【瀬田・上野毛】高島忠夫など芸能人・著名人の自宅を探訪~二子玉川界隈散策シリーズ(最終回):長崎館跡/世田谷城/上野毛迎賓館/蛭子能収(蛭子さん)/高島忠夫・花代夫妻/パンツェッタ・ジローラモ/吉行淳之介・宮城まり子夫妻
- 2023/02/18
- 12:00
二子玉川に隣接する二子玉川に隣接する(世田谷区)瀬田地区を散策し、高倉健の自宅など芸能人・著名人の自宅を探訪しました。
今回は、「二子玉川界隈散策シリーズ」の最終回として、瀬田地区をさらに散策した後、
同じく、二子玉川に隣接する(世田谷区)上野毛地区を散策しながら、蛭子さん(蛭子能収)、高島忠夫・花代夫妻、パンツェッタ・ジローラモ、吉行淳之介・宮城まり子夫妻など芸能人・著名人の自宅を探訪します。
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この「二子玉川散策シリーズ」は番外編として、以下の3つのシリーズを予定しています。
(1)「二子新地散策シリーズ」(4回にわたり掲載)
(2)『「芸能人の自宅」と「旧玉川村」を探訪~等々力散策シリーズ』(2回にわたり掲載)
(3)「東急砧線の廃線跡散策シリーズ」(3回にわたり掲載)
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(瀬田貝塚跡)
前回の記事で探訪した「高倉健の自宅」から「行善寺坂」に戻って、この坂をさらに登っていきます。
坂を上っていくと、右手に縄文時代前期の貝塚跡とされる「瀬田貝塚跡」の碑が建っています(世田谷区瀬田1丁目13)。
ハマグリ、カキなどの海産物と諸磯式土器片が発掘されたそうで、海面が上昇した縄文海進時代には近くまで海であったことが窺えます。
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(行善寺①:史跡など)
この近くには、「行善寺坂」の由来となった「行善寺」があります(「二子玉川にあった花街の痕跡~二子玉川散策シリーズ(4)」でも行善寺を訪れました)。
境内に入ると、世田谷の銘木百選に指定されている「三又エノキ」と
江戸末期の作とされる「山門」があります。
また境内には「二子玉川にあった花街の痕跡~二子玉川散策シリーズ(4)」で花街の痕跡としてご紹介した「猫塚」があります。
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(行善寺②:行善寺八景)
さらに、「行善寺」は瀬田の高台にあり、富士山や多摩川を展望できる場所であったことから、「行善寺八景(玉川八景)」と呼ばれています。
現在でも素晴らしい眺望を楽しむことができます。
下の写真は、明治末~大正期にほぼ同じ場所で撮影したものですが、周辺は一面の水田であったことが分かります。黄色の〇で囲った部分は、現在の玉川玉島屋があると思われる場所を示したものです。
(出典:「玉川と世田谷の村々」(世田谷区郷土資料館)118ページ)
水田があったため、二子玉川を散策していると下の写真のように、農業用水の跡と思われる暗渠を多く見つけることができます。
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(切り立った崖)
上で、「行善寺」は瀬田の高台にあると書きました。
「行善寺」脇にある「瀬田夕日坂」を下ると、急峻な崖の上に「行善寺」を見ることができます。
縄文海進時代には、この崖下まで海があったことを思わせる光景です。
また、「行善寺」は、小田原北条家の家臣・長崎氏が居住した瀬田城跡とされる地域の一角に位置するのですが、
防御のために、このような急峻な崖の上に城を造ったことも容易に想像されます(さらに多摩川などの河川が自然の堀になっています)。
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(瀬田城:長崎館跡)
この「行善寺」からさらに行ったゴルフ練習場の一角に、瀬田城跡である「長崎館跡」の碑があったのですが、
私が行った時は、ゴルフ場が解体され宅地開発が行われていてその碑はありませんでした(写真を撮っていなかったことが悔やまれます)。
また、長崎館は天文年間(1532~1555年)に長崎氏が築城した瀬田城のことですが、長崎家の子孫の方は現在でもこの近くに住んでいます。
東京にある「城」というと、江戸城のような壮大な石垣や堀に囲まれ天守閣のある、平地に造られた「美しい平城(ひらじろ)」を想像しますが、
江戸時代以前の「城」は、低地や川を臨む高台に造られ、土塁と空堀に囲まれた「山城(やまじろ)」でした。
