東京大仏を見に行く(最終回):赤塚城跡・板橋区立郷土資料館・急峻な崖・赤塚氷川神社
- 2018/06/20
- 17:11
前回の東京大仏を見に行く(2)では、東京大仏のある乗蓮寺を散策しました。
(赤塚植物園)
見どころ満載の乗蓮寺のそばに、600種を超えるの樹木や草花がある「赤塚植物園」があります。

武蔵野の面影を残す丘陵地に作られた植物園で珍しい植物が沢山あるので植物好きの方にはお薦めです。
☆☆☆
(赤塚城跡)
赤塚城跡に進みます。
散策途中にあった梅林には、モグラの穴が沢山ありました。この赤塚地区は緑豊かで自然の豊かなところなのです。

戦国時代に千葉氏の居城となっていた赤塚城跡です。典型的な山城です。

丸の内・八重洲のちょっと知らない史跡・見どころ(2)で、太田道灌の築城した江戸城の絵を紹介しましたが、この赤塚城跡に立っていると、太田道灌の建てた江戸城の場所はこんな感じだったのかもしれないという気持ちを持ちます。
赤塚上跡から下って行くと、赤塚溜池公園があります。この溜池は赤塚城の堀跡でもありますが、家族や釣り人が楽しそうにのんびりと遊んでいました。

(板橋区立郷土資料館)
この赤塚溜池公園のそばに、「板橋区立郷土資料館」があります。充実した資料館で時間を作って訪れたいところです。

玄関脇には、江戸四宿の一つである板橋宿にあった遊郭の玄関が移築されています。私は他の江戸四宿(品川宿、内藤新宿、千住宿)を訪れたことがありますが、このような史跡を見るのは初めてでした。

庭には古民家もあり、室内の展示も大変充実していました。

(室内の撮影は許可されています)
(急峻な崖)
港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)で、東京の武蔵野台地は「ちょっとした山岳地帯」で、
と書きました。
つまり、板橋区は23区の中で急峻な崖が最も多く、「山岳地帯」な場所なのですが、その急峻な崖をお見せします。赤塚4丁目にある崖です。

この急峻な崖には、地元で百段階段と呼ばれる階段が付けられています。また、この崖の上からは荒川の向こうにある埼玉県の川口市が見渡せました。

この崖は、荒川(古くは利根川)が武蔵野台地を切り崩してできた崖で、東へ断続的に続き北区まで伸びています。
このような崖は開発が進まず人が入ってこれないので、タヌキが住んでいるそうです。
(赤塚氷川神社)
この赤塚4丁目の急峻な崖から戻ると「赤坂氷川神社」があります。
この氷川神社も千葉自胤(ちばよりたね)が建てた神社です。長い参道にはけやきの古木が立ち並んでいます。

この参道の端にも、前回書いた「怪談乳房榎」の碑がありました。板橋区には「怪談乳房榎」の碑がこの他にもう一つあるそうです。

氷川神社境内には、「痘瘡碑」がありました。

痘瘡、つまり天然痘のことですが、江戸時代やそれ以前では大変恐れられた病気でした。数十年おきに大流行して多くの命を奪ったそうですが、仮に生き残ったとしても全身に醜い「あばた」が残り特に若い女性にとっては辛い病気でした。
このため痘瘡に関連する史蹟は気をつけて探すと東京都内でも結構あります。
例えば、神田にある「太田姫稲荷神社」(写真下)は太田道灌の娘が痘瘡に罹患し、治癒を祈ったところ見事に治ったことから、病気平癒にご利益があると言われている神社です。

この痘瘡(天然痘)については、思うところがあるのですが、それば別の記事で書きたいと思います。
(重盛の人形焼)
赤塚氷川神社から成増駅に向かう途中に、「重盛の人形焼」の店がありました。

「重盛の人形焼」は人形町に本店がありますが、のれん分けしたした店舗も多くあり、ここの「重盛の人形焼」ものれん分けのお店の一つです。
これで「東京大仏を見に行く」シリーズを終わります。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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(赤塚植物園)
見どころ満載の乗蓮寺のそばに、600種を超えるの樹木や草花がある「赤塚植物園」があります。

