間神社)でしたが、分村することになったため氏神様も分社する事になりました。

これより先、東京川下沼部に鎮座する赤城神社が明治42年7月1日に浅間神社に合祀されたため空社殿を譲り受けることになりました。
社殿の引き渡しは、明治45年7月中旬に行われたそうです。渡し舟二隻を清めて、川を下り接岸、向河原十五軒の氏子に引渡したとのことです。
社殿に向って右側に赤城神社の社殿であるため「磐筒男命」中央には昔から村に氏神様である浅間神社の「木花咲耶姫命」左側には昔から村にあった稲荷堂の「宇加之霊」を合祀して「三社宮」と命名しました。
昭和11年7月7月、日本電気株式会社が下沼部地区の現在地に玉川工場を設立し、村は急速に発展してきました。それに伴って、道路を拡張(現在の駅前通り)することになり、それまでの下沼部1915番地から、現在の社殿は昭和13年5月に移築しました。
以上が三社宮の歴史です。(三社宮氏子中 平成12年1月吉日)


このように、旧下沼部村内では村が分離された後でも関係が続いていたこと、川崎市下沼部の三社宮と田園調布の多摩川浅間神社は同じ氏神を祀っていることが分かります。


参考記事:かつては世田谷区二子玉川よりも川崎市二子新地の方が栄えていて、二子玉川の名前の由来となった二子塚は川崎市高津区二子にひっそりと佇んでいます。詳しくは『高級ブランド「二子玉川」の原点は川崎市の辺鄙な場所にあった~「二子塚(二子古墳)」を探訪~二子新地散策(最終)』をご覧ください。
下の写真は川崎市にある「二子塚」の碑。
二子塚旧碩 二子新地散策4




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(多摩川浅間神社③:かつて田園調布(旧下部沼)にあった神社・祠はどこに行ったのか?)




田園調布3丁目は旧下沼部村の一部でした。


その後、渋沢栄一が設立した田園都市株式会社によって住宅地として開発され、超高級住宅街として発展していくのですが、


前回の記事で書いたように、その過程で(当時の日本を指導するエリートたちの「欧米文化への傾倒」、逆に言えば「日本文化に対する軽視」があったため)かつてあった神社・祠が喪失されたのではないか・・・というのが私の推測です。


田園調布3丁目にあったと思われる神社・祠が、下沼部村の鎮守社(多摩川浅間神社)に合祀されているか調べたところ、それらしき合祀先ではないかと思われる神社(境内社)が境内にありました(下の写真)。
1 多摩川浅間神社 合祀社 田園調布108-2


この境内社には、「小御嶽神社」「三峯神社」「阿夫利神社」「稲荷神社」の4つの神社が祀られています。
2 多摩川浅間神社 小御嶽神社 田園調布108-2

3 多摩川浅間神社 三峰神社 田園調布108-2

4 多摩川浅間神社 阿夫利神社 田園調布108-2

5 多摩川浅間神社 稲荷神社 田園調布108-2


これらが合祀された神社ではないかと思い、神職の方に伺ったところ、


「これらは摂社、末社として祀られている神社で、下沼部村の神社が合祀されたものではない」とのことでした。


しかし、「稲荷神社」がどうも怪しいので再度質問したところ、


「どこかにあった神社が合祀されたものだと思うが、どこにあったかどうか分からない」とのことでした。


また、田園調布3丁目にあった神社・祠が屋敷社として残っている可能性についても質問しましたが、「田園調布3丁目に屋敷社がると聞いたことはない」とのことでした。




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(多摩川浅間神社③:対シン・ゴジラの前線基地)


この多摩川浅間神社は、2016年に公開された映画「シン・ゴジラ」で、シン・ゴジラの首都侵略を阻止するため多摩川を防衛ラインとした際の前線指揮所として使われた場所です。


このため、多摩川浅間神社に置かれている自動販売機には「シン・ゴジラ」の絵が描かれています(^^
1 多摩川浅間神社 シンゴジラ自動販売機 田園調布108-2

2 多摩川浅間神社 シンゴジラ自動販売機 田園調布108-2

3 多摩川浅間神社 シンゴジラ自動販売機 田園調布108-2


自動販売機の他の側面にはそのことを書いた説明がありました。
4 多摩川浅間神社 シンゴジラ自動販売機 田園調布108-2




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(多摩川浅間神社④:眺望)


