北町奉行所跡、迷子の碑などを散策~【日本橋】日本橋2・3丁目・八重洲散策(最終回)
- 2023/05/26
- 06:58
だいぶ時間が空きましたが、今回は日本橋散策になります。
八重洲地下街などを散策しましたが、
今回は、「日本橋1・2・3丁目、八重洲散策サブシリーズ」(4回にわたり掲載)の最終回として、北町奉行所跡や迷子の碑などを見ていきます。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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(参考:今までの日本橋散策記事)
日本橋散策については、今まで、以下のような9つのサブシリーズと1つの番外編を掲載してきました。
①「日本橋堀留町・小舟町散策サブシリーズ」:江戸時代に大変賑わい、浅草寺の大提灯にその名を今でも残している「日本橋堀留町・小舟町」散策(3回にわたり掲載)、
②「日本橋人形町二丁目・富沢町散策サブシリーズ」:花街や遊郭の名残を残す「日本橋人形町二丁目・富沢町」散策(3回にわたり掲載)
③「日本橋蛎殻町サブシリーズ」:水天宮や、東京シティエアーターミナルがある「日本橋蛎殻町」散策(2回にわたり掲載)
④「橋梁としての日本橋サブシリーズ」:橋としての日本橋を様々な視点から見た散策(3回にわたり掲載)
⑤(番外編)「見どころの多い中央区新川散策シリーズ」:日本橋と比べると存在感の少ない新川地区ですが、散策すると多くの見どころを見つけることができる新川地区を散策した番外編(6回にわたり掲載)
⑥「日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋散策サブシリーズ」:伝馬町牢屋敷跡、浜町川跡の暗渠散策、東日本橋界隈を散策(3回にわたり掲載)
⑦「日本橋小網町・人形町1丁目を散策サブシリーズ」:人形町にあった「元吉原」に通じる橋である「親父橋跡」、西郷隆盛屋敷跡などを散策しながらレストラン・カフェ巡り(2回にわたり掲載)
⑧「日本橋浜町→深川散策サブシリーズ」:日本橋浜町の散策と隅田川を渡って江東区深川を散策(3回にわたり掲載)
⑨「日本橋兜町・茅場町散策サブシリーズ」:東京証券取引所があり、日本の金融界の中心地である日本橋兜町・茅場町界隈を散策(3回にわたり掲載)
⑩「日本橋1・2・3丁目・八重洲散策サブシリーズ」:江戸時代から続く老舗店が多くある日本橋1・2・3丁目、江戸時代から続く町人(庶民)の街・八重洲地区を散策(4回にわたり掲載)。
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(北町奉行所)
町人地であった中央区八重洲から外堀通りを渡ると、千代田区になり、旧武家地の地区になります。
ここには「北町奉行所跡」があります。
その説明版です。
町人の街である八重洲近くに奉行所を置いて、さまざまな業務にあたったと考えられます。
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(竹久夢二港屋跡)
「北町奉行所跡」から、再度、中央通りを渡り、日本橋川方向に向かうと、みずほ銀行の横に「竹久夢二港屋跡」の碑があります(中央区八重洲1丁目2)。
竹久夢二のデザインした絵がはめ込まれた美しい碑です。
竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などとも呼ばれました。
大正3年(1914年)に、この地で「港屋絵草紙店」を開店しましたが、美術家自身がその作品を商品化し販売する店を作ったという点で「港屋絵草紙店」は日本の商業美術史上重要な意義を持つものです。
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なお、中央区浜町には、「【日本橋】日本橋浜町→深川散策(1)」でご紹介した、竹久夢二のファンが運営している「港屋絵草紙店」があり(下の写真)、
竹久夢二関連の絵やグッズの販売などをしています(中央区東日本橋2-18-13港屋ビル)。
お店の方に伺ったところ、「竹久夢二の孫の方から店名を使用する許可を得て経営している。地方からもファンが訪れる」とのことでした。
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(一石橋:迷子の碑)
「竹久夢二港屋跡」から、「一石橋」(いちこくばし いっこくばし)に向かいます。
大正11年(1922年)に架けられた先代の橋の親柱が残っています(中央区日本橋石町1-1-2)。
また、ここには安政4年(1857年)に西川岸町の家主たちが設置した「迷子のしらせ石」がオリジナルのまま残っています。
その「迷子のしらせ石」です。
江戸時代、この付近は大変な盛り場で迷子が多く、迷子探しのための告知石が建立されました。
100万都市・江戸の喧騒を今に伝えています。
江戸時代の盛り場だった、浅草の浅草寺境内にも「迷子の知らせ石」がありますが、これは復元されたもので、オリジナルではありません(下の写真)。
(出典:東京都教育委員会。浅草迷子しらせ石標)
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(西川岸橋)(地蔵堂)
「一石橋」近くにある「西河岸橋」(にしがしばし)に行きます。
ここは、日本橋全景のビューポイントとなっています。
また、この近くには、「西川岸地蔵寺」があります(中央区八重洲1-2-5)。
「銀座の中心地で神社巡り~銀座散策~神社・裏路地巡り~(6)」で、江戸幕府が江戸城周辺の土地を確保するために、外堀の内側にあった寺院を外側に移転させたために、
今でも外堀の内側には寺院が少ないことを書きました。
この寺院は外堀の内側にある珍しい寺院ですが、
大正4年(1915年)にこの地に建てられたため、外堀内にある数少ない寺院となっているのでした。
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これで、4回にわたり掲載した「日本橋1・2・3丁目、八重洲散策サブシリーズ」を追え、
次回の記事では、「日本橋散策シリーズ」最後のサブシリーズとなる「日本橋室町・本町散策サブシリーズ」を開始します。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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