多摩川を挟んで似たような地名があるのは何故?~二子玉川界隈散策シリーズ(1):/二子橋親柱/「二子玉川」と「二子新地」/「ニコタマ」と「フタコ」/「玉川」と「二子玉川」
- 2022/12/28
- 13:01
二子玉川散策については、以前、「二子玉川散策シリーズ」を掲載したことがありますが、
今回は、さらに詳しく二子玉川界隈(近隣の地域を含む)を散策したいと思います。
また、番外編として以下の3つのシリーズを予定しています。
(1)「二子新地散策シリーズ」(4回にわたり掲載)
(2)『「芸能人の自宅」と「旧玉川村」を探訪~等々力散策シリーズ』(2回にわたり掲載)
(3)「東急砧線の廃線跡散策シリーズ」(3回にわたり掲載)
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(散策エリアの地図)
今回のシリーズで歩く主な場所を地図で示すと以下の通りです(二子玉川駅前にある地図を筆者が加工したもの)。
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(二子玉川で3店しかないファストフード店)
東急・二子玉川駅西口を出て左に曲がると、
「すき家」があります。
ちなみに、二子玉川には高価格帯のレストラン・カフェは多くありますが、
ファストフード店としては、この「すき家」の他には、マクドナルドとKFCの合計3店しかありません。
二子玉川では、これら3店のファストフード店以外は、玉川高島屋・ライズあたりでは高価格帯のレストランばかりになってしまい、
1000円前後のランチを食べたい場合は、柳小路や二子玉川商店街のレストラン・料理屋に行かなければなりません。
【追記】
この記事を書いた後で、二子玉川ライズのドッグウッドプラザにある高級回転寿司店「長次郎」で1000円寿司ランチを見つけました。上記記述を訂正します。
ご関心のある方は『「二子玉川の1000円寿司ランチ」と「二子玉川で大人気の高級ケーキ店」』をご覧ください。
参考記事:「高額なイメージ」のある銀座では、『「銀座で1000円ランチ」と「プチ銀座散策」』で書いたように、裏路地に入ると1000円前後のランチを提供するようなレストランがあります。
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(二子橋親柱①:世田谷区側の親柱)
さて、この貴重なファストフード店である「すき家」を通り過ぎて行くと
多摩川と野川に架かる「二子橋」があります。左側には「二子玉川駅」が見えます。
大正14年(1925年)に架橋され(大正14年の架橋前までは橋はなく「二子の渡し」で多摩川を渡っていました)、昭和52年(1977年)に大改修された橋です。
その大正14年当時の親柱が残っているので、見に行ってみましょう。
玉川高島屋を通り過ぎると、国道246号線(玉川通り)の高架橋下に
ひっそりと置かれています。
「二子橋」、「大正十四年七月竣工」と刻まれています。
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(二子橋親柱①:川崎市側の親柱)
「二子橋」を渡ると神奈川県川崎市高津区になりますが、
川崎側にも同じく大正14年に造られた親柱が残されています(下の写真)。
下の写真は親柱の裏側を撮影したもの。
川崎市側の親柱脇には、「大山街道」、「二子の渡し」の説明版などが同時に置かれています。
川崎市側、世田谷区側双方に親柱がキチンと残されていて、「二子橋」が地元の人たちから感謝され愛されている橋だということが伝わってきます。
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橋の名前を決めるにあたり、東京側では「多摩橋」、神奈川県側は「二子橋」を主張しましたが、
結局、江戸時代からあった「二子の渡し」を採って、「二子橋」となりました。
後述しますが、「二子」の地名は神奈川県川崎市側の地名で、
「渡し」と「橋」の名称が「二子」になった背景には、
当時は神奈川県川崎市側の方が賑やかで発言力が強かったためではないかと考えています。
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(多摩川を挟んで、東京都側と神奈川県側に同じ地名があるのは何故?)
