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二子新地・花街の痕跡~二子新地散策(2)~二子玉川散策番外編:料亭やよい


二子玉川駅から多摩川を渡って二子新地へ行き、この地が岡本かの子の曽祖父が開いた花街であったことを書きました。

今回は、二子新地にあった花街の痕跡を具体的に見ていきます。

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(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。




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(二子新地の花街の痕跡①:料亭 やよい)


前回の記事でも書きましたが、二子新地には「料亭 やよい」が唯一の料亭として残っています。
料亭やよい2 二子新地散策2

料亭やよい1 二子新地散策2


下の写真のように昔の料亭の雰囲気を今にとどめています。
料亭やよい3 二子新地散策2

料亭やよい4 二子新地散策2


「料亭 やよい」の女将はインタビュー記事で以下のように述べています。

「高度成長期とともに景気がよくなると、だんだん成り手がすくなくなりましてね。それで、このあたりのお店全部が一斉にやめて三業地組合も解散しましょうって話が出たんですけど、あたしはやめないで続けることにしたんです。うちはそれまでもお料理だけでやってましたから、芸者さんがいなくなっても続けられると思いましてね」

「あたしが生きている間は、「やよい」って屋号は残してほしいって。娘や孫にいっているんです」

下の写真は「「たかつ ひとまち記憶 高津市制40周年記念誌」に掲載されたインタビュー記事。
料亭やよい女将インタビュー記事 二子新地散策2
(出典:「たかつ ひとまち記憶 高津市制40周年記念誌」)




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(二子新地の花街の痕跡②:電柱のプレート)


電柱には昔ながらの歴史や地名を表記する番号札が掲げられていることがあるのですが、

「料亭 やよい」周辺の電信柱には「弥生」と書かれたプレートがありました。
料亭やよい 電柱 二子新地散策2


電柱は、大きく分けて、通信会社(NTT)が設置する「電信柱」と東電などの電力会社が電力供給のために設置する「電力柱」がありますが、

上のプレートは、NTTが設置したプレートで、NTTのプレートの方が種類が豊富で、地域の旧地名や由来を示していることが多々あります。

散策をしていて、下を見れば戦前からのマンホールがあったり、上を見れば地域の旧地名や由来を示すプレートがあったりします。


参考記事:二子玉川に現在もある、戦前からのマンホールについては「近代化された二子玉川に残された過去の痕跡~二子玉川界隈散策シリーズ(3)」をご覧ください。




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(「三業地(さんぎょうち)」について)


以下の記事で「三業地」という言葉が出てきますので、「三業地」について簡単に説明します。

「三業地(さんぎょうち)」とは、

①「芸者置屋(いわゆる芸能事務所)」、②「料亭」、③「待合(芸妓との遊興や飲食を目的として利用される場所)」が三位一体となって営業することを許可されたエリアで、「花柳界」「花街」と同義語です。


(二子新地の花街の痕跡②:二子神社にある「三業地組合」の文字)


大山街道沿いに二子神社がありますが(川崎市高津区二子1-2-18)、
二子神社 二子新地散策2


本殿脇にある「出世稲荷社」の
出世稲荷1 二子新地散策2


扁額(へんがく)には
出世稲荷2 二子新地散策2


「二子三業組合」の文字が書かれています。
出世稲荷3 二子新地散策2


昭和5年三業組合が伏見稲荷から稲荷を勧請して、二子神社にこの稲荷を寄進しました。




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(岡本かの子記念文学碑)


なお、この二子神社の近くには、「岡本かの子記念文学碑」があり、
岡本かの子文学記念碑 二子新地散策2


岡本かの子の長男である岡本太郎の作品が置かれています。
岡本太郎の作品 二子新地散策2


岡本かの子の実家はこの「二子」の地で代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商の大貫家で、

「大山街道ふるさと館」で展示されていた古地図をみると、「名主 大貫寅吉」「大貫三之丞」「大貫吉之丞 酒造」「大貫勝五郎 酒屋」「提灯屋 大貫儀右衛門」など大貫家の名前があります。
古地図 大貫家 二子新地散策2
(出典:「大山街道ふるさと館」 筆者が加工)

大貫家が「二子」の地で有力一族(大地主)であったことがよく分かります。

今でも一族の方が、この界隈に住んでいるようです。
大貫家表札 二子新地散策2




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(二子新地の花街の痕跡③:「二子三業組合」の文字があるプレートが付けられた街灯)


二子新地の三業地があった区域を歩いていると、下の写真のような古い街灯がところどころにありますが、
古い街灯 二子新地散策2


この街灯に「二子三業組合」の文字が書かれたプレートがつけられています。
古い街灯 プレート 二子新地散策2


下の写真は、二子神社の鳥居脇にある街灯ですが、
鳥居脇の街灯 二子新地散策2


その街灯にも「二子三業組合」の銘があるプレートがつけられています。
鳥居脇の街灯 プレート 二子新地散策2


なくなった二子三業組合ですが、今でも二子の街を照らして住民を守ってくれています。

壊れかけているのもあり、この貴重な痕跡も将来は失われていくのかもしれません。
壊れかけているプレート 二子新地散策2




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(二子新地の花街の痕跡④:ハイツ幸林)


下の地図は、「「たかつ ひとまち記憶 高津市制40周年記念誌」で掲載された、古老が描いた地図を拡大したものですが、「幸林」という料亭の名があります。上述した「料亭 やよい」の名前もあります。
古地図 二子新地散策2


今でも、同じ場所に「ハイツ幸林」というアパートがあり、業態は変わっても名前は昔のまま残されています。
ハイツ幸林 二子新地散策2




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(旧住居表示の表札)


この界隈を歩いていると旧住居表示の表札がありました。丁目ができる以前の住所です。
昔の住居表示 二子新地散策2
(旧住居表示のため現在の場所を特定することは困難なことから全住所を開示しています)


参考記事:この他に、旧住所表示の表札について書いた記事として、以下の記事があります。

(1)「區森大」の表札について書いた記事


(2)渋谷区が東京都(当時は「東京市」)に編入される以前の旧住居表示について書いた記事

(3)「區谷四」の表札について書いた記事

(4)目黒区に衾町(ふすままち)があった当時の旧住居表示について書いた記事

(5)「區並杉」の表札について書いた記事

(6)二子玉川にある旧住居表の表札について書いた記事


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(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

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次回の記事では、二子新地にある大山街道を歩いてみます。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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