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川崎のブランド力を利用した「二子玉川」~二子玉川界隈散策シリーズ(2):「玉川区」の分離独立運動/「二子」、「二子玉川」の由来/「多摩川」と「玉川」


世田谷区側と川崎側を行き来しながら、二子橋親柱を探したり、

多摩川を挟んで似たような地名がある理由や「二子玉川」と「玉川」を冠する施設が混在することを見てきました。

今回の記事では、「玉川」の地名しかなかった東京側(世田谷区側)の地域に、何故「二子玉川」の名ができたのかについて考察していきます。

現在、「二子玉川」といえば高級イメージがある街ですが、かつては川崎側の方がブランド力があり、そのブランドを世田谷区側が拝借したという意外な事実が浮き上がってきます。



(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。

(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。





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(「玉川区」の分離独立運動:「玉川」と「玉川村」)


「二子玉川」の行政上の地名である「玉川」は、多摩川の東側(現在の世田谷区側)に、町村制の施行によってできた玉川村(明治22年(1889年)に由来します。
住所表示 玉川 二子玉川散策再訪1


「玉川村」は現在の奥沢・尾山台・等々力・用賀などを含む大きな村で、他に先駆けて計画的な土地開発を行うなど先進的な地域だったことから、昭和7年(1932年)に独自の「玉川区」を主張、

さらに、昭和22年(1947年)東京35区(※)の統廃合の時には、「玉川区」として世田谷区からの分離独立を主張して、東京都にして建議書を提出しています。

しかしながら、この分離独立運動は失速し、「玉川村」は世田谷区の一部となり、「地域行政制度」の中で「玉川総合支所管区」となりました(空色の部分)。
玉川総合支所管区 二子玉川散策再訪2
(出典:世田谷区HP。筆者が加工)


(※)東京35区については、「田園調布界隈を歩く(2)」を参照ください。


世田谷区の一部とはいえ、「玉川総合支所管区」は面積・人口で渋谷区とほぼ同じ規模を擁しています。

なお、現在、「玉川」の名称を名乗る行政地域は、二子玉川駅周辺の玉川1丁目から4丁目の狭い区域となっています(「玉川」を冠する行政区域としては、この他に「玉川台1丁目」「玉川台2丁目」があります)。
玉川1丁目~4丁目 二子玉川散策再訪2


また、「玉川区独立運動」の経緯、幻となった「玉川区」の中心地であった等々力については番外編の『「芸能人の自宅」と「旧玉川村」を探訪~等々力散策シリーズ』で詳しく述べたいと思います。




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(「二子」の由来)


一方、「二子」は元々多摩川の西側(現在の川崎市側)にあった「二子村」に由来します(下の写真は川崎市高津区にある「二子」の住居表示プレート)。
二子の地名 二子玉川散策再訪2


「二子」の地名の由来については、番外編の「二子新地散策シリーズ」で詳しく書く予定ですが、

この「二子村」は、かつては花柳界のある三業地(さんぎょうち:①料亭、②待合、③芸者置屋の3つがある場所)で、戦前・戦後大いに賑わいました。




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(「二子玉川駅」の名の由来:川崎のブランド力を利用した「二子玉川」)


(以下の記述は、やや複雑なので読み飛ばしていただいても結構です。要は、集客のため、神奈川県川崎市側の賑やかさ(ブランド力)を借りて「二子玉川駅」にしたということです)

私が知る限り、「二子玉川」の名称が出現したのは、目黒蒲田電鉄(東急電鉄の前身)が開業した「二子玉川駅」が最初です(昭和4年(1929年))。

明治40年(1907年)、玉川電鉄が開業した当時は「玉川駅」でしたが、
玉川駅 二子玉川散策再訪2
(出典:「多摩川と世田谷の村々」(世田谷区郷土資料館) 筆者が加工)


昭和4年(1929年)、目黒蒲田電鉄が開業し、既存の「玉川駅」の近くに「二子玉川駅」ができます(当時は別々の会社だったため2つの駅は接続していませんでした)。
玉川駅と二子玉川駅 二子玉川散策再訪2
(出典:「世田谷区古地図散歩」(フォト・パブリッシング) 筆者が加工)

