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中村歌右衛門、B’z松本孝弘の自宅などを探訪~世田谷区岡本散策(2):森友嵐士の自宅/浅井慎平の自宅跡/首くくりの家ロケ現場


世田谷区岡本の概観を考察し、岡本には商店は非常に少なく、住宅街と農地が広がる坂の多いエリアであることを見つつ、芸能人・著名人の自宅を探訪しました。

今回も世田谷区岡本と近隣の瀬田地を探訪しながら、中村歌右衛門、B’z松本孝弘、森友嵐士の自宅、浅井慎平の自宅跡などを探訪します。

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(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。



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X(旧ツイッター)でも配信しています。





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(首くくりの家ロケ現場)




世田谷区岡本1丁目には、横溝正史の横溝正史の小説「病院坂の首縊りの家」の舞台になった「病院坂」の映画ロケ現場になった坂があります。
ロケ現場 岡本散策再訪2


下の写真は映画の一場面。
映画のシーン 岡本散策再訪2






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(玉川病院①:概観)


岡本1丁目に隣接する瀬田4丁目には総合病院である「玉川病院」があります(世田谷区瀬田4-8-1)。
玉川病院 岡本散策再訪2


別記事で詳しく書きますが、


「玉川病院」は清水組(現・清水建設)副社長・清水揚之助の邸宅跡に建てられた病院施設で、


高台に建っています。下の写真は丸子川の流れる低地から見た「玉川病院」。
玉川病院 低地から見る 岡本散策再訪2


「玉川病院」の正式名称は「日産厚生会玉川病院」で、日産グループ関連の団体が運営している総合病院です。


この近くには、日産コンツェルン創始者の鮎川義介の邸宅があったので(現在はマンション「多摩川テラス」。詳しくは「明治期以降の政財界の大物が構えた邸宅・別邸跡を探訪(2)~世田谷区岡本散策番外編」を参照)、


昭和28年(1953年)に玉川病院がこの地に建てられたときに、鮎川義介のアドバイスがあったのかもしれません。




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(玉川病院②:下山遺跡)


玉川病院正門前の中庭に「下山遺跡」という石碑があります。
下山遺跡 岡本散策再訪2


この辺りの岡本・瀬田地区は中央に谷戸川が流れる起伏の多い地で、湧水も多く、人々が住むのに適していました。


このため遺跡群が多くあるのですが、「下山遺跡」もその一つで、


発掘調査の結果、先土器・縄文・弥生後期・古墳時代前期のものが重なっており、出土したのは黒曜石製の石器を含めて556点もあったそうです。


また、「玉川病院」の脇には「下山稲荷」という小さな神社があります。
下山稲荷 岡本散策再訪2


この辺りの旧地名は「下山」と言いますが、
下山の地名 岡本散策再訪2
(出典:世田谷区の地名)


この「下山」の旧地名は


「下山橋」
下山橋 岡本散策再訪2


「下山公園」などとして残っています。
下山公園 岡本散策再訪2




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(玉川病院③:中村歌右衛門(六代目)の紅梅)


玉川病院正門前の中庭には、歌舞伎界における女形の最高峰と言われ、人間国宝に認定された中村歌右衛門(六代目。1917~2001)が寄贈した紅葉と手鉢があります。
紅葉と手鉢 中村歌右衛門 岡本散策再訪2

中村歌右衛門 説明版1 岡本散策再訪2 


Wikipediaには、「1996年(平成8年)の舞台を最後に療養生活に専念」と書かれているので、この療養生活は玉川病院との関りの中であったと思われます。


下の写真は手鉢に掲げられている説明版。
中村歌右衛門 説明版2 岡本散策再訪2


また、下の写真は六代目中村歌右衛門。
中村歌右衛門 岡本散策再訪2
(出典:Wikipedia)


岡本1丁目に住んでいた中村歌右衛門の自宅跡については後述します。




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(水琴窟)


「玉川病院」から徒歩数分の場所に「吉村造園」があります(世田谷区瀬田5-4-3)。
吉村造園 岡本散策再訪2


この吉村造園の入り口に

水琴窟(※)の表示があり「自由にお覗き下さい」と書かれています。
吉村造園 入口 岡本散策再訪2

吉村造園 水琴窟の表示 岡本散策再訪2


中にある水琴窟をありがたく見学させていただきました。
吉村造園 水琴窟 岡本散策再訪2


(※)水音を楽しむために,庭園に仕掛けられた装置。 手水 (ちょうず) 鉢の排水口の下に水瓶などを伏せて埋め,その中にたまった水に,手水からの水の滴が落ちて,弦を弾くような音が聞こえるようにする




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(中村歌右衛門の自宅跡)


上で述べたように、世田谷区岡本1丁目には中村歌右衛門(六代目)の自宅がありました。


中村歌右衛門は岡本に住んでいたため、二代目松緑が「紀尾井町」と呼ばれたように、中村歌右衛門は「岡本町」と呼ばれていました。


中村歌右衛門の自宅があった場所は、岡本と瀬田の境界線となっている「馬坂」という坂道に沿った岡本よりの一角なのですが(瀬田よりは「明治期以降の政財界の大物が構えた邸宅・別邸跡を探訪~世田谷区岡本界隈散策(2)」でご紹介した旧小坂家住宅のある「瀬田4丁目小坂緑地」)、
馬坂 中村歌右衛門 岡本散策再訪2


敷地が大きすぎて全体の写真を撮ることができないので部分的な写真しか掲載できません。現在は大きな邸宅が立ち並ぶ区域となっていて(下の写真)、いかに広大な敷地であったか想像できます。
中村歌右衛門の自宅1 岡本散策再訪2

中村歌右衛門の自宅 岡本散策再訪2




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(B’z松本孝弘の自宅跡と現在の自宅)


また、地元の方から聞いた話によれば、世田谷区岡本1丁目には、B’zのギタリストであり、リーダーも務める松本孝弘の自宅がありました。


現在は解体され空地となっています。坂の中腹にあったので2階からの眺望は素晴らしかったと思います。
B’s松本孝弘の自宅跡 岡本散策再訪


下の写真は、港区にあるB’z松本孝弘の現在の自宅。世田谷区岡本の旧宅と同じく坂の中腹にあります。
B’s松本孝弘の現在の自宅 岡本散策再訪




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(森友嵐士の自宅)


岡本2丁目にはロックバンド「T-BOLAN」のボーカルでシンガーソングライター、音楽プロデューサーの森友嵐士(もりともあらし。本名:田辺裕之)の自宅があります。
森友嵐士の自宅1 岡本散策再訪

森友嵐士の自宅2 岡本散策再訪


円形の塔が特徴的な邸宅です。
森友嵐士の自宅 円形の塔 岡本散策再訪


入口には
森友嵐士の自宅 入口 岡本散策再訪


本名「田辺裕之」の「TANABE」と芸名「森友嵐士」の「MORITOMO」の2つの名を書いた表札がありました。
森友嵐士の自宅 表札 岡本散策再訪




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(浅井慎平の自宅跡)


世田谷区岡本1丁目には写真家・浅井慎平の自宅がありました。


現在は3軒の家が建っていますが、3軒の家が建つような広い敷地の邸宅でした(下の写真)。
浅井慎平の自宅 岡本散策再訪2


(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。

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次回の記事でも世田谷区岡本1丁目の散策を続けます。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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