【瀬田】高倉健、森元総理の自宅など芸能人・著名人の自宅を探訪~マツコ・デラックスの二子玉川批評~二子玉川界隈散策シリーズ(6):河村隆一/中村正人
- 2023/02/10
- 07:55
大山道、筏道など二子玉川にかつてあった古道を散策しました。
今回は、二子玉川に隣接する世田谷区瀬田地区を散策し、
マツコ・デラックスの二子玉川批評・批判への考察をしてから、高倉健、森喜朗、河村隆一、中村正人など芸能人・著名人の自宅を探訪します。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(マツコ・デラックスの二子玉川批評~中流なのに高級ぶっている二子玉川?:半分当たっていて半分当たっていない批評)
二子玉川が急速にお洒落な商業エリアとして登場したために、
「中流なのに高級ぶっている二子玉川」
「中流が思いっきり見栄を張る二子玉川」
など、二子玉川に関する批評・批判を時々聞きます。毒舌で知られるマツコ・デラックスは「中級なのに上級意識が高い」と二子玉川を嫌っているそうです。
(出典:Wikipedia)
(1)二子玉川は高級でないが、周辺地域は高級
確かに、二子玉川がある玉川地区(玉川1丁目~4丁目)には高級住宅街は見当たりませんし(近年、地価はべらぼうに高くなりましたが)、
今まで書いてきた「二子玉川散策シリーズ(2)」、「二子玉川散策シリーズ(3)」で述べたように、
二子玉川は、かつて水田が広がる低湿地帯で、繁栄している川崎側の「二子」ブランドを拝借して、東急が「二子玉川」と命名した街です。
他方、二子玉川に隣接する「瀬田」「上野毛」「岡本」は戦前から資産家の別荘地として知られ、今でも高級住宅地が残っています。さらに遠方には「成城」「等々力」「尾山台」「深沢」「田園調布」などの高級住宅地が控えています。
昭和44年(1969年)、かつては田畑が広がっていた低湿地帯にできた玉川高島屋は、これら高級住宅エリアに住む富裕層をターゲットにした日本初の「本格的郊外型デパート」なのでした。
このような観点から見ると、
「中流なのに高級ぶっている二子玉川」「中流が思いっきり見栄を張る二子玉川」という批評は半分当たって、半分当たっていないということになります。
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(2)新興地域だからこその批判
また、新興地域(勢力)・成り上がり者(エリア)というのはとかく批判にさらされるものですが、
中流どころか、東京23区西端・ド田舎のさえない行楽地・歓楽街だった「二子玉川」が、
突然注目を浴びるお洒落な新興商業地域になったことから来る批評・批判と考えることもできます。
今では確固たる地位を築き上げている港区麻布エリアの高級住宅街を例にとると、
明暦3年(1657年)1月の明暦の大火後、幕府による防火都市計画によって江戸城近くにあった武家屋敷の移設が行われ、それまで原野と田畑だった麻布台地に武家屋敷が建設され、低地部(今の麻布十番あたり)で商業が盛んになった当時は、
生粋の江戸っ子である神田の人々からは「麻布で気がしれぬ」(※)と揶揄されたそうです。
下の写真は、港区の中で所得水準が最も高い、孫正義などの資産家が住む麻布永坂町界隈。
【追記】
麻布十番には「狸坂」「暗闇坂」があります(下の写真)。この他にも「狐坂」があり、「麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)」という町名まであります。
「狸坂」の説明書きには「人をばかすたぬきが出没したといわれる」、「暗闇坂」には「樹木が暗いほどおい茂った坂であったという」と書かれています。
江戸中心地の神田の人々から見れば、狸や狐が徘徊し、樹木で昼でも暗いような地に武家屋敷や町人地をつくることは「気が知れねぇ」ということだったのでしょう。
(※)「麻布には六本木という地名があるが、それに相当する木がないので、木が知れぬ」から「気が知れぬ」とかけた言葉遊びで、「麻布はひどい田舎で江戸と呼ぶにはふさわしくない」という意味から、「気の知れぬ人」「訳のわからない人」「ボーっとしている人」などの意味に使われたそうです。
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今回の記事と次回の記事では、二子玉川近隣の高級住宅街が広がる瀬田地区と上野毛地区にある芸能人・著名人の自宅を探訪してみます。
なお、岡本地区については、別の機会に詳しい散策記事を掲載する予定です。(岡本地区の芸能人・著名人の自宅については、「【増補版】多くの芸能人・芸術家が住む世田谷区岡本地区を散策」をご覧ください)
まずは、世田谷区瀬田地区を散策します。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧をご活用ください。
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(散策地図)
今回の記事で、主に散策する地域の地図は以下の通りです(二子玉川ライズ脇に置いてある地図を筆者が加工)。
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(江利チエミの歌碑と墓所)
前回の「二子玉川に残る古道~二子玉川散策シリーズ(5)」で訪れた「南大山道道標」に戻ると、丸子川に架けられた「調布橋」があります。
この調布橋を渡り、「行善寺坂」(別名「行火坂(あんかざか)」)を上っていきます。
左手にお洒落なアンティークショップがあり、
右手に「行火坂(あんかざか)」と書かれた石碑があります。
今まで上ってきた坂は勾配が急なため、この坂を上るだけで身体が熱くなるので「あんか坂」と呼んだそうです。
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この「行火坂」の石碑が置かれた道を右手に行くと、左手に江利チエミの歌碑と墓所がある「法徳寺」があります(世田谷区瀬田1-7-7)。
