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喜多見が主流で成城は傍流~成城散策・新シリーズ(最終回・番外編):喜多見不動/慶元寺/喜多見藩

X(旧ツイッター)でも配信しています。

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成城7,8,9丁目と仙川を散策しながら、東山紀之の自宅、浜田雅功の自宅など芸能人・著名人の自宅などを探訪しました。

今回の記事は、12回にわたる「成城散策・新シリーズ」の最終回として、成城と喜多見の関係を調べ、実は「喜多見が主流で成城は傍流」であったことを考察します。

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世田谷区成城散策については、4回にわたって掲載した「芸能人・文士の自宅を探訪しながら成城学園散策シリーズ」がありますが、

本記事を含む「成城散策再訪シリーズ」では、新たに得た情報を加味しながら成城を再訪します。

成城は1丁目~9丁目までの広い区域にまたがりますので、以下のような3つのサブシリーズに分けて散策します。





(5)番外編:「喜多見が主流で成城は傍流」(本記事)


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(※)私の個人的な考えをまとめた記事として「日々思うことのカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらをご覧ください

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。






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(「喜多見」ってどこにある?:実は「喜多見」は「成城」よりも由緒ある地域)


「成城」は全国的に知られている高級住宅地ですが、


「喜多見」については、東京に住んでいる人でもすぐに分かる人は少ないのではないでしょうか。
喜多見 住居表示 成城再訪2-3


後で詳しくご説明しますが、「喜多見」は世田谷区の西端にある地域で、多くが鉄道駅やバス停から距離がある「公共交通不便地域」となっている世田谷区の辺境地です。


この世田谷の辺境地である「喜多見」が実は由緒ある主流地域で、「成城」が新参者で傍流であることをこれから書いていこうと思います。




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(喜多見不動)


まず、成城4丁目にある「喜多見不動」に行ってみます(世田谷区成城4丁目2-8)。下の写真は喜多見不動の入り口。
喜多見不動 入口 成城再訪2-3


敷地内には湧水による滝があり
喜多見不動 滝 成城再訪2-3


階段を上ると
喜多見不動 階段 成城再訪2-3


不動堂があります。
喜多見不動 成城再訪2-3


説明版には、「この不動堂は、喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王坐像である。創建は明治9年(1876)5月で、村内の安全を祈願して喜多見村の住人たちが願主となって建立した」と書かれています。
IMG_9513.jpg





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(喜多見不動と喜多見の浦野家)

上の説明版には書かれていませんが、慶元寺の境外仏堂(けいがいぶつどう)(※)となったのは、喜多見の資産家で慶元寺檀家総代であった浦野家が喜多見不動の境内地を慶元寺に寄進した昭和16年(1931年)です。

(※)境内以外に単独で建てられた仏堂のこと


なお、喜多見不動の境内地を慶元寺に寄進した、浦野家の土蔵が岡本民家園に移設されています(下の写真。元々は喜多見7丁目の地にありました)
旧浦野家土蔵 成城再訪2-3
(出典:岡本民家園(※※)


現在、この喜多見不動を管理されている方の家では鶏が飼われ(高級住宅街「成城」とは思えない光景です)
喜多見不動 鶏 成城再訪2-3


敷地内のあちこちに自作の置物が置かれています。
喜多見不動 自作の置物 成城再訪2-3


ここを管理されている方に伺ったところ、「喜多見不動の維持・管理費は喜多見にある慶元寺から支出されている」そうです。


すなわち、慶元寺の氏子である喜多見の人たちのお布施などによって、成城にある喜多見不動が維持・管理されていることになります。


(※※)同じ岡本民家園にある旧長崎家住居主屋については、「【瀬田・上野毛】高島忠夫など芸能人・著名人の自宅を探訪~二子玉川界隈散策シリーズ(最終回)」で書いたことがあります。




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(喜多見が主流で成城は傍流~成城は喜多見から派生した新参者)


上で書いたように、この「喜多見不動」は「成城不動」ではなく、説明版には「喜多見慶元寺の境外仏堂である」と書かれているのですが、


「喜多見」とはどのような街(地域)なのでしょうか?


「成城」は東京では「田園調布」と双璧をなす高級住宅街ですが、隣接する「喜多見」は東京都民でも知らない人が多いのではないでしょうか。


「喜多見」は東京23区の西端に位置するエリアで、
成城と喜多見の位置関係 成城再訪2-3
(出典:世田谷区HPを筆者が加工)


下の写真のように田園風景が広がり、大きな商業圏があるわけでもなく世田谷区内でも影の薄い地域です。
喜多見の田園風景1 成城再訪2-3

喜多見の田園風景2 成城再訪2-3


口さがない人たちからは、「喜多見」や「宇奈根」は「世田谷の辺境地、秘境」などと言われています。




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(喜多見は由緒ある土地柄)




喜多見は大変由緒ある土地柄で、


江戸の由来となった江戸氏の墓所のある「慶元寺(けいげんじ)」(下の写真)があり、その「慶元寺」は「喜多見不動」を管理する寺院です(世田谷区喜多見4丁目17-1)。
慶元寺 成城再訪2-3