下の写真は、東京国際フォーラムに展示されている江戸時代以前の江戸城(太田道灌が築城した江戸城)ですが、このような無骨なイメージの城が「山城」です。
(出典:東京国際フォーラム)
国土地理院の治水地形分類図を見ると、瀬田城は複数の川に挟まれた高台にあり防御に適した場所にあったことが分かります。
(出典:国土地理院 治水地形分類図を筆者が加工)
『「武田鉄矢の自宅」と「世田谷城」を探訪しながら散策~世田谷線の旅(6)』でご紹介したように世田谷城も同じく川に挟まれた高台にありました。
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(長崎家住宅主屋:岡本民家園)
長崎家はこの地域の有力一族で、二子玉川から徒歩20分ほどで行くことのできる「岡本民家園」に行くと(世田谷区岡本2-19-1)
長崎家が寄贈した「長崎家住宅主屋」を見ることができます。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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(上野毛に向けて散策)
二子玉川駅東口を出て、世田谷区上野毛方向に散策してみます。
ライズを通り過ぎると(下の写真はライズの夜景)、
楽天本社があり
高層マンション群が見えてきます。
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(蛭子能収(蛭子さん)と瀬田玉川神社)
この高層マンションには、「蛭子さん」の愛称で呼ばれている、漫画家・タレントで、認知症を公表した(※)蛭子能収(えびす よしかず。下の写真)が住んでいて、
(出典:FATHER'S CORPORATION)
瀬田4丁目にある「瀬田玉川神社」の鳥居は
蛭子能収が奉納したものです。
大きな絵馬があったので(下の写真)、これも蛭子能収が奉納したものであるのか神社の方に伺ったところ、
これは蛭子能収が奉納したものではなく、業者が作った絵馬だそうで、
社殿の中に置かれている
(許可を得て撮影しています)
「ヤマトタケルの絵」が蛭子能収が奉納したものとのことでした。
また、神社の方によれば蛭子能収は一家で月一回ほど参拝に来ているとのことでした。
(※)蛭子能収は認知症の理解を深めるイベントで「何か得意なことを見つけることが大切です。私は認知症になってもイラストの仕事もテレビの仕事も受けているのが自分らしさで、ずっと生きてやるぞ、という思いでいます」と話したそうです。
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(高島忠夫・花代夫妻の自宅)
二子玉川公園を通り過ぎると上野毛になります。
なお、『【二子玉川】「閑静な住宅街の中の隠れ家的レストラン」と「眺望抜群のスターバックス」』で書いたように、二子玉川公園のスターバックスは眺望がいい場所にありいつも混んでいます。
下の写真はスターバックスと高層マンション。
さて、この上野毛界隈に、俳優・司会などで活躍した高島忠夫(本名:高嶋忠雄)と宝塚歌劇団の元星組男役トップスターであった寿美花代(本名:高嶋節子)の自宅があります。
敷地内には戸建てが2棟建っています。
報道(女性セブン)によれば、「隣の土地を追加で購入し今の広さになった。約730平方メートルの土地で、土地だけで2億~3億円」とのことです。
入口には
芸名の「高島」ではなく、本名の「高嶋」の表札がありました。
また、他の報道記事(NEWSポストセブン)によれば、
約60年前に購入した土地に建てた家で、高島忠夫が亡くなってからは夫人の寿美花代(本名:高嶋節子)が一人で暮らしていたが、一人暮らしを続けるのが難しくなったため、最近施設に入居したそうです。
参考記事:上野毛近辺を散策した記事として、「井ノ原快彦など芸能人の自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(最終回):井ノ原快彦/新日本プロレス道場/善養寺/藤岡弘」があります。
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(五島昇・東急電鉄(元)会長の自宅)
また、上野毛には
東急の事実上の創業者である五島慶太の美術コレクションを保存展示している五島美術館(下の写真)があります。
台湾総督だった田健治郎男爵(田英夫の祖父)の私邸だったところを譲り受けたものの由です。
五島美術館の近くには、五島慶太の長男である五島昇・東急電鉄(元)社長・会長の邸宅があります。
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(田中家、島津貴子元内親王の邸宅、ひばり御殿)
五島美術館近くには、上野毛の名主だった田中家の広い敷地と邸宅があり、
田中家の邸宅の前には 以前皇室から嫁がれた島津貴子元内親王の邸宅、小林旭と美空ひばりの邸宅「ひばり御殿」があったそうです。
参考記事:
(1)美空ひばりの旧宅を一部公開した「美空ひばり記念館」についての記事:「【青葉台・南平台】市川海老蔵など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(5)」
(2)小林旭の自宅に関する記事:「【自由が丘】芸能人の自宅を探訪しながら自由が丘のレストラン・カフェ巡り(最終回)」
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(加藤周一の自宅)
同じく、上野毛には、古今東西にわたる幅広い教養を持ち、戦後日本を代表する思想家と言われた加藤周一の自宅がある(あった)のですが、確認できませんでした。
加藤周一はカトリック上野毛教会で洗礼を受けています。
(パンツェッタ・ジローラモの自宅)
上野毛界隈には、外国人タレントで「チョイ悪オヤジ」として活躍するパンツェッタ・ジローラモの自宅もあります。
旗竿地となっていて一部しか見えませんが(旗竿地:道路(公道)に接する出入口部分が細い通路上の敷地になっていて、その奥に家の敷地がある形状の土地)、
イタリア人らしく、イタリアの名車・FIATが置かれていました。
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(三宅宮:Dr.コパ家の神社)
また上野毛には、「風水」に関する作家として、またJRAおよび地方競馬の馬主として知られているDr.コパ家の神社「三宅宮」が鎮座しています(世田谷区上野毛3丁目23−21)。
その由緒には、
「Dr.コパの祖父大工棟梁源治郎の代 昭和10年8月当地に降臨され・・・(中略)・・・Dr.コパの風水を愛する皆様にもお参りいただけるように新たに邸内社として由緒ある当地に建立いたしました」と書かれています。
隣の敷地には、「参宮宮コパレディーズクリニック」という産科・婦人科病院があるのですが、
Dr.コパ(本名:小林 祥晃(こばやし さちあき))の次男が経営する病院のようです。
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(小佐野賢治の邸宅)
同じく上野毛には、グーグルマップを見ると「上野毛迎賓館」と表記された広大な敷地があるのですが、
ここは国際興業グループ創始者で、戦後最大の汚職事件と言われ、田中角栄元総理を含む政財界の大物逮捕が相次いだ「ロッキード事件」で逮捕された小佐野賢治の自宅でした。
周囲は鬱蒼とした森に囲まれているため、入口しか見ることができませんが、
「国際興業 総務部総務課」の注意書きが貼られているので、現在は会社の所有地になっているものと思われます。
なお、この界隈には、小佐野賢治の孫であり養子の小佐野正邦元社長の自宅、
小佐野正邦元社長の甥である小佐野隆正会長の自宅があります。
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(吉行淳之介・宮城まり子夫妻の自宅)
上野毛界隈には、小説家・吉行淳之介と生涯にわたり同居した事実上の伴侶・宮城まり子(本名:本目 眞理子)の自宅があります。
入口には
「吉行」「宮城 本目」と書かれた表札がありました。「本目(ほんめ)」は宮城まり子の本名です。
参考記事:野毛に住む芸能人の自宅については、「井ノ原快彦など芸能人の自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(最終回):井ノ原快彦/新日本プロレス道場/善養寺/藤岡弘」を参照ください。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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これで、「多摩川を挟んで似たような地名があるのは何故?~二子玉川界隈散策シリーズ(1)」から7回にわたって掲載してきた「二子玉川散策シリーズ」を終了します。
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