【成城・砧】松田聖子の自宅、渡辺謙(南果歩)の自宅を探訪~成城1,2,3丁目~成城散策・新シリーズ(4):M2ビル/耕雲寺
- 2023/07/23
- 19:31
前回の『「中村雅俊・五十嵐淳子夫妻、財津和夫、赤井英和の自宅」と「国分寺崖線の湧水」を探訪しながら成城1,2,3丁目を散策~成城散策・新シリーズ(3)』では、成城1,2,3丁目を散策しながら、
「財津和夫、赤井英和、中村雅俊・五十嵐淳子夫妻の自宅」と「国分寺崖線下の湧水」を探訪しました。
今回は、「成城1,2,3丁目~成城再訪サブシリーズ」の最終回として、
松田聖子の自宅と旧宅、渡辺謙(南果歩)の自宅を探訪しながら、成城、砧を散策します。
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世田谷区成城散策については、4回にわたって掲載した「芸能人・文士の自宅を探訪しながら成城学園散策シリーズ」がありますが、
本記事を含む「成城散策再訪シリーズ」では、新たに得た情報を加味しながら成城を再訪します。
成城は1丁目~9丁目までの広い区域にまたがりますので、以下のような3つのサブシリーズに分けて散策します。
(1)「プロローグ:成城概観」
(2)「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら成城1,2,3丁目散策サブシリーズ」(3回にわたり掲載)
(3)「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら成城4,5,6丁目散策サブシリーズ」(6回にわたり掲載)
(5)番外編:「喜多見が主流で成城は傍流」
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(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(松田聖子の自宅①:世田谷区成城の自宅)
この界隈には松田聖子の自宅があります。旗竿地になっており、入口の他は建物の一部しか見ることができません。
報道記事(女性自身)によれば、
事務所としても使われていた建物を建て替えたもので、約100坪の土地に、地上2階、地下1階建ての邸宅で、
土地を合わせた資産評価は5億円だそうです。
また、地下にはレコーディングスタジオまで備えているとのことです。
下の写真は別のアングルから見た松田聖子の自宅の一部です。
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(松田聖子の自宅②:世田谷区砧の旧宅)
また、下の写真は成城の隣町「砧(きぬた)」にある松田聖子の旧宅です。下記報道で公表されているので、そのままの写真を掲載しています。
この旧宅について、週刊誌の報道記事(女性自身、2023年1月)には、以下のような記述(抜粋)がありました。
「松田聖子が神田正輝との新婚生活を始めた家で、1986年(昭和61年)に新築され、同じ年に神田沙也加さんが生まれた」
「地下室付きの邸宅は、現在は『成城松村クリニック』が開業している」
「熱烈な聖子ファンでもある松村さん。一時は聖子の事務所として使用されていたこの建物が取り壊されることになったと聞くと、聖子の母・一子さんに直談判。ここでクリニックを開くことを認めてもらったという。・・・(中略)・・・内装にはほとんど手を加えず、家具なども一部は使い続けている。・・・『今の診察室はもともと応接室だったそうです。当時の椅子や戸棚もそのままです』」
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(松田聖子の自宅③:旧宅に住んでいた頃の神田正輝と神田沙也加のエピソード)【追記】
別の報道記事(AERA dot. 2021年12月)には、この旧宅(現・成城松村クリニック)で松田聖子・神田正輝夫妻と幼かった神田沙也加が住んでいた時の様子の記述があります(以下がその引用部分)。
当時、その辺りに住んでいたという40代の会社員男性は、偶然、神田正輝さんと沙也加さんが歩いているところに出くわしたときを、こう振り返る。
「もう25年以上前になりますが、幼かった沙也加さんと神田正輝さんが一緒に歩いているところを見ました。小田急線沿いで今は高架線になっている場所ですが、当時は電車が真横を走り、人がすれ違うのがやっとの線路沿いの脇道。薄暗い場所でしたがニッコリ笑って何か話していました。いまから思えば沙也加さんのために、あえてひと目が少ない道を神田さんが選んでいたのかもしれませんね」
「25年以上前」と書かれているので、神田沙也加が10歳以下の時と思われますが、父娘の絆の深さを示すエピソードです。
