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二子玉川にあった花街の痕跡~二子玉川界隈散策シリーズ(4):猫塚/瘡守稲荷神社/笠付庚申塔/二子玉川商店街/須田豆腐店


花街の痕跡、廃線となった砧線跡、煉瓦造りの旧堤防など、近代的な二子玉川に残された昔の痕跡を探訪しました。

今回は、二子玉川に残された花街の具体的な痕跡を見ていきます。


(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。




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(二子玉川にあった花街・三業地の痕跡①:旧堤防が景観を理由に外側に造られた)


(多摩川旧堤防については前回の記事でも書いたところですが、ここでは「花街・三業地」の観点から述べます)

下の写真は新二子橋から撮影した多摩川旧堤防です。
旧堤防の内側に家が建っている 二子玉川散策再訪4


この写真を見て分かるように、旧堤防は多摩川から離れた場所にあり、旧堤防の内側に家が建っています。

これで堤防の役目が果たせるのでしょうか? 堤防の本来の役割は果たせません。

しかし、

堤防を多摩川沿いに造ると多摩川の景色が楽しめなくなるため、当時の料亭関係者が堤防を多摩川から離れた外側に造るよう陳情した結果、このような堤防が造られることになりました。




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また、下の写真は二子玉川駅近くの交差点から撮った写真ですが、旧堤防の内側にマンション群(昔の料亭街)があります。
旧堤防内側のマンション群 二子玉川散策再訪4


下の写真は、この付近の浸水標識ですが、「この場所は多摩川が氾濫すると4.0m浸水する可能性があります」と書かれています。
想定浸水深 二子玉川散策再訪4


令和元年(2019年)10月に日本列島を直撃した台風19号で、これらマンションが建つ区域が浸水したことは記憶に新しいところです。

この台風19号の浸水前にも、(昭和初期の料亭関係者と同じく)景観が損なわれることに反対する新堤防建設の反対派が堤防建設差し止めを東京地裁に申し立てていました。

下の写真は二子玉川付近のハザードマップですが、「多摩川を挟んで似たような地名があるのは何故?~二子玉川界隈散策シリーズ(1)」で書いたように村を分断するような暴れ川である多摩川の脅威は今も昔も変わりません。
世田谷区ハザードマップ 二子新地散策再訪4
(出典:世田谷区HP。筆者が加工)


このため、二子玉川には所々に、浸水に備えた土のうが置かれ、自由に持ち出しができるようになっています。
土のう 二子玉川散策再訪4




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(二子玉川にあった花街・三業地の痕跡②:行善寺の猫塚)


本シリーズの最終回で詳しく書きますが、二子玉川近くに行善寺という寺院があります(世田谷区瀬田1-12-23)。
行善寺 二子新地散策再訪4


この行善寺の境内に「猫塚」の石碑があります。変わった形の石碑で、猫のようにも、三味線のバチのようにも見えます。
行善寺 猫塚 二子新地散策再訪4


これは、かつて玉川が花街として盛んだった頃に、三味線を作るために皮を取られた猫の供養として造られたものです。当時は料亭街の中にありましたが境内に移されました。




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(二子玉川にあった花街・三業地の痕跡③:瘡守稲荷神社)


(以下の内容は、地元の古老から伺った話で、文献上の根拠があるわけではありません)

同じく瀬田地区に「瘡守稲荷神社」(かさもりいなりじんじゃ)があります(世田谷区瀬田4-32-19)。
瘡守稲荷神社1 二子新地散策再訪4

瘡守稲荷神社2 二子新地散策再訪4


「瘡(かさ)」とは皮膚病のことを言いますが、「梅毒」の意味もあります。

江戸時代には病平癒の社として、多くの参詣者があったそうです。

特に、花街にいる芸妓たちが「性病に罹らないように。性病が治るように」と祈った神社がこの「瘡守稲荷神社」でした。

このため、三業地の花街にいた芸妓たちもこの神社にお参りしたそうです。

なお、「瘡守稲荷神社」近くに「笠付庚申塔」という珍しい「庚申塔」があります(世田谷区瀬田4丁目11-25)。
笠付庚申塔1 二子新地散策再訪4


「笠」のような角柱が頭にあるため、「笠付庚申塔」と言われているのだと思われますが、
笠付庚申塔2 二子新地散策再訪4


「瘡」と「笠」は発音が「かさ」で似ているため何らかの関連があるのかもしれません。




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(二子玉川にあった花街・三業地の痕跡④:ヤナギヤ)


