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山下真司の自宅、モト冬樹の自宅を探訪しながら世田谷区深沢再訪(1):兎々呂城跡/清明邸/世田谷三大地主/膳場貴子/秋山の森と旧秋山邸

芸能人・著名人の自宅を探訪しながら世田谷区深沢を散策した記事としては、「芸能人の自宅を探訪しながら桜新町・深沢・用賀散策シリーズ」(6回にわたって掲載)がありますが、

今回は、深沢界隈で新たに得た情報を元にして世田谷区深沢を再訪してみます。

第一回目の今回は、山下真司の自宅、モト冬樹の自宅を探訪しながら、兎々呂城跡、清明邸、秋山の森と旧秋山邸などのある世田谷区深沢を散策します。


(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。






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(兎々呂城(とどろじょう)跡)


まず、『「芸能人の自宅」と「旧玉川村の痕跡」を探訪~等々力散策(2)』でご紹介した、「等々力」の地名由来となったとされる「兎々呂城(とどろじょう)跡」に行ってみます。

都立園芸高校の(世田谷区深沢5-38-1)
都立園芸高校 深沢再訪1


正面入り口脇に
都立園芸高校正面 深沢再訪1


「兎々呂城」(とどろじょう)と書かれた石碑があります。
兎々呂城石碑 深沢再訪1




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「兎々呂城」(別名:深沢城)は戦国時代に北条氏に仕えた南条右京亮重長の居城だったとされています。

本ブログでご紹介した「世田谷城」、「瀬田城」と同じく(下記「参考記事」を参照)、

低地や川を臨む高台に造られ、土塁と空堀に囲まれた「山城(やまじろ)」だったと考えられます。

「兎々呂城」は都立園芸高校か玉川警察署付近にあった由で、谷沢川、呑川やそれらに注ぐ支流に囲まれた高台に位置し、地形的に見た「山城」の原則に一致します。

下のジオラマを見ると「兎々呂城」のあった場所は、谷沢川、呑川の分水嶺のあたり(つまり一番高い場所)にあったことが分かります。
兎々呂城 ジオラマ 深沢再訪1
(出典:野川流域インフォメーションセンターの展示を筆者が加工)


下の写真は「山城」のイメージ図で、平地に造られた近代の「平城(ひらじろ)」とは異なる無骨なイメージの城でした。
太田道灌が築城した江戸城 世田谷線の旅6
(出典:東京国際フォーラム)


参考記事:本ブログで紹介した山城の記事は以下の通りです。






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(清明邸)


次に、この都立園芸高校を北上して都立深沢高校に行きます(世田谷区深沢7-7-1)。

深沢高校敷地内には、わかもと製薬株式会社の創業者・長尾鉄弥の邸宅(※)の離れとして造られ、

東京都選定歴史建造物に指定されている「清明邸」があります。
清明邸1 深沢再訪1

清明邸2 深沢再訪1


東京都が長尾鉄弥の邸宅があった敷地を買い上げ、昭和38年(1963年)に深沢高校を開設した際に、高校の敷地の一角に残されたものです。

学校施設として利用され、普段は非公開ですが、見学会もあるようなので、その際は是非訪れてみたい建物です。

(※)本邸の好田荘は解体されてしまいましたが、離れの清明邸だけが残されました。近衛文麿は昭和20年(1945年)の荻窪荻外荘での自殺直前まで、この本邸・好田荘で過ごしていたそうです。
 なお、「砧線散策(最終回)~二子玉川散策(再訪)番外編」で訪れた「砧本村」のバス停の目の前に「わかもと製薬」の工場がありました(現在は駒沢大学キャンパス)。




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(山下真司の自宅)


このような深沢界隈に、山下真司の自宅があります。
山下真司の自宅1 深沢再訪1

山下真司の自宅2 深沢再訪1


入口には
山下真司の自宅 入口 深沢再訪1


「Yamashita」と書かれたお洒落な表札がありました。小さなアクセサリーが「Y」と「t」の部分に掛けられています。
山下真司の自宅 表札1 深沢再訪1

山下真司の自宅 表札2 深沢再訪1


参考記事:世田谷区岡本にあった山下真司の旧宅については『「大原麗子が通った近所のトンカツ屋」と「大原麗子の自宅(旧宅)」』をご覧ください。




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(モト冬樹の自宅)


世田谷区深沢にある、モト冬樹(本名:武東 裕男(むとう ひろお))の自宅です。旗竿地になっているため入口と自宅の一部しか見えません。
モト冬樹の自宅 深沢再訪1


入口には、
モト冬樹の自宅 入口 深沢再訪1


本名である「武東」と書かれた表札がありました。
モト冬樹の自宅 表札


(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。




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(秋山の森と旧秋山邸)


また、深沢界隈には世田谷三大地主の一つと言われている「秋山家」の邸宅があります。

散策していると突然深い森のような一角が現れますが、
旧秋山邸1 深沢再訪1


秋山家の邸宅がある敷地です。
旧秋山邸2 深沢再訪1


「秋山の森と旧秋山邸」として「せたがや地域風景資産」として世田谷区が指定していしており、googleマップにも書かれています(世田谷区深沢6-10-1)。

しかし、非公開で敷地内に入ることはできません。
旧秋山邸3 深沢再訪1


敷地内には今でも湧水があり呑川源流の一つである小川が邸内を流れ、ホタルもいるそうです。




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下の写真は、世田谷区喜多見の次大夫堀公園民家園に移築された旧秋山家住宅の土蔵(文政13年(1830年)に建築された穀倉)。旧秋山邸 土蔵 深沢再訪1


説明版には、「秋山家は旧深沢村の旧家の一つで、元和から寛永年間(1615~1643)に烏山の秋山喜兵衛家から分家し、深沢に移ったとされています」と書かれています。
旧秋山邸 土蔵説明版 深沢再訪1




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(世田谷三大地主と膳場貴子)


上で秋山家は世田谷三大地主の一つと言われていると書きましたが、他の2つの世田谷三大地主は「大場家」、「膳場家」と言われています。

「大場家」は世田谷代官を代々務めた家系で、「ガクト、ピエール瀧の自宅を探訪しながら散策~世田谷線の旅(5)」でご紹介したことがあります。

「膳場家」(ぜんばけ)は、鎌倉時代に世田谷を領した吉良氏の配下膳場将監の子孫にあたる家系で、下北沢界隈の地主です。


なお、元NHKアナウンサーの膳場貴子(ぜんば たかこ。下の写真)の実家はこの膳場家の家系にあたります。
膳場貴子 深沢再訪1
(出典:TBSテレビ:NEWS23Xキャスター紹介)


参考記事:人形町の老舗料亭「濱田屋」が実家の、フジテレビアナウンサー・三田友梨佳(愛称:ミタパン)については、「【日本橋】三田友梨佳の実家~花街・元吉原の名残~日本橋人形町2丁目・富沢町散策(1)」をご覧ください。

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次回の記事では、引き続き芸能人・著名人の自宅を探訪しながら深沢界隈を散策します。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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