「蓮舫議員の自宅」と「戦争遺構」を探訪~中目黒→池尻大橋散策(2):上目黒氷川神社/陸軍境界石/天覧台
- 2022/12/21
- 11:15
中目黒駅を出発し目黒川にある「桜樹記念碑」まで歩きました。
今回は、目黒川沿いをさらに北上し、「蓮舫議員の自宅」と「戦争遺構(陸軍境界石)」を探訪しながら、池尻大橋界隈を散策します。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
★★★
★★★
(水車跡)
前回の記事で歩いた目黒川右岸には目黒川沿いに水車のモニュメントがあります。
「田園の風物詩だった水車」と書かれた説明版には「明治20年代の最盛期には、周辺に11ヶ所の水車」があったことが書かれています。
また、目黒川の左岸には水車跡の説明版が置かれています。
なお、この付近には『【池尻大橋】「トランプ大統領が食べたハンバーガー」と「戦争遺構巡り」』でご紹介した、トランプ前大統領が食したハンバーガーを提供する「ステーキハウスバーガー」があります。
★★★
★★★
(目黒天空庭園)(玉電の説明版)
目黒川を歩いていると、右手に、下の写真のような大きな円形の建物が見えてきます。「目黒天空庭園・オーパス夢広場」です(目黒区大橋1-9-2)。
「目黒天空庭園」は、平成25年(2013年)にオープンした屋上庭園で、首都高速道路大橋ジャンクションの屋上に造成されました。
大橋ジャンクションの場所には、かつて東急玉川線の大橋車庫がありました。
このためと思われますが、大橋ジャンクション近くの目黒川沿いに玉電の説明版が置かれています。
「世田谷に住んでいるタヌキ~世田谷線の旅(3)」で書いたように、現在、残されている玉電は三軒茶屋と下高井戸を結ぶローカルな「世田谷線」(下の写真)のみとなりました。
★★★
★★★
下のジオラマは、隣接する目黒区のサービス事務所に置かれているものですが、大橋ジャンクションと屋上庭園の位置関係が分かります。
また、下の写真は庭園内にある案内図です。
屋上庭園では市民がくつろいでいて、
遠くの景色が見渡せます。
★★★
★★★
(上目黒氷川神社①:史跡)
玉川通りを渡り右手の渋谷方面に行くと、左手に「上目黒氷川神社」があります(目黒区大橋2-16-21)。
鳥居のある階段脇には「三軒茶屋は三軒の茶屋から生まれた~世田谷線の旅(1)」で書いた「大山道」(大山街道)の道標や「武州荏原郡菅刈荘目黒郷」と刻まれた供養塔が置かれています。
また、ここには富士山に見立てた「目黒富士登山口」があり、
「富士浅間神社」が鎮座しています。
また、この上目黒氷川神社には、「【青葉台・南平台】市川海老蔵など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(5)」でご紹介した「目黒元富士」の石祠、富士講の石碑が移されています。
★★★
★★★
(上目黒氷川神社②:陸軍境界石)
上目黒氷川神社の境内社「稲荷神社」の左横から、
民家の庭先にある陸軍境界石を見ることができます。
非常に状態のいい陸軍境界石でこの民家の方が大事に保管されていることが窺えます。また、赤いペンキが少し残っており、当時は文字が赤く塗られていたことが分かります。
参考記事:東京にある陸軍境界石について書いた記事として以下のものがあります。
(1)世田谷区池尻の「食料学院」脇にある陸軍境界石:「戦争遺構を探訪~野沢→池尻大橋散策(最終回)」
(2)世田谷区下馬にある陸軍境界石:「戦争遺構を探訪~野沢→池尻大橋散策(4)」
(3)世田谷区代沢にある陸軍境界石:『「松居一代など芸能人・著名人の自宅」と「戦争遺構」を探訪~代田・代沢散策(最終回)』
(4)目黒区三田にある陸軍境界石:『「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2)』
(5)港区赤坂にある陸軍境界石:「軍都・赤坂の面影を探る(散策)」
(※)陸軍境界石、花街跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。
★★★
★★★
(蓮舫議員の自宅)
この界隈には、参議院議員で民主党代表など要職を歴任した蓮舫議員の自宅がありました(後で述べますが、現在は売却・解体されています)。
Wikipediaの「蓮舫 家族・親族」の項目に「父 謝哲信」「母 斉藤桂子」「元夫 村田信之」の名前が挙げられていますが、
その3名の名の表札が置かれていました。
父の謝哲信氏は台湾の貿易商、
母の斉藤桂子氏は、若いころは資生堂が募集した「ミス・シセイドウ」を務め、現在はバナナ輸入会社の取締役社長、
元夫の村田信之氏はフリージャーナリストです。
私が訪れた時は、元夫の村田信之氏と離婚してしばらく経った時でしたが、まだ「村田信之」の名がありました。
☆☆☆
報道(2022年1月31日付け「FRIDAY」)によれば、
この家は「台湾バナナ御殿」とも言われていた、敷地面積が約400㎡(約120坪)もある邸宅でしたが、
家庭内の緩衝材となっていた村田氏が離婚し家を出ていき、
このため、互いに気が強い蓮舫と母親が真っ向から衝突するようになり、それぞれ都内の別の家で暮らすようになった、とのことです。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
★★★
★★★
(天覧台)
目黒通りから大橋通りの坂道を登っていくと、都立駒場高等学校のグラウンドを見下ろす場所に「天覧台」の碑があります(目黒区大橋2-18)。
この地には陸軍乗馬学校があり、明治25年(1892年)に明治天皇が天覧し、その後大正天皇も行幸されたことを記念してこの碑を建立したことが「由来記」に書かれています。
また、ここからは次回の記事で訪れる「仰光寮」がグラウンドの向こう側に見えます。
次回の記事では、池尻大橋界隈にある戦争遺構をさらに探訪します。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
★★★
★★★
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙

