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「砧」地名の由来~砧線・廃線跡散策(1)~二子玉川散策(再訪)番外編

今回は、「二子玉川散策(再訪)シリーズ」の番外編として、かつて存在した「砧線(きぬたせん)」の跡を散策してみます。

初回の今回は、「砧」の地名の由来についても考察してみます。


「二子玉川散策(再訪)シリーズ」(7回にわたり掲載)の番外編として以下の3つのシリーズがあります。

(1)「二子新地散策シリーズ」(4回にわたり掲載)


(3)「東急砧線の廃線跡散策シリーズ」(本記事のシリーズ。3回にわたり掲載)


参考記事:「世田谷線の旅シリーズ」(10回にわたって掲載)

☆☆☆

(※)廃線跡、花街など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。





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(砧線とは?)


多摩川の砂利採掘は江戸時代から始まっていますが、全長2.2キロメートルの砧線は大正13年(1924年)二子橋の上流にある砧村の砂利の輸送を目的に開通しました。

これから歩く途中にある説明版(下の写真)を引用すると、
砧線解説版 砧線跡散策1


「この歩道は新玉川線の前身である玉川電気鉄道(1907年開通)の砧支線跡地です。砧線は1924年、瀬田河原一帯から採れる砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市内へ運ぶためにつくられました。
 そして、当時の東京市民がまだ郊外であった多摩川辺りに繰り出す足としても使われました」

とあります。

砂利採掘は護岸堤防の破壊、川床面の低下による農業用水の取水難、水質汚濁による漁業への悪影響などで砂利採掘が昭和40年(1965年)に全面禁止となりました。

戦後、砧線は通勤通学、生活路線にシフトし活用されていましたが、昭和44年(1969年)廃線となりました(現在は、砧線に替わって「二子玉川-砧本村」間を東急バスが運行)。




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下の写真は、始発駅である「二子玉川園」砧線ホーム。砧線は6番ホームから出発していました(廃線直前の昭和44年(1969年)撮影)。
二子玉川園駅 砧線跡散策1
(出典:玉電と郷土の歴史館)


下の写真は、昭和戦前期の「玉川電車沿線案内」(昭和戦前期)と
玉川電車沿革案内 砧線跡散策1
(出典:「発掘写真で訪ねる世田谷区古地図散歩」(フォト・パブリッシング))


砧線部分の拡大写真です。
玉川電車沿革案内 拡大 砧線跡散策1
(出典:「発掘写真で訪ねる世田谷区古地図散歩」(フォト・パブリッシング))




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(「砧」とは:古代、朝廷に納めた税に由来する)


「砧(きぬた)」は、多摩川に住みついた朝鮮半島からの渡来人が7~8世紀ごろ朝廷に納める布を衣板(きぬいた)でたたいて柔らかくし、つやを出すために使った道具です。

下の写真は、「石の上に置かれた布と砧」と
石の上に置かれた布と砧 砧線跡散策1
(出典:Wikipedia)


「砧を打つ女性」
砧を打つ女性 砧線跡散策1
(出典:Wikipedia)




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(「砧」地名の由来)


地名についての「砧(きぬた)」は、

明治22年(1889年)、市町村制が施行され複数の村が合併した際、新しい村の名前として、この地域が奈良・平安時代から絹織物の生産が盛んであったことから「砧」の名前を採用して「北多摩郡砧村」としたそうです。

一時期、「砧」という地名は消滅しましたが、

現在は、世田谷区内に5つある総合支所の一つとして「砧総合支所管区」が設置されました(緑色の区域)。
砧総合支所管区 砧線跡散策1
(出典:世田谷区HP。筆者が加工)




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「砧総合支所」の中の一部地域が「砧町」(1丁目~8丁目)となっていますが、

砧村だった地域には、今でも「砧」を冠する名称が多く存在します。

例えば、高級住宅地として全国的に知られている成城の自治会(成城自治会)広報誌の名称は、そのものズバリの「砧」ですし、
成城自治会広報誌 砧線散策1


その他に、成城には「砧中学校」
砧中学校 砧線跡散策1


喜多見には「砧下浄水所」(きぬたした じょうすいじょう)
砧下浄水所 砧線跡散策1


鎌田には「砧南小学校」などがあります。
砧南小学校 砧線跡散策1


参考記事:砧にある松本聖子の旧宅については、『【成城】「松田聖子の自宅と旧宅」と「パンが美味しいお洒落なカフェ」』を参照してください。

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また、多摩川流域には「調布」「田園調布」という「調布」のつく地名がありますが、

古代、朝鮮半島からの渡来人によって麻が栽培され、多摩川の水にさらして布を織り、調(税)として納めたことに由来します。

このように、このあたりの多摩川流域一帯には、「布田」「布多天神社」など朝廷に納めた「布」に由来する名を見ることができます。


(※)廃線跡、花街など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

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次回の記事では、砧線跡をポイントごとに訪れ散策します。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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