江古田散策(1):江古田の読み方は?/武蔵大学/根津嘉一郎/千川上水
- 2018/07/02
- 08:04
江古田は中野区・練馬区にまたがる地域で(町名としては中野区にのみ存在)、中野区側には都営地下鉄大江戸線の「新江古田駅」が、練馬区側には西武池袋線の「江古田駅」があり。両駅の間は徒歩で約10分の距離です。
室町時代の後期に、この地域で太田道灌と豊島氏との間で「江古田・沼袋原の戦い」があった場所でもあります。
☆☆☆
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江古田は室町時地代からある由緒ある地名ですが、読み方については諸説あるようです。
現に、都営地下鉄大江戸線の「新江古田駅」は「Shin-egota Sta.」と「えごた」と読む一方、西武池袋線の「江古田駅」は「Ekoda Station」と「えこだ」であり、読み方が異なります。

これについては、産経新聞に面白い記事が出ていました。
さて、今回は西武池袋線の「江古田駅」界隈を散策します。
江古田には3つの大学があり、牛丼の「松屋」の第一号店があったりして、大変楽しい散策ができるところでした。
ちなみに、3つの大学とも、受付で校内を見学したいと申し込めば、校内に入ることができますし、学生食堂で食事をすることもできます。
後で話しますが、私は武蔵野音大の学生食堂でランチを食べました。
(武蔵学園)
「江古田駅」南口を降りて、千川通り沿いに西に行くと武蔵大学・武蔵高等学校・中学校のある「武蔵学園」があります。

東武鉄道の社長を務めた実業家・根津嘉一郎(ねづ かいちろう)の寄付によって創立されたものです。
根津嘉一郎については、南青山にある根津嘉一郎の私邸跡に、同氏の収集品を展示するために「根津美術館」がつくられたことしか知りませんでしたが、今回、「武蔵大学」を訪れて学校の創立にも関わっていることを初めて知りました。
根津嘉一郎はアメリカを訪れた際、アメリカの財界人が私財を投じて社会貢献をしていることに感銘を受け、「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」との考えを持つようになり、教育事業を手がけ、旧制武蔵高等学校(現在の武蔵大学、武蔵高等学校・中学校)を創立しました。
そもそも、競争相手である西武線沿線に、東武鉄道の社長が学校を設立することが不思議なのですが、その動機が「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という純粋な信念によるものならば、その行動も納得できます。
(武蔵大学キャンパスを散策)
日比谷公会堂を設計した佐藤功一の設計により作られた武蔵学園の講堂です。近代的合理主義・機能主義をめざしたモダニズム建築様式だそうです。

キャンパス中央には濯川(すすきがわ)という美しい小川が流れています。

東大や学習院大学内などのキャンパスには池がありますが、川が流れているキャンパスは珍しいと思います。
この小川は「千川上水」に由来します。千川上水は玉川上水の水を分水し、練馬・板橋を経て江戸の城北地域へ流れていた江戸六上水の一つです。
この千川上水の分水の一部がこのキャンパスに流れている濯川(すすきがわ)です。今は水源が限られているため、循環方式で水流を確保しています。
なお、この江古田駅から二駅離れた練馬駅前の千川通りには、千川上水の「筋違橋跡」の碑がたっています。

さらにキャンパス内には、「不動明王」の石碑がありました。江戸時代頃の石碑で武蔵学園ができる以前からあったものであるようです。

武蔵大学はこのくらいにして、次は武蔵野音大に向かいます。
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室町時代の後期に、この地域で太田道灌と豊島氏との間で「江古田・沼袋原の戦い」があった場所でもあります。
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江古田は室町時地代からある由緒ある地名ですが、読み方については諸説あるようです。
現に、都営地下鉄大江戸線の「新江古田駅」は「Shin-egota Sta.」と「えごた」と読む一方、西武池袋線の「江古田駅」は「Ekoda Station」と「えこだ」であり、読み方が異なります。


これについては、産経新聞に面白い記事が出ていました。
江古田駅から歩き出す。駅前周辺は「ダ」が多い。江古田斎場、江古田銀座、マンションや店名もローマ字表記で確認できるものはほとんど「ダ」。ところが新江古田駅に近づくとやっぱり「ゴ」が増える。この辺に区境があって、練馬区は「ダ派」、中野区は「ゴ派」という勢力関係らしい。せっかくだから中野区江古田という地名の場所まで歩いてみた。歩いてみるもので、なんと「中野区立歴史民俗資料館」を発見。どうでもいい話すぎて恐縮だったが、学芸員の石村篤史さんが親切に応対してくれた。「本来は『えごた』ですね。戦前に駅ができたときに『えこだ』にしてしまった」。
(2016年4月21日付け産経新聞より)
さて、今回は西武池袋線の「江古田駅」界隈を散策します。
江古田には3つの大学があり、牛丼の「松屋」の第一号店があったりして、大変楽しい散策ができるところでした。
ちなみに、3つの大学とも、受付で校内を見学したいと申し込めば、校内に入ることができますし、学生食堂で食事をすることもできます。
後で話しますが、私は武蔵野音大の学生食堂でランチを食べました。
(武蔵学園)
「江古田駅」南口を降りて、千川通り沿いに西に行くと武蔵大学・武蔵高等学校・中学校のある「武蔵学園」があります。

東武鉄道の社長を務めた実業家・根津嘉一郎(ねづ かいちろう)の寄付によって創立されたものです。
根津嘉一郎については、南青山にある根津嘉一郎の私邸跡に、同氏の収集品を展示するために「根津美術館」がつくられたことしか知りませんでしたが、今回、「武蔵大学」を訪れて学校の創立にも関わっていることを初めて知りました。
根津嘉一郎はアメリカを訪れた際、アメリカの財界人が私財を投じて社会貢献をしていることに感銘を受け、「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」との考えを持つようになり、教育事業を手がけ、旧制武蔵高等学校(現在の武蔵大学、武蔵高等学校・中学校)を創立しました。
そもそも、競争相手である西武線沿線に、東武鉄道の社長が学校を設立することが不思議なのですが、その動機が「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という純粋な信念によるものならば、その行動も納得できます。
(武蔵大学キャンパスを散策)
日比谷公会堂を設計した佐藤功一の設計により作られた武蔵学園の講堂です。近代的合理主義・機能主義をめざしたモダニズム建築様式だそうです。

キャンパス中央には濯川(すすきがわ)という美しい小川が流れています。


東大や学習院大学内などのキャンパスには池がありますが、川が流れているキャンパスは珍しいと思います。
この小川は「千川上水」に由来します。千川上水は玉川上水の水を分水し、練馬・板橋を経て江戸の城北地域へ流れていた江戸六上水の一つです。
この千川上水の分水の一部がこのキャンパスに流れている濯川(すすきがわ)です。今は水源が限られているため、循環方式で水流を確保しています。
なお、この江古田駅から二駅離れた練馬駅前の千川通りには、千川上水の「筋違橋跡」の碑がたっています。


さらにキャンパス内には、「不動明王」の石碑がありました。江戸時代頃の石碑で武蔵学園ができる以前からあったものであるようです。

武蔵大学はこのくらいにして、次は武蔵野音大に向かいます。
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