当時のその場所を示すと以下の通りです(上記の通り、旧宅が「成城松村クリニック」であることが公表されているので、地図上で場所を特定しています)
(成城学園前駅にある地図を筆者が加工)
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(砧散策)
さて、松田聖子の旧宅が隣町の「砧(きぬた)」にあったので、世田谷区砧の散策をしてみたいと思います。
「砧(きぬた)」とは珍しい地名ですが、
以下の3点について、『「砧」の由来~砧線跡散策(1)~二子玉川散策(再訪)番外編』で詳しく書きましたので、ご関心のある方はこちらをご覧ください。
●明治22年(1889年)、市町村制が施行され複数の村が合併した際、新しい村の名前として採用されたこと
●現在は、世田谷区内に5つある総合支所の一つとして「砧総合支所管区」が設置されていること
●砧村だった地域には、今でも「砧」を冠する施設が多く存在していること
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(砧散策①:東京メディアシティー(砧スタジオ))
砧にはテレビのCM撮影、映画撮影のスタジオとして使用されている東京メディアシティー(砧スタジオ)があります(世田谷区砧5丁目7-1)。
スマスマ(SMAP×SMAP)の撮影を以前やっていた頃は出待ちの人で賑わっていたそうです。
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(砧散策②:異形の建物2つ 「M2ビル」と「耕雲寺」)
砧には異形の建物が2つあります。
一つは環七沿いにある「M2ビル」(下の写真)です(世田谷区砧2-4-27)。
上部にある円柱は古代ギリシア中期の建築様式であるイオニア式柱頭をモチーフにしているそうです。
マツダの東京拠点の一つとして建てられ、「2つ目のマツダ」から「M2ビル」と呼ばれるようになったそうです。現在は「東京メモリードホール」として葬儀会社の施設となっています。
隈研吾デザインの斬新なビルですが、隈研吾自身は「M2がトラウマになり、埋めればいいと考えた時期もあった」と語っています。隈研吾作品としてはずいぶんと異質ですね。
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もう一つは曹洞宗の寺院・耕雲寺です(世田谷区砧7丁目12-22)。
この耕雲寺のある地形はすり鉢状であったため、その地形を生かしつつ、現代建築と伝統建築を融合した建物となっています。
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(旧住居表示の表札)
旧住居表示の表札です。
散策していると旧住居表示の表札が時々目に飛び込んでくるのですが、砧でも旧住居表示の表札を見つけました。昭和46年(1971年)5月以前に存在した「砧町」と書かれた表札です。
(旧住居表示のため現在の場所を特定することは困難ですので全住所を開示しています)
参考記事:この他に、旧住所表示の表札について書いた記事として、以下の記事があります。
(1)「區森大」の表札について書いた記事
(2)渋谷区が東京都(当時は「東京市」)に編入される以前の旧住居表示について書いた記事
(3)「區谷四」の表札について書いた記事
(4)目黒区に衾町(ふすままち)があった当時の旧住居表示について書いた記事
(5)「區並杉」の表札について書いた記事
(6)二子玉川にある旧住居表の表札について書いた記事
(7)川崎市二子新地にある旧住居表の表札について書いた記事
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(渡辺謙の自宅(現在は南果歩の自宅))
世田谷区砧には渡辺謙の自宅(旧宅)があります。
渡辺謙が南果歩と暮らした自宅ですが、離婚後は南果歩の自宅となっています。
入口には
「MINAMI」と書かれた表札がありました。
「MINAMI」の表札の上にあるのは同居人の表札だと書かれているサイトがありますが、同居人ではなく事務所の名称です。また、以前はここに「WATANABE」の表札があったようですが現在はありませんでした。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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次回の記事からは「成城4,5,6丁目~成城再訪サブシリーズ」が始まります。
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