中尾ミエの自宅を探訪しながら下高井戸を散策~世田谷線の旅(最終回):中尾ミエの50年来のパートナー/下高井戸駅前市場/カルディ1号店/下高井戸シネマ
- 2022/04/18
- 09:06
芸能人・著名人の自宅などを探訪しましたが、
今回は世田谷線の旅の最終回として、中尾ミエの自宅などを探訪しながら下高井戸を散策します。中尾ミエの50年来のパートナーについての情報もあります。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(下高井戸駅)
「世田谷に住んでいるタヌキ~世田谷線の旅(3)」で乗車した三軒茶屋駅から各駅を訪れ、最後の「下高井戸駅」に着きました。
下高井戸駅は京王線と接続しています。
その駅の様子です。
直接の接続ではありませんが、世田谷線の山下駅の近くには小田急線・豪徳寺駅があり、また三軒茶屋の近くには東急田園都市線が走っていて、
京王線・小田急線・東急線という3つの主要路線と接続している世田谷線は結構便利なローカル線です。
また、駅近くには『【下高井戸】「コスパ最高のイタリアン」と「下高井戸プチ散策」』でご紹介したイタリアンレストラン「トニーノ」があります。
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(駅前の下町マーケット)
駅前には、「下高井戸駅前市場」があり、
最近見ることが少なくなった下町的な市場が健在で、
町の通りも下町的です。
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なお、「カルディ」のホームページの沿革を見ると、「下高井戸(東京都・世田谷区)にカルディコーヒーファーム第1号店をオープン」と書かれていますが、
上の「下高井戸駅前市場」の一角に第1号店をオープンしたそうです(今はこの第一号店はありません)。
参考記事1:豊洲市場にある吉野家の第一号店については、「豊洲市場と吉野家創業店(散策)」で書いたことがあります。
下の写真は吉野家第一号店のみに置かれている「吉野家の由来」を記す看板。
参考記事2:「カレーショップC&C」の一号店については、「新宿駅西口の複雑な三重構造~新宿駅西口を散策(1)」で書いたことがあります。
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(下高井戸のローカルな映画館)
また、駅前にはローカルな映画館「下高井戸シネマ」があります(世田谷区松原3丁目27−26)。
その「下高井戸シネマ」のあるビルです。
「下高井戸シネマ」前の通りは「シネマ通り」ですが、地域密着的でいいですね。
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(杉並区と世田谷区の区境)
「下高井戸駅」は世田谷区の北端にありますが、この界隈は杉並区と世田谷区の区境で、
下の写真のように杉並区と世田谷区の住居表示を同時に見ることができる場所があります(^^
その住居表示の拡大写真です。
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(玉川上水跡)
杉並区側に行くと、玉川上水跡があり、往時の大きさを偲ばせます。
参考記事1:新宿駅近くを流れ、渋谷川の支流と合流する玉川上水を散策した記事として、「新宿で渋谷川の上流を歩くシリーズ」があります。
下の写真は、新宿に今も残る玉川上水遺構。
参考記事2:「三田用水跡・暗渠散策シリーズ」(8回にわたって掲載)の第1回目に訪れた玉川上水散策の記事として「三田用水跡を上流から散策~三田用水跡・暗渠散策(1)」があります。
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(中尾ミエの自宅と50年来のパートナー)
この下高井戸界隈には、歌手で最近は舌鋒鋭い発言で活躍している中尾ミエの自宅があります。壁の色は10年ほどで塗り替えていて、現在の色は青だそうです(下記【追記】参照)
Wikipediaには、「2017年8月には以前から週刊誌等で噂になっていた自宅で50年の長き間に渡って同居しているパートナーの存在を初めて公にインタビューで語った」と書かれていますが、
入口にある表札には
「中尾」と書かれた名前とともに、50年来同居しているパートナーと思われる方の名前もありました(パートナーと思われる方の名は塗り隠しています)。
【追記】
令和5年(2023年)6月放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で、中尾ミエは「自宅の外壁は10年ほどで塗り替えており、前の色は黄色だった」と語っていました。
同年11月放送の「ぽかぽか」(フジテレビ系)では、塗り替えたばっかりの青い壁の写真を公開しました。また、中尾ミエは「先週塗り替えたばっかり。前の色はオレンジで・・・何回も塗り替えているから。赤の時も。黄色の時もグリーンもあった」と語っていました。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(旧住居表示)
「三軒茶屋を散策~世田谷線の旅(2)」で世田谷区三軒茶屋付近の旧住居表示を見たことを書きましたが、
この下高井戸界隈でも、下のような「區並杉」と書かれた旧住居表示を見かけました。
(旧住居表示のため現在の場所を特定することはできませんので全住所を開示しています)
効率性だけを重視し、様々な歴史的な経緯を抹殺した住居表示変更には批判が多いですが、このような旧住居表示を掲げている家を見るとホッとします。
参考記事:この他に、旧住所表示の表札について書いた記事として、以下の記事があります。
(1)「區森大」の表札について書いた記事
(2)渋谷区が東京都(当時は「東京市」)に編入される以前の旧住居表示について書いた記事
(3)「區谷四」の表札について書いた記事
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(短冊地)
この界隈の地図を見ると、道路に沿って短冊形の土地が多くあります。
かつてこの界隈は江戸に農産物を供給する農業の盛んな地域でした。
現代の感覚からすれば、きれいな長方形に区画した方が効率的に思えますが、これは農業機械を使用する前提での効率性で、人力や牛馬に頼った農業ではきれいな長方形にする必要はありませんでした。
むしろ、道路と水路のつながりを平等に分配するには短冊形にすることが最も平等な土地の配分方法でした。
このため、江戸時代に農業の盛んだった近郊地では今でもこのような短冊形の区割りが残っています。
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今回で、「三軒茶屋は三軒の茶屋から生まれた~世田谷線の旅(1)」から10回にわたって掲載した「世田谷線の旅シリーズ」を終了します。
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