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明治期以降の政財界の大物が構えた邸宅・別邸跡を探訪(2)~世田谷区岡本散策番外編:松本記念音楽迎賓館/旧小坂家住宅/多摩川テラス/ガーデンハウス/パークコート二子玉川


次の3つの邸宅跡を探訪しながら、幣原喜重郎が日本国憲法草案にあたって自宅とした地が世田谷区岡本であった事実が浮かび上がってきました。

今回は、パイオニア創始者・松本望氏の居宅で現在は松本音楽迎賓館としてコンサートなどに使用されている邸宅や見学可能な小坂家住宅などを訪れます。

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「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら世田谷区岡本散策シリーズ」(6回にわたり掲載)の番外編として、以下の4つの記事があります。


(2)「世田谷区岡本、岡本周辺にある「第六天」「第六天魔王」を祀った神社を探訪~世田谷区岡本散策番外編」


(4)「【用賀】東条英機の自殺未遂事件~用賀の芸能人・著名人の自宅を探訪~世田谷区岡本界策番外編」

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(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。

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X(旧ツイッター)でも配信しています。




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(政財界人の邸宅・別荘④:パイオニア創始者・松本望の居宅⇒松本記念音楽迎賓館)


世田谷区岡本2丁目にはパイオニアの創始者・松本望(1905~1988)の居宅があり、その一部が「松本記念音楽迎賓館」として使われています(世田谷区岡本2丁目32-15)。
松本音楽迎賓館1 明治以降の政財界要人 

松本音楽迎賓館2 明治以降の政財界人要人


ここでは定期的に演奏会などのイベントが行われています。
松本音楽迎賓館3 イベント 明治以降の政財界要人


この邸宅は国分寺崖線上(※)に建てられており、庭を見学したことがありますので、その写真を掲載します。当時の政界人要人の邸宅の庭の様子がよく分かります。
松本音楽迎賓館 庭1 明治以降の政財界要人

松本音楽迎賓館 庭2 明治以降の政財界要人

松本音楽迎賓館 明治以降の政財界要人


(※)【国分寺崖線】




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(政財界人の邸宅・別荘⑤:鮎川義介⇒多摩川テラス)


日産コンツェルンの創始者・鮎川義介(1880~1967)は戦後、岡本1丁目の約4000坪の地に新たに居を構えました。


現在は昭和53年(1978年)に建設されたマンション・多摩川テラスとなっています(世田谷区岡本1-3)。
多摩川テラス 明治以降の政財界要人


多摩川テラスの奥にある管理棟には、元岡山藩城代家老伊木家の下屋敷の表門であったものを鮎川義介が譲り受け、武家屋敷門として残されていて世田谷区有形文化財となっています。
多摩川テラス 武家屋敷門1 明治以降の政財界要人

多摩川テラス 武家屋敷2 明治以降の政財界要人


その武家屋敷門の説明版です。
多摩川テラス 武家屋敷門 解説版 明治以降の政財界要人




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(日産コンツェルンについて)


鮎川義介が創設した「日産コンツェルン」(「日本産業コンツェルン」の略称)は、第二次世界大戦前の日本に存在した財閥で、


鮎川義介が創設しことから「鮎川財閥」とも呼ばれました。


日本産業の主な傘下には、日本鉱業(日立鉱山)グループ、日立製作所グループ、日産自動車グループなどがあり、


現在は日産・日立グループと呼ばれる企業グループを形成しています。


次回の記事で取り上げますが、清水組(現・清水建設)副社長・清水揚之助の別邸跡に建っている玉川病院(世田谷区瀬田4-8-1)の正式名称は「公益財団法人日産厚生会玉川病院」で、


日産コンツェルンを創設した鮎川義介の別邸と関係があるかどうか興味深いところです。




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(政財界人の邸宅・別荘⑥:旧小坂家住宅:唯一見学ができる邸宅~横山大観が住んだことも)


信濃銀行取締役・信濃毎日新聞社長で枢密顧問官・貴族院議員・衆議院議員などの要職を務めた小坂順三(1881~1960)は、瀬田4丁目に別邸を構えていました。


本宅は渋谷にありましたが、空襲で焼けたためにこの別邸を本宅として利用しました。


取り壊された政財界人の邸宅が多い中で、珍しく残され公開されている貴重な邸宅・敷地です(入場料無料。世田谷区瀬田4丁目41-21)。


敷地の高台に表門があり、
小坂家住宅 表門 明治以降の政財界要人


崖下に裏門があります。
小坂家住宅 裏門 明治以降の政財界要人


表門を入ると邸宅があります。
小坂家住宅 邸宅 明治以降の政財界要人


邸宅には和室、洋室があり、
小坂家住宅 和室 明治以降の政財界要人

小坂家住宅 洋室 明治以降の政財界要人 


当時としては珍しかった冷蔵庫も展示されています。
小坂家住宅 冷蔵庫1 明治以降の政財界要人

小坂家住宅 冷蔵庫2 明治以降の政財界要人


また、現在は取り壊されてありませんが、茶室には空襲を避けた横山大観が家族で移り住んだこともあります。




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(政財界人の邸宅・別荘⑦:久原房之介:ガーデンハウス)


鮎川義介の義弟で、立憲政友会で活躍した久原房之介(1869~1965)も瀬田の地に「余方庵」という別邸を構えました。


三菱財閥の岩崎家を軸にして岡本1丁目に邸宅が造られたように、知り合い同士の紹介で邸宅が建てられたであろうことが推察されます。


久原房之介の別邸は、現在はガーデンハウスというマンションになっています(下の写真)。
ガーデンハウス 明治以降の政財界要人


敷地内には下の写真のような燈篭、大きな庭石などがあり、おそらく久原房之介の別邸にあった石造物が残されているものと思われます。
ガーデンハウス 石造物 明治以降の政財界要人

ガーデンハウス 庭石 明治以降の政財界要人

ガーデンハウス 灯籠 明治以降の政財界要人




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(政財界人の邸宅・別荘⑧:パークコート二子玉川)


各種資料には、政財界人の邸宅・別邸として紹介されていませんが、久原房之介の別邸から丸子川を挟んだ向かい側にユニークな邸宅がありました。




外務省飯倉公館、岸信介邸などを設計した吉田五十八による「不二迎賓館」です(下の写真)。
パークコート二子玉川 不二迎賓館 明治以降の政財界要人
(出典:世田谷区文化財調査報告集―12- 古建築緊急調査報告その6 幽篁堂庭園)


現在は瀟洒な高級マンション「パークコート二子玉川」になっていますが(下の写真)、
パークコート二子玉川1 明治以降の政財界要人

パークコート二子玉川2 明治以降の政財界要人


マンションの回りの遊歩道は公開空地となっていて、下の写真のような様々な骨董(石造物)が置かれている不思議な空間(庭園)になっています。
パークコート二子玉川 骨董1 明治以降の政財界要人

パークコート二子玉川 骨董2 明治以降の政財界要人



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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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