花街があった当時の地図を見ると、「柳屋」という料亭が描かれています。
柳屋 地図 二子新地散策再訪4
(出典:世田谷区文化財調査報告集―15-。筆者が加工)


大正頃の「柳屋」です。
柳屋全景 二子新地散策再訪4
(出典:「多摩川と世田谷の村々」(世田谷区郷土資料館)53ページ)


「柳屋」は天保2年(1831年)創業の老舗で、徳川将軍家も訪れアユ魚を楽しんだとのことです。

この「柳屋」が、現在は「YANAGIYA」というビルになり、
ヤナギヤビル1 二子新地散策再訪4

ヤナギヤビル2 二子新地散策再訪4


当時と同じ場所に建っています。
ヤナギヤビルの位置 二子新地散策再訪4




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また、このビル内に「玉川やなぎや」という日本料理店があります。
やなぎや1 二子新地散策再訪4

やなぎや2 二子新地散策再訪4


三業地があった当時の料亭との継続性はありませんが、オーナーが往時の「柳屋」の意気に感じて命名したようです。

なお、丸子川近くの線路わきに、最近まで「二子玉川イン」という旅館(いわゆる「連れ込み旅館」)がありました。
二子玉川イン 二子新地散策再訪4


この「二子玉川イン」は、花街にあった待合茶屋の名残かと思いましたが(そのように書いている他サイトもあります)、

よく調べると時代的に合わないことや、場所的にも当時の三業地(現在の「柳小路」)から離れていることから、花街の痕跡ということではなさそうです。

この「二子玉川イン」は取り壊され、現在では駐車場になっています。
駐車場 二子玉川散策再訪4




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(二子玉川にあった花街・三業地の痕跡⑤:柳小路)


本ブログで今までもたびたびご紹介してきましたが、玉川高島屋・SC南館の裏に

「柳小路」という風情ある飲食店街があり、個性豊かなレストラン、ショップがあります。
柳小路1 二子新地散策再訪4


下の写真は夜の柳小路。
柳小路2 二子新地散策再訪4


この柳小路は三業地・花街であった場所にあります。(『【二子玉川 柳小路と花街】「原価でお酒を提供する居酒屋」と「二子玉川にあった花街」』を参照)
現・柳小路のある場所 二子新地散策再訪4
(出典:「世田谷区文化財調査報告集―15-」を筆者が加工)




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柳小路では、花街のシンボルである「柳」を名称に冠したり(「柳小路 錦町」とありますが「錦街」というのも花街っぽいですね)、
柳小路 錦町 二子玉川散策再訪4


柳を所々に植えています。
柳小路 柳 二子玉川散策再訪4


下の写真は、東京の代表的な遊郭の街であった台東区・旧吉原に置かれている「見返り柳」跡。
吉原・見返り柳 二子新地散策再訪4




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また、柳小路には格子を模したデザインの店があったりします。
柳小路 格子1 二子玉川散策再訪4 

柳小路 格子2 二子玉川散策再訪4


下の写真は格子の中にいる遊女たち。客が遊女を見れるように格子状になっています。
格子の中の遊女 二子新地散策再訪4
(出典:東京人(No368)31ページ)


なお、「二子玉川散策シリーズ(1)」で書いたように、玉川高島屋やライズでは高価格帯のレストラン・カフェしかありませんが(※)、柳小路に行くと1000円前後のランチを提供するレストランを見つけることができます。

柳小路にあるレストランを紹介した記事としては以下のものがあります。







(7)『【二子玉川】「いいとこ取りのビストロ」と「ゴディバのカフェ」』(今後掲載予定)


