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成城散策・新シリーズ(1)~プロローグ~成城概観

本記事から始まる「成城散策・新シリーズ」のタイトルは「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら成城散策・新シリーズ」ですが、

今回の記事(プロローグ)では芸能人・著名人の自宅を探訪しません。芸能人・著名人の自宅探訪については次回の記事から始まります。

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世田谷区成城散策については、


今回の「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら成城散策・新シリーズ」では、新たに得た情報を加味しながら成城を再訪します。

成城は1丁目~9丁目までの広い区域にまたがりますので、以下のようにサブシリーズに分けて散策します。また、番外編として「喜多見が主流で成城は傍流」があります。

(1)「プロローグ:成城概観」(今回の記事)




(5)番外編:「喜多見が主流で成城は傍流」

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(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。






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成城を散策するにあたり、まず、成城の成り立ち、成城の地形から調べてみます。


(成城の成り立ち①:年表)


大正12年(1923年)関東大震災⇒東京近郊の農村地帯に人口流入が始まる

大正14年(1925年)成城第二中学校と併設の小学校が牛込区(現在の新宿区の一部)から移転(当時は「砧村大字喜多見」)

大正15年(1926年)土地の区画整理を行い、街づくりに着手

昭和2年(1927年) 小田急線の開通。「成城学園前駅」の設置

昭和5年(1932年)「喜多見村大字喜多見成城」と、「成城」が地名として取り入れられる

昭和7年(1932年)・東京35区の成立。成城は、まだ東京市(世田谷区)に入っていない
         ・東宝の前身であるP.C.L(写真科学研究所)が撮影用の大ステージを建設。東宝
撮影所、砧撮影所などと呼ばれるようになる

昭和11年(1936年)成城が東京市世田谷区に編入

昭和45年(1970年)隣接する祖師谷と喜多見、砧町の一部を併合し、成城1~9丁目という現在の住居表示に変更(※)




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(喜多見の一部が成城に併合されたことを示す痕跡)


(※)

成城3丁目を散策している時に、昭和45年(1970年)に喜多見の一部が成城に併合されたことを示す痕跡を見つけました。


「喜多見」を冠した「世田谷区立喜多見保育園」(昭和42年設立)が成城3丁目にあります。
喜多見が成城に併合されたことの痕跡 成城再訪プロローグ


昭和42年(1967年)に喜多見で設立された保育園が、昭和45年(1970年)に成城に住所変更された後も「喜多見保育園」と名称を変えなかったためと考えられます。




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(成城の成り立ち②:田園調布との違い)


(1)素人がつくった街

成城の街をつくったのは成城小学校の主事(後に校長)であった小原國芳でした。

理想の一貫教育を行うには郊外に広いキャンパスが必要と考え、現在の地(当時は「砧村大字喜多見」)を選び、学園と住宅地の建設を始めました。

田園都市株式会社というれっきとした宅地開発会社がつくった田園調布と異なり、素人がつくった街なので「場当たり的な」宅地開発でした。

高台にあるため井戸を相当深く掘らないと水が出ず、さらに井戸による給水では十分ではなかったため昭和3年(1928年)には荒川水道組合長に嘆願書を出しています。

また、電気もないので当初はランプ生活だったそうです。

下の写真は、昭和初期の空から見た昭和初期の成城学園の様子。家がまばらにしかないことが分かります。
昭和初期の成城(空中写真)成城再訪プロローグ
(出典:旧山田家住宅の展示)


なお、成城学園が分譲した宅地は駅の北側部分のみで、南側は多摩の大地主・鈴木久弥の土地分譲で、このことは現在でも街並みに影響を与えています。




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(2)転機は「小田急線の開通」と「東宝撮影所」 

成城学園が越してきた当時の地名は「砧村大字喜多見」の一部で、

大正14年(1925年)に成城学園が東京府に校舎移転の申請をした書類には、「雑木林で立木が多く湘南の連峰を望む空気の良い地域」であったという記述があります。

また、「松、ナラ、クヌギ、栗などの生い茂った一面の雑木林で喜多見上の台(注:喜多見の小字名)に農家の聚落(集落)があったきり、他に住む家はなく、ひどい山林で、台地の中には道らしい道もなかった」(「私の武蔵野」永島富士夫)といった様子でした。

なお、この当時は、現在の喜多見地域の方が成城地域よりはるかに発展した場所でしたが、これについては番外編の記事で詳しく書く予定です。


①小田急線の開通

このような中、最初の転機となったのが「小田急線の開通」でした(成城学園がこの地に移転した大きな理由は「小田急線の開通」を見越したからです)。

この開通を機に、学園関係者以外の人々も成城に移り住むようになります。下の写真は唱和6年当時の成城学園駅。
昭和6年当時の成城学園前駅 成城再訪プロローグ
(出典:旧山田家住宅の展示)


②東宝撮影所の建設

昭和7年(1932年)に東宝の前身であるP.C.L(写真科学研究所)が撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれるようになりました。

これにより文化人のみならず、多くの映画監督やスター俳優たちが住む街になっていきました。

田園調布が会社の社長や著名人が多く住む街に対し、成城は芸能人が多く住む街になっているのは、ここが原点となっています。





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(成城全体図と地形)


下の写真は、成城1~9丁目の全体地図です。
成城全体図 成城自治会HP 成城再訪プロローグ
(出典:成城自治会HP)

成城を「1,2,3丁目」「4,5,6丁目」「7,8,9丁目」と3つのサブシリーズに分けて散策することついては上述しました。


また、下の写真は成城エリアのジオラマです。
成城 ジオラマ 成城再訪プロローグ
(出典:世田谷区郷土資料館の展示)


坂道の多い田園調布とは異なり、成城は(川沿いの高低差のある崖(国分寺崖線)を除けば)仙川と野川に挟まれた平たんな台地に広がる街となっています。




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(成城に残る砧村の痕跡)


冒頭の年表で書いたように、

当初は「成城」の地名はなく、「砧村大字喜多見」でした。

この砧村だった痕跡を見てみましょう。

①成城自治会の広報誌の名称は「成城」ではなく、そのものズバリの「砧」(『「砧」地名の由来~砧線・廃線跡散策(1)~二子玉川散策(再訪)番外編』参照)
成城自治会広報誌 砧線散策1


②成城2丁目にある銀行の支店名は「成城支店」ではなく「砧支店」
城南信用金庫砧支店 成城再訪プロローグ


③成城5丁目にある老舗古書店の名称は「キヌタ文庫」
キヌタ文庫2 成城再訪プロローグ

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次回の記事は、「芸能人・著名人の自宅を探訪しながら成城1,2,3丁目散策サブシリーズ」の第1回目の記事となります。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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