境内に入ると、江利チエミをかたどった女性像が置かれています。
ファンや縁者の方々の寄付で建てられたそうで、この女性像は高倉健の自宅方向を向いています。
女性像の台座には江利チエミの代表歌である「テネシーワルツ」の楽譜と歌詞の一部が刻まれています。
この歌碑はいつ来てもきれいに清掃されており、私が行った時は、ファンの方でしょうか、小さな人形と花が置かれていました。
江利チエミの本名は「久保 智恵美(くぼ ちえみ)」ですが、久保家の墓所もあり、江利チエミはここに眠っています。
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(高倉健の自宅①:解体と以前の面影)
江利チエミの歌碑と墓所がある「報徳寺」から数分の場所に高倉健の自宅があります(下の写真)。
高倉健が江利チエミと結婚し、新居を構えたのがこの場所でした。
報道記事によれば、高倉健の自宅は「A、B、C」の3棟から成っており、A棟が延べ床面積440㎡、B、C棟の延べ床面積がそれぞれ316㎡で、
そのうち高倉健の住んでいたA棟が解体されたとのことです。
私は元のA棟を見たことはありませんが、ネットで検索すると丁寧に手入れされたツタが美しい壁のある邸宅であったことが分かります(著作権の関係で、本記事には掲載できませんが、「高倉健 自宅」と検索すれば以前の邸宅の写真が出てきます)。
しかし、解体されたとはいえ、以前の趣は残っていて、
高倉の「T」の文字が刻まれた壁と(下の写真。以前の煉瓦の壁が少し見えます)、
門扉とシャッター(下の写真)は以前のままでした。
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(高倉健の自宅②:高倉健と江利チエミ)
昭和34年(1959年)に高倉健は江利チエミ(下の写真)と結婚し、この地で新居を構えました。
(出典:Wikipedia)
3年後に江利チエミは身籠りますが、妊娠中毒症で中絶を余儀なくされ、更に悪いことに、昭和45年(1970年)に自宅が火事で全焼し、翌年に離婚。11年後の昭和57年(1982年)に彼女は死去しました。
離婚の原因ですが、江利チエミの義姉(異父姉)による横領事件などのトラブルにより、夫に迷惑をかけてはならない、と江利チエミから高倉健に離婚を申し入れたということです。
離婚した後も江利チエミへの思いは強く、2人が住んだこの場所を離れず、高倉健は法徳寺をたびたび訪れ墓参りをしていたそうです。
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(高倉健の自宅③:高倉健の養女)
報道記事によれば、
40億円とされる高倉健のすべての資産を相続したのは、家政婦として同居し、養子縁組をした養女でした。
その養女は、高倉健の住んでいた自宅を解体しただけでなく、
「高倉健が生前購入していた鎌倉霊園の墓、そばにあった江利チエミとのあいだの水子の眠る墓まで、ことごとく破壊した」由で、
多くの高倉健ファンを失望させたそうです。
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(高倉健の自宅④:「小田」の表札)
以前は、高倉健の自宅に行く途中に、車1台分が駐車できるような土地に「小田」と書かれた古い表札がありました(下の写真)。
高倉健の本名は「小田剛一」(おだ ごういち)なので、この狭い土地は、高倉健宅に来る来客用に用意された駐車場かもしれないと思っていたのですが、最近行ってみるとこの「小田」の表札はなく別名の表札になっていました。
以前あった「小田」の表札が高倉健の表札であったかどうか不明のままですが、記録として残しておきます。
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(森喜朗元首相の自宅(旧宅):歴史的な価値のある建造物)
高倉健の旧宅がある瀬田界隈には、森喜朗元首相の立派な自宅(旧宅)があります。
高台に建っている邸宅です。
この邸宅は、ノアビル、松濤美術館などを設計した著名建築家・白井晟一(しらい せいいち)の設計による建造物で、
RC地上2階、地下1階建て、土地187平米、建物面積384平米、7台分の駐車スペースがある豪邸です。
下の写真は、白井晟一が設計した松濤美術館とノアビル(松濤美術館の写真の出典はWikipedia)。
松濤美術館・ノアビル・森喜朗の自宅(旧宅)全ての建造物は、お城のような重厚感のある独特の造りになっています。
参考記事:松濤美術館については「渋谷散策(3)」をご覧ください。
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(河村隆一の自宅(旧宅))
同じく、瀬田界隈にはロックバンド「LUNA SEA」のボーカル・河村隆一の自宅(旧宅)があります。
人手に渡った後、新・改築され、昔の面影はあまり残っていませんが、川に架けられた橋が特徴です。
高倉健の自宅と同じく、以前の写真は著作権の関係で掲載できませんが、「河村隆一 自宅」と検索すれば以前の家の写真を見ることができます。
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(ドリカム・中村正人の事務所(自宅))
また、ドリカムのリーダー・中村正人の事務所もあります。
かなり大きな建物ですので、自宅としても使用しているのかもしれません。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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次回の記事では、「二子玉川界隈散策シリーズ」の最終回として、瀬田地区をさらに散策した後、同じく二子玉川に隣接する上野毛地区を散策しまがら芸能人・著名人の自宅を探訪します。
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