【日本橋】八丁堀の旦那~地図御用所跡~日本橋兜町・日本橋茅場町散策(最終回)
- 2022/08/23
- 10:48
銀行発祥の地などを散策しました。
今回は、「日本橋兜町・茅場町散策サブシリーズ」の最終回として八丁堀まで散策してみます。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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(参考:今までの日本橋散策記事)
日本橋散策については、今まで、以下のような8つのサブシリーズと1つの番外編を掲載してきました。
①「日本橋堀留町・小舟町散策サブシリーズ」:江戸時代に大変賑わい、浅草寺の大提灯にその名を今でも残している「日本橋堀留町・小舟町」散策(3回にわたり掲載)、
②「日本橋人形町二丁目・富沢町散策サブシリーズ」:花街や遊郭の名残を残す「日本橋人形町二丁目・富沢町」散策(3回にわたり掲載)
③「日本橋蛎殻町サブシリーズ」:水天宮や、東京シティエアーターミナルがある「日本橋蛎殻町」散策(2回にわたり掲載)
④「橋梁としての日本橋サブシリーズ」:橋としての日本橋を様々な視点から見た散策(3回にわたり掲載)
⑤(番外編)「見どころの多い中央区新川散策シリーズ」:日本橋と比べると存在感の少ない新川地区ですが、散策すると多くの見どころを見つけることができる新川地区を散策した番外編(6回にわたり掲載)
⑥「日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋散策サブシリーズ」:伝馬町牢屋敷跡、浜町川跡の暗渠散策、東日本橋界隈を散策(3回にわたり掲載)
⑦「日本橋小網町・人形町1丁目を散策サブシリーズ」:人形町にあった「元吉原」に通じる橋である「親父橋跡」、西郷隆盛屋敷跡などを散策しながらレストラン・カフェ巡り(2回にわたり掲載)
⑧「日本橋浜町→深川散策サブシリーズ」:日本橋浜町の散策と隅田川を渡って江東区深川を散策(3回にわたり掲載)
⑨「日本橋兜町・茅場町散策サブシリーズ」:東京証券取引所があり、日本の金融界の中心地である日本橋兜町・茅場町界隈を散策(3回にわたり掲載)
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(兜町・茅場町まちかど展示館)
前回の記事で訪れた「坂本小学校」に隣接して「兜町・茅場町まちかど展示館」があり、
昭和11年(1936年)に地元茅場町の宮大工・宮銀こと田村春吉氏が製作した山車や大小の神輿などが展示されています(中央区日本橋兜町15-3、坂元町公園内)。
私が撮影した上の写真では見づらいですが、大太鼓の上には鳳凰の代わりに、兜町にちなんで「兜」が飾られた珍しいものです。
(出典:中央区まちかど展示館HP)
「日本銀行」の名前と
「日本銀行」の紋章が入った皮半纏も展示されていました。さすが、「東京証券取引所」がある兜町・茅場町にふさわしい半纏です。
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(摂社日枝神社:証券界と関係の深い神社)
永代通りに戻り、「摂社日枝神社」に向かいます(日本橋茅場町1丁目6-16)。
緑豊かな境内は周辺の証券業界で働く人たちの憩い場になっています。
証券界とも関係が深く、玉垣には東京証券取引所をはじめ証券会社の名前が刻まれています。
この摂社日枝神社は永田町にある日枝神社の摂社(縁故の深い神社)で、
隔年で大祭が開催される山王祭では鳳輦(ほうれん)と宮神輿の一行が休憩する御旅所(おたびしょ)に指定されています。
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(電燈供給発祥の地)
「摂社日枝神社」の近くには「電燈供給発祥の地」碑が置かれています(中央区茅場町1丁目3-10)。
日本橋には「●●発祥の地」という場所が多いのですが、これもその一つです(郵便発祥の地である「日本橋郵便局」、日本初の銀行である「第一国立銀行」など)。
明治20年(1887年)、東京電燈会社がこの地に日本初の発電所を開設し、近隣の企業や個人家庭へ送電を開始しました。
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(茅場町商店会→鈴らん通り商店会)
ここから、再度、永代通りを渡って「茅場町商店会」の通りを歩きます。
途中から、「八丁堀鈴らん会」になるのですが、街灯のデザインが変わります。
「茅場町商店会」の街灯、
下の写真は「八丁堀鈴らん会」の街灯で、商店街によって街灯の形が変わります。
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(八丁堀与力・同心組住居跡)
しばらく歩くと、中央区立京華スクエアの前に「八丁堀与力・同心組屋敷跡」の解説板が置かれています(中央区八丁堀3-17-9)。
中央区教育委員会による、その解説版です。
その解説版には、
「八丁堀といえば捕物帖で有名な「八丁堀の旦那」と呼ばれた、江戸町奉行配下の与力・同心の町でした。(中略)これらの与力・同心たちが江戸の治安に活躍したのですが、生活費を得るため町人に屋敷地を貸すものも多く、与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や医者で歌人の井上文雄などの文化人や学者を輩出した町としても知られています」と書かれています。
与力・同心は、武士のような、町人のような一種別格な存在であり、そのため「八丁堀の旦那」と呼ばれていたそうです。
参考記事:「日本の金融街を歩く(平成通り散策):東京証券取引所/銀行発祥の地」
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(地図御用所跡:伊能忠敬の人生)
中央区立京華スクエアから茅場町駅に戻ると、
新大橋通りの歩道脇に「地図御用所跡」の解説版が置かれています(中央区日本橋茅場町2-12)。
地図御用所は、実測による初めての日本全図を作成した伊能忠敬の住居に設けられていました。
伊能忠敬は51歳の時に下総国佐原から江戸深川黒江町に住居を移し、天文学を学び始めた人物です。
明治・大正時代の平均寿命は44歳前後と言われているので、江戸時代で51歳は相当の高齢でしたが、
そのような高齢になって天文学を学び始めた伊能忠敬は、私を含めたリタイア後の人生を生きる人たちにとって模範になる人物ではないでしょうか。
伊能忠敬はこの八丁堀に住居を移す前は、江戸深川黒江町に住み19歳年下の天文学者・高橋至時(たかはし よしとき)の弟子になりました。
下の写真は、その江戸深川黒江町にあった伊能忠敬住居跡の碑(江東区門前仲町1-18)。
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これで、3回にわたって掲載した「日本橋兜町・茅場町散策サブシリーズ」を終了します。
次回の記事は「日本橋1・2・3丁目・八重洲散策サブシリーズ」の第1回目の記事となります。
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