(※)この記事を書いた後で二子玉川ライズで1000円ランチのレストランをみつけたのですが、これについては別記事(『「二子玉川の1000円寿司ランチ」と「二子玉川で大人気の高級ケーキ店」』)でご紹介します。



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(二子玉川にあった花街・三業地:阿部定事件との関連)


二子玉川の三業地(花街)は場末の花街で、川崎側の三業地に比べて賑わいはなく、戦後廃れていったことは「川崎のブランド力を利用した「二子玉川」~二子玉川界隈散策シリーズ(2)」で書きましたが(※※)

戦前の猟奇事件である「阿部定事件」にも関連しているのでここでご紹介しておきます。

二子玉川(当時は「玉川」)の三業地・花街についての調査報告書である「世田谷区文化財調査報告集―15-」(世田谷区教育委員会)には次のように書かれています(37ページ)。

「(玉川の三業地・花街では)人目を忍ぶ男女なども含まれていたようで、たとえば昭和11年(1936年)に発生し猟奇的な殺人事件として話題となった「阿部定事件」の当事者たち(筆者注:阿部定と愛人で被害者の石田吉蔵)は、事件の直前に玉川三業地の待合「田川」に宿泊していたという」

上で掲載した当時の図面には「田川」はないのですが、図面にも示されない小さな待合であったと思われます。

下の写真は、阿部定事件を報じた当時の新聞。
阿部定事件記事 二子新地散策再訪4
(出典:Wikipedia)


なお、「阿部定事件」は「2・26事件」と同じ昭和11年(1936年)に発生しています。

歴史の教科書には、当時の出来事として「2・26事件」しか出てきませんが、当時の人たちにとっては、「2・26事件」と同じような衝撃的な事件だったと思います。


(※※)作家の山口瞳は東京の花街について以下のように語っています。(「麻布十番物語」49頁)
「築地、新橋、赤坂を一流とすれば、柳橋、芳町、神楽坂は二流であり、白山、大塚、麻布十番などは三流だった」
ここで言及されてもいない二子玉川(当時は「玉川」)の花街は四流、五流というランク付けだったのでしょう。


(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。




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(二子玉商店街)


(「二子玉川商店街」自体は花街の痕跡ではありませんが、当時の花街に接した場所にあり、花街関係者が出入りした場所と考えられます)

上述した「柳小路」に接して、昔ながらの昭和の香りがする「二子玉川商店街」があります(次回の記事で詳しく書きますが、大山道の慈眼寺ルート沿いの商店街でもあります)。
二子商店街 二子新地散策再訪4


この商店街に昭和元年創業の「須田豆腐店」があるのですが、
須田豆腐店1 二子新地散策再訪4

須田豆腐店2 二子新地散策再訪4


昭和10年~20年頃の玉川町界隈復元図に「豆腐屋」と書かれた店舗があり、
豆腐店 古地図 二子新地散策再訪4
(出典:世田谷区文化財調査報告集―15-。筆者が加工)


これは現在もある、昭和元年創業の「須田豆腐店」と考えられます。当時の花街関係者もここで豆腐を買ったことでしょう。




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また、この二子玉川商店街には桜新町散策シリーズの第1回目記事「【桜新町】芸能人の自宅を探訪しながら、桜新町・深沢・用賀を散策(1)」でご紹介した、私の好きなバームクーヘン「ヴィヨン」の支店ができました(『【二子玉川】「北海道直送の食材を満喫」と「私の好きなバームクーヘン」』を参照)。
ヴィヨン1 二子新地散策再訪4


ここではバームクーヘンを作る様子を見ることができます。
ヴィヨン2 二子新地散策再訪4


また、『【二子玉川】「ニコタマのお洒落なイタリアン」と「二子玉川商店街の昭和な和菓子屋」』でご紹介した美味しい和菓子屋「西河製菓店」はヴィヨンの近くにあります。
西河製菓店 二子新地散策再訪4


(※)花街、廃線跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。

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次回の記事では、大山道、筏道など二子玉川にあった古道を散策します。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして7年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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