戦争遺構を探訪~野沢→池尻大橋散策(4):世田谷ものづくり学校/東京世田谷韓国会館/陸軍境界石
- 2022/11/22
- 09:52
青木功の自宅(旧宅?)を見た後、源頼朝ゆかりの史跡である「葦毛塚」(あしげづか)や自衛隊三宿駐屯地内にある戦争遺構を見学しました。
今回も、第一師団野砲兵第一連隊の兵舎跡、陸軍境界石など、池尻大橋界隈にある戦争遺構を引き続き探訪します。
(※)戦争遺構、花街跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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(世田谷ものづくり学校)
この世田谷公園近くにある、「世田谷ものづくり学校」に行ってみます(世田谷区池尻2-4-5)。
廃校となった中学校校舎を再生した施設で、新しい産業の活性化、創造支援などを目的にした活動を行っています。
様々な分野のクリエーターがギャラリーで作品を展示していて、購入することもできます。
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(第一師団野砲兵第一連隊の兵舎跡:東京世田谷韓国会館)
「世田谷公園」から西方に向かっていくと、在日本大韓民国民団(在日韓国民団)の世田谷支部の入る「東京世田谷韓国会館」があります。
今なお使われている大変古い建造物で、どのような経緯で「東京世田谷韓国会館」になったのかは分かりませんが、かつての第一師団野砲兵第一連隊の兵舎跡です。
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(馬魂碑)(馬頭観音)
ここから下馬アパート公園に行きます(世田谷区下馬2丁目38-1)。
ここには「馬魂碑」と「馬頭観音」が置かれているのですが、私が行った時は工事中で中に入ることができませんでした。
下の写真は、柵の外からかろうじて見えている「馬魂碑」を望遠で撮影したものです。
前回の記事で訪問した「世田谷区立平和祈念資料館」に「馬魂碑」の写真が展示されていましたので掲載します。
(出典:世田谷区立平和祈念資料館)
「世田谷区立平和祈念資料館」の方に、この「馬魂碑」と「馬頭観音」は残されるのか聞いてみたところ、「世田谷区で管理していないので分からない」とのことでした。
貴重な戦争遺構ですので、工事後も残しておいて欲しいものです。
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(2つの陸軍境界石)
さらにこの近くには道路横に2つの陸軍境界石が残されています。
一つめの境界石です(下馬2丁目23-13)。
「陸軍」の文字が刻まれています。
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もう一つはこの近くにある境界石で(下馬2丁目23-23)。
「陸軍」の文字はほとんど見えなくなっています。
参考記事:東京にある陸軍境界石について書いた記事として以下のものがあります。
(1)世田谷区代沢にある陸軍境界石:『「松居一代など芸能人・著名人の自宅」と「戦争遺構」を探訪~代田・代沢散策(最終回)』
(2)目黒区三田にある陸軍境界石:『「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2)』
(3)港区赤坂にある陸軍境界石:「軍都・赤坂の面影を探る(散策)」
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(旧大山街道)
ここから玉川通り(国道246号線)沿いに池尻大橋駅方向に歩いていきます。
地図で示すと以下の通りです(玉川通りに置かれた地図を筆者が加工したもの)。
下の写真のように玉川通りから斜め右手に入る道が「旧大山街道」で、
この大山街道は「三軒茶屋は三軒の茶屋から生まれた~世田谷線の旅(1)」で歩いた三軒茶屋の大山街道につながっています。
この通り沿いには地元の人たちが作成した「大山街道」のステッカーが貼られています。
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(池尻稲荷神社と戦争遺構)
この「旧大山街道」に面して「池尻稲荷神社」があります(世田谷区池尻2-34-15)。
玉川通り(国道246号線)にも大きな鳥居のある入口がありますが(下の写真)、
この「旧大山街道」に面した入口が本来の参道です。
境内には涸れずの井戸と呼ばれる「薬水の井戸」があり、往時、この大山街道には赤坂一ツ木村から池尻村まで飲用水はなく、旅した人たちののどをうるおしました。
そして、この神社には下の写真のような暗渠がありますが、これは旧陸軍・駒澤練兵場の排水水路跡で、これも戦争遺構の一つです。
(※)戦争遺構、花街跡など特定の事象にスポットを当てた記事のカテゴリとして、「東京散歩(古道・暗渠・花街・戦争遺構・廃線跡など)」があります。
(※)その他のカテゴリとしては以下のものがあります(投資関係を除く)。
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次回の記事では、「野沢→池尻大橋散策シリーズ」の最終回として、東山貝塚を訪れたり、この界隈に残る戦争遺構を引き続き探訪します。
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