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「芸能人の自宅」と「旧玉川村の痕跡」を探訪~等々力散策(2):石塚英彦/草笛光子/吉井和哉・眞鍋かをり夫妻/山崎努/目黒祐樹・江夏夕子夫妻/豊田正治


世田谷区5つのエリアの特色や旧玉川村の歴史について調べてみました。

今回は、玉川地域の中心であった世田谷区等々力を散策しながら、「旧玉川村の痕跡」と石塚英彦、草笛光子、吉井和哉・眞鍋かをり夫妻、山崎努、目黒祐樹・江夏夕子の自宅を探訪します。


参考記事:芸能人の自宅を探訪しながら等々力を含めたエリアを散策した記事として「尾山台・等々力・野毛散策シリーズ」(4回にわたって掲載)があります。

(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。





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「玉川区独立運動」についてご関心のない方は、後半の「芸能人の自宅」(石塚英彦、草笛光子、吉井和哉・眞鍋かをり夫妻、山崎努の自宅)からお読みください。


(世田谷区における玉川地区)


前回の記事でも掲載しましたが、

本記事前半のテーマは、世田谷区の玉川地区(=玉川総合支所管区=旧玉川村)における等々力の位置付けに関する内容なので、世田谷区の5つのエリアの地図を再掲載します。

玉川地区(=玉川総合支所管区=旧玉川村)は世田谷区の南にある空色の地区です。
世田谷区5つのエリアと玉川総合支所管区 等々力散策2
(出典:世田谷区ホームページ)


(玉川地区の中心だった「等々力」)


現在、玉川地区での商業の中心は二子玉川となり、「住みたい街ランキング」などでは二子玉川が上位にランキングされ、

玉川と言えば、人気タウンの「二子玉川」を連想する人が多くなりましたが、

かつて玉川地区の中心は等々力にありました。

そのことを散策しながら見ていきたいと思います。




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(等々力駅)


下の写真は、同じ東急・大井町線の「二子玉川駅」(等々力駅から二駅)とは比べ物にならないほど小さなローカル駅「等々力駅」です。
等々力駅 等々力再訪2


駅舎が踏切の中にある構造になっています。
等々力駅2 等々力散策2

等々力駅3 等々力散策2


下の写真は等々力駅を挟んで走る「上り」と「下り」の電車。
上り電車2 等々力再訪2

下り電車1 等々力再訪2


(「等々力」の地名の由来)


「等々力」の地名は、世田谷区のHPによれば、

「等々力渓谷が今の渓谷の深さになるまでにはいくつかの段階があり、途中に滝ができたりそれが崩壊したり、そしてまた滝ができたりを繰り返したのであろうと推測される。その崩壊の音はまさに轟くような音がしたので、「トドロキ」という地名になったと思われる。」

と書かれていますが、兎々呂城(とどろじょう)の兎々呂が等々力に転訛(てんか)したとする説もあります。

下の写真は、世田谷区深川にある、兎々呂城跡の碑。
兎々呂城跡の碑 等々力再訪2




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(玉川総合支所:玉川区役所になっていたかもしれない庁舎)


駅前には、玉川地区を担当する「玉川総合支所」があります。
玉川総合支所 外観 等々力再訪2  玉川総合支所 看板 等々力再訪2


前回の「「世田谷区の5つのエリア」と「玉川区独立運動」~等々力散策(1)」で書いたように、玉川区の独立運動が功を奏していた場合には「玉川区役所」となっていた庁舎です。

玉川地区は、世田谷区の約1/4を占め渋谷区とほぼ同じ面積を有しているので、玉川区となっても不思議ではありませんでした。

で書いたように、

玉川町にある世田谷区の支所名が「二子玉川」を冠して「二子玉川出張所」「二子玉川分庁舎」としているのは、既に存在していた「玉川総合支所」と混同しないためでした。

このことからも等々力が「玉川地区」の行政上の中心地であったことが分かります。




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(豊田正治村長の記念碑)


