田園調布界隈を歩く(最終回):国分寺崖線/田園調布古墳群/六郷用水/福山雅治の桜坂
- 2018/06/29
- 08:08
前回の田園調布界隈を歩く(2)では、散策の途中に突然展望が開け、私たちが国分寺崖線(こくぶんじがいせん)の縁(ヘリ)に立っていることをお話しました。
田園調布・二子玉川・深大寺など多摩川の縁(ヘリ)を散策する時に国分寺崖線のことを知っているとより楽しく散策ができますので、今回は国分寺崖線のことから話を進めます。
☆☆☆
立川市から国分寺・二子玉川・等々力渓谷・田園調布を経て大田区嶺町まで続く崖が「国分寺崖線」と呼ばれています。
国分寺においてその特徴が顕著に現れることから「国分寺崖線」と名付けられました。
下の図は、国分寺市における国分寺崖線の断面図を図式化したものです。

国分寺崖線は、武蔵野台地を古多摩川が削ってできた10~20メートルの崖です。都市開発を免れたため、自然が比較的良好に保たれ、湧水があり、植物・動物・昆虫等の多様な生物が生息しています。
国分寺崖線の下には立川段丘があり、その下には多摩川が削った立川(府中)崖線があります。
ただし、立川(府中)崖線は狛江市までしか続いていませんので、二子玉川・等々力渓谷や今回散策しいる田園調布には国分寺崖線だけになります。
この台地の縁(ヘリ)は多摩川の洪水から守られる一方、下に降りれば新鮮な湧水を汲むことができ、魚などの川の幸の捕獲や水田などの耕作ができるという好立地であるため古代から人々が住んでいました。
このため国分寺崖線や府中崖線の縁(ヘリ)には多くの古墳があります。
(多摩川台公園)
右手に多摩川を見ながらこの国分寺崖線を南東に(多摩川下流方向に)進んでいくと「多摩川台公園」があります。
この多摩川台公園は武蔵野台上に約600メートルに渡って展開している公園ですが、10基もの古墳があります。

この他、四季の野草園・水生植物園、展望広場、あじさい園などもあります。
下の写真は四季の野草園・水生植物園ですが、かつて調布浄水場があった場所に造られたものです。換気口らしきものがオブジェになっています(写真右)。

(田園調布古墳群・古墳展示室)
上で書いたように、この公園には10基の古墳があり「田園調布古墳群」と呼ばれています。
「田園調布古墳群」は、五島美術館と等々力渓谷・古墳群で訪れた「野毛山古墳群」とあわせて「荏原台古墳群」を形成しています。
その中で最も大きな古墳は「亀甲山古墳」で国の史跡とされています。

五島美術館と等々力渓谷・古墳群で、「東京23区の周辺地域では、古代・中世の東京が突然姿を現すことがある」と書きましたが、このような古墳群を見るとまさにその感を強くします。
公園内にある「古墳展示室」(入館無料)も是非訪れたいところです。展示とともに解説も面白く、北武蔵と南武蔵(荏原台古墳群)との間で、朝廷も巻き込んだ争いがあったという解説が地図を用いながらありました。

このような解説を読むと今も昔も権力闘争は変わらないのだな、と思います。
(多摩川浅間神社:古代からのパワースポット)
多摩川台公園の横にある「多摩川浅間神社」に行きます。

多摩川浅間神社も武蔵野台上にあり、この神社の下に古墳があることが平成2年(1990年)の発掘調査で分かり、「浅間神社古墳」と名付けられました。
好立地のところに古墳と神社があるわけで、古代人のお墓に神社が建ち、現代人がお参りしている様は、古代から現代に続くパワースポットであることが分かります。
また、この多摩川浅間神社は、映画「シン・ゴジラ」で、シン・ゴジラの首都侵略を阻止するため多摩川を防衛ラインとした際の前線指揮所として使われた場所です。
品川駅の謎を解く(1):港区内の品川駅・ゴジラの絵で書いたように、初代ゴジラは東京湾から品川に上陸しましたが、シン・ゴジラは品川より西の多摩川から侵入しようとしました。ゴジラも東京の地理を研究しているようですね(笑
品川駅ホームにあるゴジラのプレートを再掲します。

この多摩川神社には素晴らしい展望台があります。下の写真は、この展望台から撮った写真です。ここからも多摩川を挟んで対岸にある武蔵小杉の高層ビル群が見えます。

(六郷用水)
多摩川神社の後は東急東横線・目黒線のガードをくぐって、田園調布本町に入ります。
ここには六郷用水を復元した遊歩道があります。

六郷用水とは、江戸初期に作られた農業用水路で、現在の狛江市から世田谷を経て大森・蒲田へ二分されて流れていました。約300年に渡り大田区の農民の生活になくてはならない重要な水路でした。
(福山雅治の桜坂)
六郷用水の復元水路に沿って歩いていくと、福山雅治の大ヒット曲「桜坂」のモデルになった場所である田園調布本町の「桜坂」に行き着きます。

この桜坂は旧中原街道でもあり、古代に起源を持つ由緒ある古道で、港区の尾根道を歩く(1)でご紹介した「二本榎通り」にまでつながっています。
また、東京大仏を見に行く(1)で書きましたが、この桜坂は鎌倉街道の「下道(しもつみち)」であり、同時に古代東海道でもあります。
今年の桜の季節(3月下旬)に撮った写真があるので下に掲載します。この写真を撮った時はブログをやることは考えていなかったのですが、たまたま撮っていましたので掲載します。