元々は、今の皇居紅葉山辺に開基した江戸氏の氏寺であったことからも由緒ある寺院であることがうかがえます。
慶元寺 由緒 成城再訪2-3


「慶元寺」の美しい参道と
慶元寺 参道 成城再訪2-3


美しい白壁です。
慶元寺 白壁 成城再訪2-3




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(江戸氏の像と墓所)


慶元寺の参道を歩いていくと右手に「江戸太郎重長公の像」があり、
慶元寺 江戸太郎重長公の像1 成城再訪2-3

慶元寺 江戸太郎重長公の像2 成城再訪2-3


また、墓域には江戸氏(喜多見氏)の墓所があります。
慶元寺 江戸氏の墓所 成城再訪2-3




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(東京23区に唯一存在したと言われる「喜多見藩」があった)


また、この喜多見の地には「喜多見藩」という東京23区に存在した唯一と言われる藩があったなかなか凄い土地柄です。


江戸氏は平安時代後期に江戸郷を領地とし武蔵野国を広範囲に治め、戦国時代になると江戸氏は江戸を太田道灌に明け渡して喜多見に移り住みました。


その後、徳川家に仕えるようになりましたが、江戸氏は江戸城を本拠とした徳川氏に遠慮して姓を「喜多見」と改めました。


喜多見氏(江戸氏)は徳川家の下で2万石の大名にまでなりましたが、


元禄2年(1689年)、突然改易され廃藩、藩主家としての喜多見氏は滅びました(改易理由に関しては、一族の者が江戸城で刃傷沙汰を起こしたなど種々の説があるようです)。


もし、この喜多見藩が続いていたならば、喜多見地域は繁栄を続け、喜多見と成城の立場は逆転していたかもしれません。






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(喜多見氷川神社に「東宝スタジオ」が奉納)


さらに、慶元寺近に隣接して「喜多見氷川神社」があります(世田谷区喜多見4丁目26-1)。
喜多見氷川神社 入口 成城再訪2-3


広い敷地を有する立派な神社です。
喜多見氷川神社 社殿 成城再訪2-3


この社殿復興への奉納社名の中に「東宝スタジオ」がありました。
喜多見氷川神社 東宝スタジオが奉納者 成城再訪2-3


成城が全国レベルの高級住宅街として発展するきっかけとなった「東宝スタジオ(東宝撮影所)」が、成城の親元である喜多見の地に敬意を払っている証左ではないでしょうか。


なお、この氷川神社には男根を模した立石大神が祀られています。多産や豊穣を祈る生殖器崇拝の一つです。付近から出土した石棒を祀っているそうです。
喜多見氷川神社 立石大伸1 成城再訪2-3

喜多見氷川神社 立石大伸2 成城再訪2-3




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(当時の成城は?:ひどい山林で、台地の中には道らしい道もなかった)


他方、成城とは言うと、「成城再訪~プロローグ~成城概観」で書いたように、


大正14年(1925年)成城第二中学校と併設の小学校が牛込区(現在の新宿区)から移転した頃の成城地域は、


「松、ナラ、クヌギ、栗などの生い茂った一面の雑木林で喜多見上の台(注:喜多見の小字名)に農家の聚落(集落)があったきり、他に住む家はなく、ひどい山林で、台地の中には道らしい道もなかった」(「私の武蔵野」永島富士夫)といった様子でした。


下の写真は、成城3丁目にある「なんだかんだの坂 市民緑地」で撮影したものですが、当時の様子はこのような山林だらけの土地だったと思います。
なんだかんだの坂 市民る奥地 成城再訪2-3


喜多見不動が慶元寺の境外仏堂(けいがいぶつどう)となったのは昭和16年(1931年)ですが、


昭和2年(1927年)に小田急線が開通し、昭和5年(1932年)に「喜多見村大字喜多見成城」と、「成城」が地名としてやっと取り入れられることになった時でも、


当時の成城の人々の心は(特に昔からいる人々は)、まだまだ喜多見に依存している状況だったのではないのでしょうか。




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(「岡本八幡神社」と「喜多見氷川神社」)


また、成城と同じ喜多見地区に属する岡本に鎮座する「岡本八幡神社」(下の写真)があります(世田谷区岡本2-21-2)。
岡本八幡神社 成城再訪2-3


岡本在住の松任谷由実(ユーミン)が奉納した燈篭(下の写真)などがあることでも知られている神社ですが、
岡本八幡神社 灯籠 松任谷由実 成城再訪2-3


「喜多見氷川神社」(世田谷区喜多見4-26-1)の兼務社だということも、成城や岡本を含む砧地域で喜多見が中心地であったことを窺わせます。


参考記事:昔と現在でブランド力が逆転している地域の他の事例に関しては、川崎にあった二子村のブランド力を使って振興を図った「二子玉川」について調べた、「川崎のブランド力を利用した「二子玉川」~二子玉川界隈散策シリーズ(2)」をご覧ください。

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今回の記事で、12回にわたって掲載してきた「成城散策・新シリーズ」を終了します。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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