「水車の名残」と「古道・瀧坂道」を探訪しながら散策~世田谷線の旅(8):烏山川・暗渠散策/世田谷八幡宮/みなみはし/水車池田米店
- 2022/03/14
- 15:34
前回の「井伊直弼の死亡年月日の謎~世田谷線の旅(7)」では、
豪徳寺を訪れ、井伊直弼の死亡年月日の謎に迫りました。
今回は、古道・瀧坂道や北沢川にあった水車の痕跡を見ていきます。
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(放置された親柱:みなみはし)
前回の記事で訪れた「宮の坂駅」にある「宮坂区民センター」の駐輪場の奥に「みなみはし」と書かれた親柱が放置されたように置かれています。
下の写真が拡大した「みなみはし」の親柱です。
この近くには烏山川が流れていたので、暗渠化したときに、放置されたものと思われますが、痛ましい感じがします。
参考記事:使用されていた橋の欄干が階段の石として使われていることを書いた記事として『「社長の邸宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大山の暗渠散策(2)』があります。
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(世田谷八幡宮)
次に、豪徳寺から世田谷線を挟んだ西側にある「世田谷八幡宮」に行きます(世田谷区宮坂1-26-2)。
伊勢神宮のように、(川を渡って身を清めるために)古い神社は川のそばの高台にあることが多いのですが、
この「世田谷八幡宮」も古い神社らしく、烏山川に臨む高台にあります。
大きな鳥居をくぐると右手に「厳島神社」と外池があり、
江戸時代には、その勝敗によって翌年の豊作・凶作を占ったり、その年の豊作を感謝し奉納相撲を行った土俵があります。
秋の例大祭では東京農業大学の相撲部が法の相撲を行っています。
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(古道:瀧坂道①)
また、この近くには世田谷を縦断している古道・瀧坂道(たきさかみち。「滝坂道」とも書く)があるので行ってみます。瀧坂道の位置を示すと下の地図の通りです。
(宮の坂駅前にある地図を筆者が加工したもの)
瀧坂道は江戸(青山)から世田谷の北部を東西に抜けていき、
中世は、世田谷城からかつての武蔵野国の府中まで繋がる重要な道で、
江戸時代は、甲州街道の脇街道として使われた由緒ある古道です。
『【青葉台】石田純一・東尾理子夫妻など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(4)』で、渋谷の道玄坂界隈を散策しているときにも「瀧坂道」がありました(下の写真。ここでは「滝坂道」と書かれています)。
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宮の坂駅近くの「瀧坂道」には、寺院、地蔵尊、庚申塔が点在し、古道であることを示しています。
この古道を歩いていると、地元の有志の方々の会と思われる「豪徳寺駅周辺風景づくりの会」が作成した掲示板がありました。
「古道・瀧坂道」に関する詳しい説明があり、大変参考になりました。
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(古道:瀧坂道②:世田谷城防御のための形状)
瀧坂道は旧世田谷城(現在の世田谷城址公園と豪徳寺)の北に走っていますが、クランク状及びS字状の形状をしています。
(出典:「地域風景資産 古道・瀧坂道(豪徳寺駅周辺風景づくりの会)」。筆者が加工)
これは敵が一気に攻め込むのを防ぐための防御策として造られたものです。
参考記事:防御のため道をクランク状にした痕跡について書いた記事として以下のものがあります。
(1)「麻布・我善坊谷を散策」
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(山下駅)(松原駅)
次に「山下駅」「松原駅」に行きます。
「山下駅」の近くには小田急線の「豪徳寺駅」があり、
「豪徳寺駅」には招き猫の大きな招き猫が出迎えてくれます(豪徳寺へは「小田急・豪徳寺駅」よりも「世田谷線・宮の坂駅」からの方が近いため、私たちは宮の坂駅から豪徳寺に行きました)。
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(水車池田米店:緑道を歩くと水車があった)
「山下駅」前には、目黒川の支流であった北沢川が暗渠化され北沢川緑道となっています。
その緑道に説明版が置かれ、「北沢川は、昭和の初期まで農業用水として使われていた」と書かれています。
また、山下駅の西側の北沢川跡は「ユリの木公園」となり、周囲には瀟洒な高級住宅街が広がっています。
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この北沢川緑道を下流方向に歩いていくと、
緑道脇に「水車池田米店」というお店があります。また、隣には「暗渠サイン」であるクリーニング店まであります。
お店の方に伺うと、電気が通るまでは水車を使い精米業を営んでいたそうです。
下の写真は緑道にある山下橋に描かれた水車小屋と
池田米店内にあった水車小屋の絵です。
かつて流れていた川跡に水車を見つける感動的な散策でした。
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次回の記事では、この界隈にある芸能人・著名人の自宅などを探訪しながら世田谷線の旅を続けます。
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