二子玉川に残る古道(大山道、筏道)を散策~二子玉川界隈散策シリーズ(5):二子の渡し/次大夫橋/玉川諏訪神社
- 2023/02/02
- 09:55
二子玉川に残された花街の具体的な痕跡を探訪しました。
今回は、大山道、筏道など二子玉川にあった古道を散策します。
(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(二子の渡し①:東京側)
「近代化された二子玉川に残された過去の痕跡~二子玉川散策シリーズ(3)」でご紹介した多摩川旧堤防を通り越して多摩川方向に向かっていくと、
「世田谷区立玉川福祉事務所」の入り口に、
「二子の渡し跡」の碑があります。
後述しますが、この二子玉川には「大山街道」があり、多摩川を渡って川崎側に行くための渡し跡です。江戸時代には大山参りの参拝客で賑わっていたそうです。
「多摩川を挟んで似たような地名があるのは何故?~二子玉川界隈散策シリーズ(1)」で書いたように、大正14年(1925年)に二子橋が完成したことにより、この二子の渡しは廃止されました。
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(二子の渡し②:神奈川県川崎側)
また、神奈川県川崎側には、世田谷区の「碑」より上流部分に、
「二子の渡し跡」の碑が置かれています。
渡し場の乗り場は「暴れ川多摩川」のため絶えず変わっていましたが、少なくとも大正~昭和初期時代の渡し場は、川崎側の「碑」近くにあったものと思われます。
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(二子の渡し③:二子の渡しがあった頃)
下の写真は、大正~昭和初期の二子の渡し風景(川崎側から撮影したものと思われます)。
(出典:「多摩川と世田谷の村々」(世田谷区郷土資料館)56ページ)
また、冬は多摩川の流量が減るため仮橋の板橋が架かっていたそうです。
(出典:「多摩川と世田谷の村々」(世田谷区郷土資料館)51ページ)
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(大山道:2つのルート)
この「二子の渡し」は(川崎側の)二子と(世田谷区側の)瀬田を結ぶ「大山道(矢倉沢往還)」の渡し場でした。
「大山街道」とも呼ばれる「大山道」は、主に江戸時代の関東各地から、相模国大山にある
大山阿夫利神社への参詣者が通った古道のことで、
二子玉川近辺には、「行善寺ルート」と「慈眼寺ルート」の二つがありました。
下の写真は、「慈眼寺ルート」に置かれている説明版(次大夫橋脇に置かれている説明版)の地図です(筆者が加工)。
「行善寺ルート」と「慈眼寺ルート」の2つのルートは多摩川手前で合流し、上述した「二子の渡し」で多摩川を渡りました。
参考記事:本ブログで「大山道」について書いた記事として以下の記事があります。
二子玉川駅近辺には、この「大山道」に関する史跡や説明版があるのでそれらを見てみましょう。
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(二子玉川駅近辺の大山道①:バスターミナルの案内)
二子玉川ライズ近くの
バスターミナルに「大山道」のプレートが置かれています。
そのプレートの拡大写真です。
このバスターミナル付近は二子玉川を訪れる多くの人々が行き来している場所ですが、まさにこの場所が大山道の行善寺ルートなのでした。
なお、この近代的なライズにレトロな八百屋があります。
ここでは、周辺にある東急ストアなどのスーパーマーケットよりも安く野菜や果物が購入できるので、地元の人々がよく利用しています。
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(二子玉川駅近辺の大山道②:道標)
ライズ商業施設を横切って北に向かうと、
丸子川が流れていて、
その丸子川沿いの通りに「南大山道道標」が置かれています。
この道標をよく見ると、継ぎ目があるのに気付きます。
二子玉川界隈は、かつて田んぼが広がる田園地帯でしたが、その田んぼの中でバラバラになって放置されていた道標を住民の方々が修復した跡だそうです。
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(二子玉川駅近辺の大山道③:二子玉川商店街、柳小路)
昭和の雰囲気を残す「二子玉川商店街」(下の写真)は、大山道に沿った商店街なので、
池尻大橋を散策しているときに見た(「戦争遺構を探訪~野沢→池尻大橋散策(4)」を参照)ステッカーと同じ「大山街道」のステッカーや
「大山道」「大山みち」と書かれた垂れ幕などを見ることができます。
また、「二子玉川にあった花街の痕跡~二子玉川散策シリーズ(4)」でご紹介した飲食店街・柳小路にも「大山道」の碑が置かれています。
この「大山道」と後述する「筏道」はここで交差しています。
参考記事:二子玉川商店街にあるスイーツ店を紹介した記事として以下の記事があります。
(1)私の好きなバームクーヘン店「ヴィヨン」:『【二子玉川】「北海道直送の食材を満喫」と「私の好きなバームクーヘン」』
(2)昭和な和菓子店「西河製菓店」:『【二子玉川】「ニコタマのお洒落なイタリアン」と「二子玉川商店街の昭和な和菓子屋」』
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(二子玉川駅近辺の大山道④:次大夫橋)
二子玉川商店街を北に歩いていくと、次大夫橋があり(世田谷区玉川4丁目10-15)、
その次大夫橋の脇に
「大山道」に関する詳しい説明版が置かれています。
この次大夫堀脇には、石碑も置かれていて、
「むかし筏みち むかし大山みち 二子玉川郷土会」と書かれています。
この場所も「大山道」と「筏道」が交差していた場所のようです。
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(筏道:筏師が歩いた道)
二子玉川には「大山道」の他に「筏道」(いかだみち)という古道がありました。
下の写真は次大夫橋脇に置かれている説明版の地図を再度筆者が加工したものです(この地図では、どういうわけか「筏道」のルートが途中で切れています)。
江戸中期から大正末期にかけて、奥多摩で切り出された木材を筏師が多摩川を下って六郷・羽田のあたりで売却し、帰りはこの道を通って戻って行ったことから「筏道」と言われるようになりました。
上の「大山道」の道標や説明版が置かれている場所は「筏道(いかだみち)」との交差点でもあります。
「筏道」に関する史跡や説明版は「大山道」ほど多くないのですが、
二子玉川にある「玉川諏訪神社」に(世田谷区玉川3-26-5)。
「筏道」の碑が置かれています。
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次回の記事では、二子玉川に隣接する瀬田地区を散策し、芸能人の自宅を探訪します。
(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。
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