これで「田園調布界隈を歩く」シリーズを終了します。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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田園調布・二子玉川・深大寺など多摩川の縁(ヘリ)を散策する時に国分寺崖線のことを知っているとより楽しく散策ができますので、今回は国分寺崖線のことから話を進めます。
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立川市から国分寺・二子玉川・等々力渓谷・田園調布を経て大田区嶺町まで続く崖が「国分寺崖線」と呼ばれています。
国分寺においてその特徴が顕著に現れることから「国分寺崖線」と名付けられました。
下の図は、国分寺市における国分寺崖線の断面図を図式化したものです。

国分寺崖線は、武蔵野台地を古多摩川が削ってできた10~20メートルの崖です。都市開発を免れたため、自然が比較的良好に保たれ、湧水があり、植物・動物・昆虫等の多様な生物が生息しています。
国分寺崖線の下には立川段丘があり、その下には多摩川が削った立川(府中)崖線があります。
ただし、立川(府中)崖線は狛江市までしか続いていませんので、二子玉川・等々力渓谷や今回散策しいる田園調布には国分寺崖線だけになります。
この台地の縁(ヘリ)は多摩川の洪水から守られる一方、下に降りれば新鮮な湧水を汲むことができ、魚などの川の幸の捕獲や水田などの耕作ができるという好立地であるため古代から人々が住んでいました。
このため国分寺崖線や府中崖線の縁(ヘリ)には多くの古墳があります。
(多摩川台公園)
右手に多摩川を見ながらこの国分寺崖線を南東に(多摩川下流方向に)進んでいくと「多摩川台公園」があります。
この多摩川台公園は武蔵野台上に約600メートルに渡って展開している公園ですが、10基もの古墳があります。

この他、四季の野草園・水生植物園、展望広場、あじさい園などもあります。
下の写真は四季の野草園・水生植物園ですが、かつて調布浄水場があった場所に造られたものです。換気口らしきものがオブジェになっています(写真右)。


(田園調布古墳群・古墳展示室)
上で書いたように、この公園には10基の古墳があり「田園調布古墳群」と呼ばれています。
「田園調布古墳群」は、五島美術館と等々力渓谷・古墳群で訪れた「野毛山古墳群」とあわせて「荏原台古墳群」を形成しています。
その中で最も大きな古墳は「亀甲山古墳」で国の史跡とされています。

五島美術館と等々力渓谷・古墳群で、「東京23区の周辺地域では、古代・中世の東京が突然姿を現すことがある」と書きましたが、このような古墳群を見るとまさにその感を強くします。
公園内にある「古墳展示室」(入館無料)も是非訪れたいところです。展示とともに解説も面白く、北武蔵と南武蔵(荏原台古墳群)との間で、朝廷も巻き込んだ争いがあったという解説が地図を用いながらありました。


このような解説を読むと今も昔も権力闘争は変わらないのだな、と思います。
(多摩川浅間神社:古代からのパワースポット)
多摩川台公園の横にある「多摩川浅間神社」に行きます。

多摩川浅間神社も武蔵野台上にあり、この神社の下に古墳があることが平成2年(1990年)の発掘調査で分かり、「浅間神社古墳」と名付けられました。
好立地のところに古墳と神社があるわけで、古代人のお墓に神社が建ち、現代人がお参りしている様は、古代から現代に続くパワースポットであることが分かります。
また、この多摩川浅間神社は、映画「シン・ゴジラ」で、シン・ゴジラの首都侵略を阻止するため多摩川を防衛ラインとした際の前線指揮所として使われた場所です。
品川駅の謎を解く(1):港区内の品川駅・ゴジラの絵で書いたように、初代ゴジラは東京湾から品川に上陸しましたが、シン・ゴジラは品川より西の多摩川から侵入しようとしました。ゴジラも東京の地理を研究しているようですね(笑
品川駅ホームにあるゴジラのプレートを再掲します。

この多摩川神社には素晴らしい展望台があります。下の写真は、この展望台から撮った写真です。ここからも多摩川を挟んで対岸にある武蔵小杉の高層ビル群が見えます。

(六郷用水)
多摩川神社の後は東急東横線・目黒線のガードをくぐって、田園調布本町に入ります。
ここには六郷用水を復元した遊歩道があります。

六郷用水とは、江戸初期に作られた農業用水路で、現在の狛江市から世田谷を経て大森・蒲田へ二分されて流れていました。約300年に渡り大田区の農民の生活になくてはならない重要な水路でした。
(福山雅治の桜坂)
六郷用水の復元水路に沿って歩いていくと、福山雅治の大ヒット曲「桜坂」のモデルになった場所である田園調布本町の「桜坂」に行き着きます。

この桜坂は旧中原街道でもあり、古代に起源を持つ由緒ある古道で、港区の尾根道を歩く(1)でご紹介した「二本榎通り」にまでつながっています。
また、東京大仏を見に行く(1)で書きましたが、この桜坂は鎌倉街道の「下道(しもつみち)」であり、同時に古代東海道でもあります。
今年の桜の季節(3月下旬)に撮った写真があるので下に掲載します。この写真を撮った時はブログをやることは考えていなかったのですが、たまたま撮っていましたので掲載します。

これで「田園調布界隈を歩く」シリーズを終了します。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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