港区の尾根道を歩く(最終回):元和キリシタン遺跡・勝海舟と西郷隆盛会見の地・ジュリアナ東京跡
- 2018/06/11
- 10:06
港区の尾根道を歩く(3)の続きです。
前回は済海寺まで来ました。今回は、元和キリシタン遺跡から散策します。
(元和キリシタン遺跡)
済海寺を少し行くと墓地の横に右に折れる細い道があり、その先にエレベーターがあります。

地元で月の岬エレベーターと呼ばれているエレベーターですが、このエレベーターで一気に下まで降りると、大きな広場に出ます。エレベーターを含めこの大きな広場は住友不動産が管理しています。
(下の写真は、第一京浜側の入り口から撮った広場です)

なぜ「月の岬エレベーター」と呼ばれているかというと、この近辺の高台は観月の名所として知られ「月の岬」と呼ばれていたからです。
☆☆☆
この広場の崖寄りの奥に、江戸時代にキリシタンを処刑した「元和キリシタン遺跡」があります。(三田駅から来る場合は、広場の奥の広くゆるやかな階段を上りつめた先にあります)

先日、北鎌倉を歩いたのですが、北鎌倉にある光照寺というお寺(時宗のお寺です)の山門の欄間には、キリスト教の十字を意味する「クルス紋」が彫られており、隠れキリシタンを庇護していた伝承があります。

江戸時代はキリスト教徒でない証として、武士・町民・農民を問わず全ての人は特定の寺院に属し檀家にならなければならない檀家制度(寺請制度)がありましたが、この光照寺では隠れキリシタンを檀家として請け負ったそうです。
しかし、鎌倉にいた宣教師や一部のキリシタンは捕まって小伝馬町の牢屋に入れられた後、三田の辻の刑場で火あぶりの刑に処せられたとのことです。詳しくはとても書けませんが、痛ましい光景だったようです。
歴史を学んでいると、知りたくなかった事実を知ることがあります。この火あぶりの事例もそうですが、かくも残酷なことがあったのかと思い知らされます。
しかし、そのような時代があった、人間とは環境次第ではこのような残酷なこともするのだと事実を受け止め、冷静に考えることも必要だと思います。
(昨今の悲惨な事件について思うこと)
話はそれますが、最近あまりに痛ましい事件があったので、刑罰について私見を述べたいと思います。
近代以前の刑罰は残酷・陰惨なものでした。近代的な啓蒙思想の普及によって、このような中世以来の残酷な刑罰はなくなり、死刑廃止が世界的な傾向にまでなっています。それはそれでいいのですが、
私は法律の専門家ではないし、ましてや刑罰については全くの素人ですが、被害者からの視点をもっと強めて刑罰を考えなければならないのではないかと思っています。
昨今の児童虐待事件などの悲惨な殺人事件を思うと本当にやりきれなく感じるのですが、被害者の視点に立って、加害者に対する刑罰をもっと厳しくしていかないとこのような悲惨な事件は何度も繰り返されるのではないかと痛切に思います。
単に、児童相談所の機能を強化するだけの議論では生ぬるいと思います。
(鎌倉を散策して感じたこと)
話は戻りますが、
「東京散歩」は新しい街並みの中に隠された歴史を探すような散策ですが、「鎌倉散歩」は歴史が隠されているどころか、歴史の方から私にドッと押し寄せてくる感じで、「東京散歩」とはずいぶん違うなと感じました。
(聖坂)
エレベーターで二本榎通りに戻り、聖坂(ひじりざか)を緩やかに下っていくと、三田三丁目交差点で第一京浜と合流し、二本榎通りの散策は終了です。
これで散策は終了ですが、時間と体力に余裕のある方のために、この地下鉄三田駅・JR田町駅周辺の見所をいくつかご紹介します。
(勝海舟・西郷隆盛会見之地の碑)
地下鉄三田駅・JR田町駅の近くに、勝海舟と西郷隆盛の有名な会見が行われたとされる碑があります。江戸時代ここには薩摩藩の蔵屋敷があったところで、「江戸無血開城」が決められた記念すべき場所と言われています。

魚が水揚げされた「雑魚場(ぞこば)」がこの近辺にあったことについては後で説明しますが、当時このあたりは海のそばで、海からの運送の確保のためここに蔵屋敷が置かれました。
三田にあった薩摩藩の上屋敷は庄内藩らの襲撃ですでに焼失していたため、この蔵屋敷で会見が行われたのですが、当時の緊迫した状況下で会見が行われたことが想像できます。
(「札の辻」交差点歩道橋からの東京タワーの眺め)
「札の辻」交差点にある歩道橋からは東京タワーを遮るものがなく見通しが良いので、下の写真のような東京タワーを見ることができます。

(港区郷土資料館)
田町駅に行く途中に「港区郷土資料館」がありますので、ここで休息がてら寄ってみるのもいいかと思います。みごとな貝塚の復元展示などがあり見ごたえのある資料館でした。

(雑魚場跡)
地下鉄三田駅・JR田町駅から歩いて数分のところに、本芝公園があり、ここに江戸時代に魚が水揚げされた「雑魚場(ぞこば)」跡の碑があります。人情話「芝浜の革財布」の舞台としても有名なところです。

(ジュリアナ東京跡地)
雑魚場跡脇にある低いガードをくぐり芝浦方面に行き、しばらく歩くとバブル経済末期の有名なディスコ「ジュリアナ東京」の跡地があります。今はボーリング場になっています。

当時の様子はWikipediaによれば、
とのことです。
これで、「港区の尾根道を歩く」シリーズは終了します。長期間、お読みいただきありがとうございました。
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙

(関連記事)港区の尾根道を歩く(3)
前回は済海寺まで来ました。今回は、元和キリシタン遺跡から散策します。
(元和キリシタン遺跡)
済海寺を少し行くと墓地の横に右に折れる細い道があり、その先にエレベーターがあります。


地元で月の岬エレベーターと呼ばれているエレベーターですが、このエレベーターで一気に下まで降りると、大きな広場に出ます。エレベーターを含めこの大きな広場は住友不動産が管理しています。
(下の写真は、第一京浜側の入り口から撮った広場です)

なぜ「月の岬エレベーター」と呼ばれているかというと、この近辺の高台は観月の名所として知られ「月の岬」と呼ばれていたからです。
☆☆☆
この広場の崖寄りの奥に、江戸時代にキリシタンを処刑した「元和キリシタン遺跡」があります。(三田駅から来る場合は、広場の奥の広くゆるやかな階段を上りつめた先にあります)

先日、北鎌倉を歩いたのですが、北鎌倉にある光照寺というお寺(時宗のお寺です)の山門の欄間には、キリスト教の十字を意味する「クルス紋」が彫られており、隠れキリシタンを庇護していた伝承があります。


江戸時代はキリスト教徒でない証として、武士・町民・農民を問わず全ての人は特定の寺院に属し檀家にならなければならない檀家制度(寺請制度)がありましたが、この光照寺では隠れキリシタンを檀家として請け負ったそうです。
しかし、鎌倉にいた宣教師や一部のキリシタンは捕まって小伝馬町の牢屋に入れられた後、三田の辻の刑場で火あぶりの刑に処せられたとのことです。詳しくはとても書けませんが、痛ましい光景だったようです。
歴史を学んでいると、知りたくなかった事実を知ることがあります。この火あぶりの事例もそうですが、かくも残酷なことがあったのかと思い知らされます。
しかし、そのような時代があった、人間とは環境次第ではこのような残酷なこともするのだと事実を受け止め、冷静に考えることも必要だと思います。
(昨今の悲惨な事件について思うこと)
話はそれますが、最近あまりに痛ましい事件があったので、刑罰について私見を述べたいと思います。
近代以前の刑罰は残酷・陰惨なものでした。近代的な啓蒙思想の普及によって、このような中世以来の残酷な刑罰はなくなり、死刑廃止が世界的な傾向にまでなっています。それはそれでいいのですが、
私は法律の専門家ではないし、ましてや刑罰については全くの素人ですが、被害者からの視点をもっと強めて刑罰を考えなければならないのではないかと思っています。
昨今の児童虐待事件などの悲惨な殺人事件を思うと本当にやりきれなく感じるのですが、被害者の視点に立って、加害者に対する刑罰をもっと厳しくしていかないとこのような悲惨な事件は何度も繰り返されるのではないかと痛切に思います。
単に、児童相談所の機能を強化するだけの議論では生ぬるいと思います。
(鎌倉を散策して感じたこと)
話は戻りますが、
「東京散歩」は新しい街並みの中に隠された歴史を探すような散策ですが、「鎌倉散歩」は歴史が隠されているどころか、歴史の方から私にドッと押し寄せてくる感じで、「東京散歩」とはずいぶん違うなと感じました。
(聖坂)
エレベーターで二本榎通りに戻り、聖坂(ひじりざか)を緩やかに下っていくと、三田三丁目交差点で第一京浜と合流し、二本榎通りの散策は終了です。
これで散策は終了ですが、時間と体力に余裕のある方のために、この地下鉄三田駅・JR田町駅周辺の見所をいくつかご紹介します。
(勝海舟・西郷隆盛会見之地の碑)
地下鉄三田駅・JR田町駅の近くに、勝海舟と西郷隆盛の有名な会見が行われたとされる碑があります。江戸時代ここには薩摩藩の蔵屋敷があったところで、「江戸無血開城」が決められた記念すべき場所と言われています。

魚が水揚げされた「雑魚場(ぞこば)」がこの近辺にあったことについては後で説明しますが、当時このあたりは海のそばで、海からの運送の確保のためここに蔵屋敷が置かれました。
三田にあった薩摩藩の上屋敷は庄内藩らの襲撃ですでに焼失していたため、この蔵屋敷で会見が行われたのですが、当時の緊迫した状況下で会見が行われたことが想像できます。
(「札の辻」交差点歩道橋からの東京タワーの眺め)
「札の辻」交差点にある歩道橋からは東京タワーを遮るものがなく見通しが良いので、下の写真のような東京タワーを見ることができます。

(港区郷土資料館)
田町駅に行く途中に「港区郷土資料館」がありますので、ここで休息がてら寄ってみるのもいいかと思います。みごとな貝塚の復元展示などがあり見ごたえのある資料館でした。

(雑魚場跡)
地下鉄三田駅・JR田町駅から歩いて数分のところに、本芝公園があり、ここに江戸時代に魚が水揚げされた「雑魚場(ぞこば)」跡の碑があります。人情話「芝浜の革財布」の舞台としても有名なところです。

(ジュリアナ東京跡地)
雑魚場跡脇にある低いガードをくぐり芝浦方面に行き、しばらく歩くとバブル経済末期の有名なディスコ「ジュリアナ東京」の跡地があります。今はボーリング場になっています。

当時の様子はWikipediaによれば、
最寄り駅のJR田町駅では、ジュリアナ東京まで徒歩で赴くボディコン女性たちの姿が見られ、オフィス街のOLの服装とはそぐわない、ある種異様な光景が日常茶飯事のように見受けられた。
(Wikipediaより)
とのことです。
これで、「港区の尾根道を歩く」シリーズは終了します。長期間、お読みいただきありがとうございました。
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙


(関連記事)港区の尾根道を歩く(3)