「風間杜夫の自宅」と「特攻隊を弔う寺院」を探訪:野沢→池尻大橋散策(2):明治薬科大遺跡/世田谷観音
- 2022/10/11
- 09:46
世田谷区野沢にある「鶴ヶ久保公園」から蛇崩川緑道、駒繋神社などを散策し、古谷一行、降谷健志・MEGUMI夫妻の自宅を探訪しました。
今回は、風間杜夫の自宅を探訪したり、縄文中期の遺跡である明治薬科大学遺跡、太平洋戦争関連の碑が多く置かれている珍しい寺院である世田谷観音などを散策します。
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(明治薬科大遺跡)
蛇崩川緑道に沿って、蛇崩川の上流方向に歩いていくと、「UR都市機構 アクティ三軒茶屋」があります(世田谷区野沢1丁目35)。
この「UR都市機構 アクティ三軒茶屋」は明治薬科大学跡地に建てられた住宅施設ですが、この敷地内で、縄文時代中期の遺跡が発掘され、
その説明版が敷地内に置かれています。住居跡96軒が広がり、墓所や屋外の調理施設がある大集落だったことが書かれています。
下の写真は出土土器の拡大部分。
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(風間杜夫の自宅)
また、この世田谷区三軒茶屋界隈には、俳優として活躍している風間杜夫(本名:住田友仁(すみた ともひと))の自宅があります。
表札は本名の「住田友仁」となっていました。
風間杜夫はこの三軒茶屋界隈の出身で、この地区にある世田谷区立旭小学校を卒業したそうです。
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(世田谷観音)
ここから前回の記事で歩いた「子の神公園」に戻ります。
「子の神公園」近くに「世田谷観音」があります(世田谷区下馬4丁目9−4)。
「世田谷観音」は昭和26年(1951年)に建立された新しい寺院ですが第二次大戦関連の碑が多く置かれている珍しい寺院です。
境内に入ると、昭和天皇の従兄で、陸軍軍人・日本オリンピック委員会委員長などを務めた竹田恒徳(たけだ つねよし)書の「特攻平和観音」の石碑があります。
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この他にも特攻関連の碑は境内に多くあり、
「特攻観音堂」、
「特攻隊の像」、
「神州不滅特別攻撃隊之碑」、
「神州不滅特別攻撃隊之碑」にある特攻機の拡大部分
「天山隊之碑」が置かれていました。「天山」は日本海軍が開発した艦上攻撃機と思われます。
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この他に、吉田茂元首相の書による「世界平和の礎」の石碑、
都内最古の仁王像、
国歌「君が代」に出てくる「さざれ石」(※)、
韋駄天走りの語源になったスポーツの神「韋駄天」(写真)が安置されている阿弥陀堂など見どころの多い寺院です。
なお、「世田谷観音」前の以前の通り名は「明薬通り」でしたが(明治薬科大学があったため)、現在は「世田谷観音通り」と改名されています。
(※)参考記事:「さざれ石」については、『「君が代発祥の地」で君が代を考察する』で詳しく書いたことがあります。
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(学芸大学付属高校)
「世田谷観音」近くには、東大に毎年50人以上進学する進学校である「東京学芸大学付属高等学校」があります(世田谷区下馬4丁目-1-5)。
以前は東京学芸大学でしたが、大学の移転に伴い高等学校となりました。校舎は師範学校時代からある歴史的な建造物です。
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(旧住居表示の表札)
この付近を歩いていると、「下馬町」と書かれた旧住居表示を掲げている個人宅がありました(旧住居表示で特定が困難なため開示しています)。
東京大空襲で壊滅状態となった東京の下町地区ではこのような旧住所表示を見つけるのが難しいのですが、東京西部の山の手地区ではこのような旧住居表示を時々見かけます。
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次回の記事では、源頼朝ゆかりの史跡である「葦毛塚」(あしげづか)や自衛隊三宿駐屯地内にある戦争遺構を見学します。
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