この「玉川総合支所」には、玉川地区の「土地整備事業」(玉川全円耕地整理事業)に命懸けで尽力し、現在の玉川地区が高級住宅街になる礎を築いた豊田正治村長(等々力出身)の記念碑があります。
玉川総合支所 豊田正治記念碑 等々力再訪2


下の写真は豊田正治村長の顔の拡大部分。
玉川総合支所 豊田正治記念碑 顔の拡大部分 等々力再訪2




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(世田谷区立玉川小学校)


等々力駅から「等々力通り」を西に向かうと、
等々力通り 等々力再訪2


右手に「玉川小学校発祥之地」碑と
玉川小学校発祥之碑 等々力再訪2


「寺子屋跡」碑があり(「玉川小学校」の前身が「寺子屋」だったのだと推測されます)、
寺子屋跡 等々力再訪2


さらに進むと現在の「玉川小学校」があります。
玉川小学校1 等々力再訪2  玉川小学校2 等々力再訪2


玉川町にある世田谷区立の小学校が、既に存在していた「玉川小学校」と混同しないように、「二子玉川」を冠して「二子玉川小学校」となっていることは、


等々力の玉川小学校は明治7年(1874年)創立、二子玉川小学校は昭和15年(1940年)創立で、等々力の小学校の方がはるかに長い歴史を持ち、教育面でも等々力が玉川地区の中心であったことが分かります。



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(玉川警察署・玉川郵便局・玉川消防署)


等々力駅に戻って「用賀中町通り」を北上していくと、
用賀中町通り 等々力再訪2


「玉川警察署」があります。
玉川警察署 外観 等々力再訪2

玉川警察署 看板 等々力再訪2


世田谷区には、「成城」「北沢」「世田谷」「玉川」に4つの警察署がありますが、そのうちの一つで、このことも等々力が「玉川地区」の中心であったことの名残と考えられます。

この他にも玉川郵便局、
玉川郵便局 等々力再訪2


玉川消防署など「玉川」を冠した行政機関もあります。
玉川消防署 等々力再訪2




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(二子玉川と等々力にある郵便局の違い)


二子玉川にある「二子玉川郵便局」は下の写真のような小さな郵便局ですが、
二子玉川郵便局 等々力再訪2


等々力にある「玉川郵便局」は下の写真のように大きく立派な郵便局です。このことからも等々力が行政の中心地であったことが分かります。
玉川郵便局全景 等々力再訪2




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(玉川神社)


玉川警察署から、旧等々力村の鎮守である「玉川神社」に向かいます(世田谷区等々力3-27-7)。
玉川神社 等々力再訪2


玉川神社の境内には3つの石碑が並んで建っています。
玉川神社 碑1 等々力再訪2


一つは、「郷土開發之偉人 豊田正治翁之碑」と書かれた大きな石碑です。
玉川神社 碑2 等々力再訪2


玉川総合支所にも豊田正治村長の記念碑がありましたが、豊田村長の偉業を顕彰するために地域の人たちによって建てられたものです。




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また、豊田正治翁之の碑の横には、玉川地区の「土地整備事業」(玉川全円耕地整理事業)を行った技術者である高屋直弘翁の留魂碑があります。
玉川神社 碑3 等々力再訪2


さらに、文字が薄れて読みにくいのですが「盤地記念碑」と読める大きな石碑があります。「土地整備事業」(玉川全円耕地整理事業)を記念した碑と思われます。
玉川神社 碑4 等々力再訪2




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この他に、鳥居付近には世田谷区の名木百選に指定されている巨大なクスノキがあります。
玉川神社 クスノキ1 等々力再訪2


その独特の形状から「とっくりクス」と呼ばれているそうです。
玉川神社 クスノキ2 等々力再訪2


さらに、社務所付近には石で作られた獅子のオブジェがあります。
玉川神社 岩獅子1 等々力再訪2


説明版によれば、獅子が千尋の谷に子を突き落とすという故事を模したオブジェだそうです。
玉川神社 岩獅子2 等々力再訪2


(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。




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(満願寺)


玉川神社の隣には、平安時代末期の創建とされる、真言宗智山派の満願寺があります(世田谷区等々力3-15-1)。
満願寺 等々力再訪2


本堂(下の写真)は、
満願寺 本堂 等々力再訪2




と同じく吉田五十八の設計によるものです。





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(野良田村:失われた村名)


ここまで来たついでに、等々力に隣接した世田谷区中町にある世田谷区中町に金剛寺という真言宗智山派の寺院に行ってみます(世田谷区中町2丁目20-11)。
金剛寺 等々力散策2


この門前に「野良田村」と書かれた石碑があります。
金剛寺 野良田 等々力散策2


かつてこのあたりは、江戸時代から「野良田村」と呼ばれていました。

大変良い響きの良い郷愁をそそる名前ですが、

昭和7年(1932年)、「野良田」の名が田舎めいているという住民の意見を考慮し、位置的に玉川地域の中央にあることから玉川仲町とされ、さらに昭和44年(1969年)の住居表示の際、現在の形である「中町」となりました。

玉川地区の単に地理的な「中央部」としての「中町」という味もそっけもない地名になってしまいました。




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(石塚英彦の自宅)


等々力界隈の芸能人・著名人の自宅については、「尾山台・等々力・野毛散策シリーズ」(4回にわたって掲載)がありますが、

新たに芸能人(石塚英彦、草笛光子、吉井和哉・眞鍋かをり夫妻)の自宅を確認したのでご紹介します。

まず、お笑いタレント・石塚英彦の自宅です。
石塚英彦の自宅1 等々力散策2

石塚英彦の自宅2 等々力散策2


入口には
石塚英彦の自宅 入口 等々力散策2


「石塚」と書かれた表札がありました。
石塚英彦の自宅 表札 等々力散策2


なお、お笑いコンビ・ホンジャマカの相方である恵俊彰の自宅も世田谷区にあります(下の写真)。
恵俊彰の自宅 等々力再訪2




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(草笛光子の自宅)


また、女優・草笛光子(本名:栗田光子)の自宅もあります。
草笛光子の自宅1 等々力散策2

草笛光子の自宅2 等々力散策2


入口には
草笛光子の自宅 入口 等々力散策2


本名である「栗田」と書かれた表札がありました。
草笛光子の自宅 表札 等々力散策2




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(吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅)


ミュージシャンの吉井和哉と妻でマルチタレントの眞鍋かをり夫妻の自宅です。
吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅 等々力散策2


旗竿地(※)になっているため、建物は一部しか見えません。後ろのクリーム色の壁はRIKACOの自宅です。
吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅とRIKACOの自宅 等々力散策2


「哀川翔、RIKACOの自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(3)」で書いたようにRIKACOの家のそばには哀川翔の自宅がありますので、

この辺りは芸能人の自宅の密集地になっています。

「Yoshii」と書かれた表札がありました(公道から撮影したもの)。
吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅 表札 等々力散策2


(※)旗竿地:道路(公道)に接する出入口部分が細い通路上の敷地になっていて、その奥に家の敷地がある形状の土地




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(尾山台①:山崎努の自宅)


等々力の隣駅は「尾山台」ですが、世田谷区尾山台で新たに山崎努と目黒祐樹・江夏夕子夫妻の自宅を確認したので、これらの自宅にも行ってみましょう。

まず、俳優・山崎努の自宅です。
山崎努の自宅1 等々力散策再訪2

山崎努の自宅2 等々力散策再訪2

山崎努の自宅3 等々力散策再訪2


入口には
山崎努の自宅 入口 等々力散策再訪2


「YAMAZAKI」と書かれた表札がありました。
山崎努の自宅 表札 等々力散策再訪2




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(尾山台②:目黒祐樹・江夏夕子夫妻の自宅マンション)


山崎努の自宅近くにある瀟洒なマンションが、俳優、歌手、司会者の目黒祐樹と元女優・江夏夕子夫妻の自宅マンションです。
目黒祐樹・江夏夕子の自宅マンション 等々力散策再訪2


(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。



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これで、2回にわたって掲載してきた『「芸能人の自宅」と「旧玉川村の痕跡」を探訪~等々力散策シリーズ』を終了します。


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カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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