なお、この地図を見ると二子玉川駅周辺は水田地帯が広がっていたことが分かります。

その後、鉄道会社が合併し2つの駅が1つに駅が合体したりして、駅名が様々に変わりましたが、

昭和29年(1954年)に開園した「二子玉川園」にちなんで「二子玉川園駅」になり、最終的に平成12年(2000年)に現在の「二子玉川駅」となりました。




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このように東京側には存在しない地名の「二子」を冠したのは、既にあった「玉川駅」との差別化を図ろうという理由に加え、

川崎側の「二子」の賑わいで客を引き寄せようと「玉川」に「二子」をつけて「二子玉川」としたと考えられます。

「玉川二子」でなく、「二子玉川」として、「二子」を前にもってきたところに「二子」のブランド力を拝借しようとの気持ちが垣間見えます。

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毒舌で知られるマツコ・デラックスは「二子玉川は中級なのに上級意識が高い」と二子玉川を嫌っているそうです。
マツコ・デラックス 二子玉川散策再訪2
(出典:Wikipedia)


時々耳にする、このような「中流なのに高級ぶっている二子玉川」、「中流が思いっきり見栄を張る二子玉川」という批評・批判については、

東京23区の西端にある、さえない街だった「二子玉川」が急速にお洒落な商業エリアとなったことに理由の一つがあるのではないかと思うのですが、詳しくは別記事で書く予定です。




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(川崎側の「二子」の賑わいを文献で検証)


川崎側にある「二子」の三業地(花街)の方が盛況であったことを文献によって検証してみます。

「(二子)玉川」の三業地(花街)については、「世田谷区文化財調査報告集―15-」(世田谷区教育委員会。下の写真)によれば、
世田谷区文化財調査報告書 二子玉川散策再訪2


「東京府内全体の中では非常に小規模なものであった」「場末の感は否めなかったようである」「戦時中急速に廃れていったことが窺える」(37ページ)との記述があり、

他方、川崎側の「二子」については、「たかつ ひとまち記憶」(高津区制40周年記念誌)に掲載された、料亭の女将のインタビュー記事に、
たかつ ひとまち記憶インタビュー記事 二子玉川散策再訪2


「あたしが嫁いできたころは(筆者注:昭和22年(1947年))、この一角だけで料亭が29軒あって、三業地から離れたところにあった、「くらや」さんっていう仕出し屋さんにお料理をもらってました」との記述があり、

東京側の「玉川」は戦時中に廃れたのに対し、川崎側の「二子」は戦後であっても「一角だけで料亭が29軒」もある状況であったことが分かります。




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(「多摩川」と「玉川」 どう違う?)


さて(話題は変わりますが)、ここで不思議に思うのは「多摩川」と「玉川」の二つの異なった表記があることです。

結論から言えば、

河川としての「多摩川」は昭和41年(1966年)の河川法に基づく1級河川の指定で「多摩川」と正式に登録されたもので、

「玉川」は江戸時代以前から多く使われていた地名ということになります。

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「たまがわ」の由来は諸説ありますが、次の2説が有力なようです。

(1)多摩川の源流部の一つに「丹波川(たばがわ)」がありますが、その「丹波川」が訛ったという説。
(2)その昔定住していた部族が国魂神(くにたまのかみ)を信仰しており、神聖な地として「霊(たま)の郡」、また神聖な川として「霊(たま)の川」と呼ぶようになったという説




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そもそも、江戸時代以前の日本では、人名、地名などの漢字表記はかなり自由で(悪く言えば「いい加減」で)、

「たまがわ」は「多麻河」「多磨河」「玉川」「多磨川」などと表記されていました。

それに対し、明治以降、政府が統一を図り、河川としての名称は上述したように、国土地理院の地形図に採用されている名称「多摩川」が正式名として扱われています。

下の写真は、多摩川で「たま川」と表記された看板。様々な表記があることを河川管理者が考慮したのでしょうか?
「たま川」の表示 二子玉川散策再訪2

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江戸以前から多く使用されていた「玉川」は現在でも税務署などの公的機関が使用していることは(下の写真は「玉川税務署」)、前回の「多摩川を挟んで似たような地名があるのは何故?~二子玉川界隈散策シリーズ(1)」で書きました。
玉川税務署 二子玉川散策再訪2

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次回の記事では、花街の痕跡、廃線となった砧線跡、煉瓦造りの旧堤防など、近代的な二子玉川に残された昔の痕跡を探訪します。


(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。


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カツQ

Author:カツQ
リタイアして7年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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