多摩川を挟んで、東京都と神奈川県側の双方に同じ地名や似ている地名としては以下のようなものがあります。
瀬田(世田谷区)-瀬田(川崎市)、宇奈根(世田谷区)-宇奈根(川崎市)、等々力渓谷(世田谷区)-等々力緑地(川崎市)、下丸子(大田区)-新丸子(川崎市)など。
これは、元々は陸続きだった同一地区が、多摩川の流路が変わったために分断され、その痕跡が地名に残っているためです。
下の写真は「暴れ川・多摩川」の旧流路を示したもので、水色が現流路、ピンク色が旧流路です。昔の多摩川は大きく蛇行していたことが分かります(昔の多摩川は何度も氾濫を繰り返す「暴れ川」で、そのたびに流路を変えていました)。
(出典:大山街道ふるさと館)
下の写真は東京都世田谷区にある「瀬田」(写真左)と
神奈川県川崎市(高津区)にある「瀬田」(写真右)の住居表示プレート。
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(「二子玉川」(世田谷区)と「二子新地」(川崎市))
世田谷区にある「二子玉川駅」と川崎市にある「二子新地駅」も似通った名前の地名になっています。これは「多摩川の流路が変わったため」ではなく、別の理由があるのですが、詳しくは次回の記事で書く予定です。
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なお、「二子玉川散策(2):二子玉川公園/東京都公文書館/二子の渡し跡」では、「二子玉川」と「二子新地」は多摩川の流路の変更によって分断されたと書いていましたが、間違いでしたので訂正しました。
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(「ニコタマ」と「フタコ」)
「二子玉川」を、古くからの住民は「ニコタマ」ではなく「フタコ」と呼んでいました。
現在でも、二子玉川ライズ7階にあるレストランフロアは「FUTACO TABLE」として、「フタコ」の呼び名を継承しています。
「ニコ(タマ)」、「フタコ」の呼び名の「二子」の由来は多摩川を渡った川崎側に江戸時代から存在した「二子村」に由来します。
下の写真は、江戸末期の弘化2年(1845年)につくられた「調布玉川惣絵図」の拡大部分。多摩川の西側(川崎側)にある「二子村」や東側(世田谷区側)にある「瀬田村」が描かれています(「玉川村」は明治になってできた村なので描かれていません)。
(出典:世田谷区郷土資料館(筆者が加工))
この川崎側にある「二子」が、現在の「二子玉川」の名称に何故使われたのかについては別記事で詳しく考察します。
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(「玉川」と「二子玉川」:行政上の地名は「玉川」のみ)
下の写真は、世田谷区にある(行政上の地名である)「玉川」と
駅名の「二子玉川」ですが、
行政上の地名としては「玉川」のみで(「玉川」は1丁目から4丁目まであります)、
建物の名称や施設名では「玉川」を冠するもの、「二子玉川」を冠するものが混在しています。
「二子玉川」のブランド力で集客を図るマンションや商業店舗は「二子玉川」を使用していることが多くみられます。
他方、行政機関や準公的機関は「玉川」を使用しているものと、
「二子玉川」を使用している施設があり、
「玉川」と「二子玉川」の名称が混在しています。
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(公的機関が、何故、民間の作った「二子玉川」の名称を使用しているのか?)
次回の記事で詳しく述べますが、「二子玉川」という名称は東急(正確には東急電鉄の前身の「目黒蒲田電鉄」)がつくった名称です。
行政上の地名である「玉川」ではなく、東急という「一民間企業」が作った名称をなぜ公的機関が使用するのか不思議でしたので、関係者に聞いたところ、
・「二子玉川出張所」「二子玉川分庁舎」については、既にある「玉川総合支所」(等々力に所在(※))と混同しないようにしたのではないか
・「二子玉川まちづくりセンター」については、「玉川」地区と「瀬田」地区を管轄しているので、どちらにも偏らない名前にしたのではないか
・「二子玉川小学校」については、既にある「玉川小学校」(等々力に所在(※))と混同しないようにしたのではないか
とのことでした。
なお、商業施設である「玉川高島屋」は「二子玉川」を冠していませんが、「高島屋」のブランド力だけで十分だということだろうと思います。
(※)等々力が、旧玉川村の行政上の中心地であったことについては別記事(『「芸能人の自宅」と「旧玉川村」を探訪~等々力散策シリーズ』(2回にわたり掲載))で詳しく書きます。
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