武蔵野の面影を残す丘陵地に作られた植物園で珍しい植物が沢山あるので植物好きの方にはお薦めです。
☆☆☆
(赤塚城跡)
赤塚城跡に進みます。
散策途中にあった梅林には、モグラの穴が沢山ありました。この赤塚地区は緑豊かで自然の豊かなところなのです。

戦国時代に千葉氏の居城となっていた赤塚城跡です。典型的な山城です。

丸の内・八重洲のちょっと知らない史跡・見どころ(2)で、太田道灌の築城した江戸城の絵を紹介しましたが、この赤塚城跡に立っていると、太田道灌の建てた江戸城の場所はこんな感じだったのかもしれないという気持ちを持ちます。
赤塚上跡から下って行くと、赤塚溜池公園があります。この溜池は赤塚城の堀跡でもありますが、家族や釣り人が楽しそうにのんびりと遊んでいました。

(板橋区立郷土資料館)
この赤塚溜池公園のそばに、「板橋区立郷土資料館」があります。充実した資料館で時間を作って訪れたいところです。

玄関脇には、江戸四宿の一つである板橋宿にあった遊郭の玄関が移築されています。私は他の江戸四宿(品川宿、内藤新宿、千住宿)を訪れたことがありますが、このような史跡を見るのは初めてでした。

庭には古民家もあり、室内の展示も大変充実していました。


(室内の撮影は許可されています)
(急峻な崖)
港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)で、東京の武蔵野台地は「ちょっとした山岳地帯」で、
「土砂災害警戒区域等というのが東京都建設局によって指定されているのですが、それによると、板橋区が54箇所、世田谷区が37箇所、北区が25箇所、港区が23箇所(以下省略)土砂災害警戒区域等として指定されています(2017年3月13日現在)」
と書きました。
つまり、板橋区は23区の中で急峻な崖が最も多く、「山岳地帯」な場所なのですが、その急峻な崖をお見せします。赤塚4丁目にある崖です。

この急峻な崖には、地元で百段階段と呼ばれる階段が付けられています。また、この崖の上からは荒川の向こうにある埼玉県の川口市が見渡せました。


この崖は、荒川(古くは利根川)が武蔵野台地を切り崩してできた崖で、東へ断続的に続き北区まで伸びています。
このような崖は開発が進まず人が入ってこれないので、タヌキが住んでいるそうです。
(赤塚氷川神社)
この赤塚4丁目の急峻な崖から戻ると「赤坂氷川神社」があります。
この氷川神社も千葉自胤(ちばよりたね)が建てた神社です。長い参道にはけやきの古木が立ち並んでいます。

この参道の端にも、前回書いた「怪談乳房榎」の碑がありました。板橋区には「怪談乳房榎」の碑がこの他にもう一つあるそうです。

氷川神社境内には、「痘瘡碑」がありました。

痘瘡、つまり天然痘のことですが、江戸時代やそれ以前では大変恐れられた病気でした。数十年おきに大流行して多くの命を奪ったそうですが、仮に生き残ったとしても全身に醜い「あばた」が残り特に若い女性にとっては辛い病気でした。
このため痘瘡に関連する史蹟は気をつけて探すと東京都内でも結構あります。
例えば、神田にある「太田姫稲荷神社」(写真下)は太田道灌の娘が痘瘡に罹患し、治癒を祈ったところ見事に治ったことから、病気平癒にご利益があると言われている神社です。

この痘瘡(天然痘)については、思うところがあるのですが、それば別の記事で書きたいと思います。
(重盛の人形焼)
赤塚氷川神社から成増駅に向かう途中に、「重盛の人形焼」の店がありました。

「重盛の人形焼」は人形町に本店がありますが、のれん分けしたした店舗も多くあり、ここの「重盛の人形焼」ものれん分けのお店の一つです。
これで「東京大仏を見に行く」シリーズを終わります。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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