上述したように、多摩川浅間神社は国分寺崖線上にあるので、多摩川を臨む素晴らしい眺望を楽しむことができます。
多摩川浅間神社 眺望1 田園調布108-2

多摩川浅間神社 眺望2 田園調布108-2


多摩川の向こうに見える高層マンション群は武蔵小杉のタワーマンションです。




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(石原慎太郎の自宅①:解体される前の様子)


田園調布1丁目には、亡くなった、作家で元東京都知事の石原慎太郎の自宅がありました(下の写真)。
石原慎太郎の自宅1 田園調布108-2

石原慎太郎の自宅2 田園調布108-2

石原慎太郎の自宅3 田園調布108-2


石原慎太郎の自宅の入口には
石原慎太郎の自宅 入口 田園調布108-2


大きく「石原」と書かれた木の表札がありました。
IMG_0223.jpg


報道によれば、石原慎太郎の相続財産は推計3億1000万円だそうです。


なお、石原慎太郎の次男・石原良純の自宅は目黒区八雲にあります。詳しくは『「石原良純の自宅」と「衾村の痕跡」~八雲・東が丘・駒沢散策(3)』をご覧ください。下の写真は石原良純の自宅写真と表札。
石原良純の自宅2 八雲・東が丘・駒沢散策3 石原良純の自宅 表札 八雲・東が丘・駒沢散策3


(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。




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また、田園調布駅に隣接する東急スクエアガーデンサイト(下の写真)2階にある 
東急スクエアガーデンサイト 田園調布108-2


くまざわ書店に 
くまざわ書店 田園調布108-2


石原慎太郎コーナーがありました。長嶋茂雄とともに石原慎太郎が田園調布での名士であることを窺わせます。
石原慎太郎コーナー 田園調布108-2




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(石原慎太郎の自宅②:解体)


石原慎太郎が令和4年(2022年)2月1日に亡くなった後、1年半ほどしてこの邸宅は売却され解体されました。


築約40年の建物で、貸そうとしたが設備が古いので断念したそうです。


下の写真は解体時の様子。
石原慎太郎の自宅 解体工事中1 田園調布田園調布108-2

石原慎太郎の自宅 解体工事中2 田園調布田園調布108-2

石原慎太郎の自宅 解体工事中3 田園調布田園調布108-2


張り出されていた「解体工事のお知らせ」には、この建物は地上2階建てで床面積が340.86㎡(103.11坪)と書かれていました。
石原慎太郎の自宅 解体工事のお知らせ 田園調布108-2


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(石原慎太郎は何故田園調布1丁目に住み続けたのか?)




田園調布の中でも、豪邸が立ち並び「超」がつくような高級住宅街は。田園調布3丁目とその周辺に限られます。


そのほかのその他の田園調布はそれなりに立派ではありますが、「超」を冠するような高級住宅街ではありません。


石原慎太郎の自宅がある田園調布1丁目も、普通の高級住宅街です。


石原慎太郎ほどの財力があれば、ブランド力の高い(「超高級住宅街」である)田園調布3丁目に居を構えることができたと思うのですが、何故田園調布1丁目に住み続けたのでしょうか?


(以下のあくまで個人的な見解ですので、そのつもりでお読みください)

前回の記事で書いたように、

田園調布3丁目には日本の伝統信仰である神社が全くなく、あるのはキリスト教関係の教会(及び教会が運営する幼稚園)のみですが、


この背景には、渋沢栄一や息子の渋沢秀雄などが目指した田園調布は『欧米の「田園都市」を手本にした住宅地開発構想』で、当時の日本を指導するエリートたちの「欧米文化への傾倒」、逆に言えば「日本文化に対する軽視」がこのような状況をもたらしたのではないかと私は考えました。


日本の伝統文化を愛し、その喪失を憂いていた石原慎太郎は、田園調布3丁目という土地の背景を無意識的に(あるいは意識的に)感じ取り、日本の伝統文化を軽視した田園調布3丁目に住むことを拒絶したのではないでしょうか。




(※)私の個人的な考えをまとめた記事として「日々思うことのカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらをご覧ください


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カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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