史跡から見る隠れキリシタン伝承~三田用水跡・暗渠散策(番外編3):目黒新富士/胎内洞窟/浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑/切支丹灯籠/島原藩抱屋敷
- 2021/11/29
- 11:34
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。
また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、
番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。
なお、本記事は「日々思うことのカテゴリ」記事となります。
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(目黒新富士の胎内洞窟)
三田用水散策では、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」で歩いた場所の近くに、「目黒新富士」と「庚申塔」の史跡があります(目黒区中目黒1丁目)。
「【青葉台・南平台】市川海老蔵など芸能人・著名人の自宅を探訪~三田用水跡・暗渠散策(5)」でご紹介した代官山にある「目黒元富士跡」に対し、こちらは新しいので「目黒新富士」の名で呼ばれ、大勢の見物人で賑わったそうです。
下の写真は、案内板に描かれている安藤広重作の「目黒新富士山と眺望」を筆者が加工したもの。
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また、「目黒新富士」には「胎内洞窟」があったそうで、その実物模型を「目黒歴史資料館」で体験することができます(目黒区中目黒3丁目6−10)。
(出典:めぐろ歴史資料館)
江戸時代には富士信仰による富士登山が盛んでしたが、
富士山から下山した後、富士山のふもとにある「洞窟」をくぐり抜ける「胎内くくり」をして、汚れを払い生まれ変わって帰ってくるという風習がありました。
この「胎内くぐり」のご利益が得られるようにと、この「目黒新富士」に「胎内洞窟」を造ったもので、平成3年(1991年)に発見されました。
この発見された「胎内洞窟」を造形保存という手法で復元したものが、上の写真の「胎内洞窟」です。
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(胎内洞窟の謎:隠れキリシタンの信仰対象だったのか?)
この「目黒新富士」にあった「胎内洞窟」を発見・復元した学芸員の方から、大変興味深いお話を伺いました。
この「胎内洞窟」には、「大日如来像」が見つからないように埋められていたのですが、これが隠れキリシタンの信仰対象だったのではないかというお話です(下の写真は埋められていた「大日如来像」)。
(出典:めぐろ歴史資料館)
その根拠として以下の3つの点が挙げられるとのことです。
(1)「大日如来像」は「丁寧に埋葬されたような状態」で、見つからないように偽装されていたこと
(2)冠には5個の星があり、これらは金箔が施され、暗がりの中で十字架のように輝いたと思われること
下の写真は、「大日如来像」頭部の写真。
(出典:めぐろ歴史資料館)
5個の星と十字架を分かりやすく示すと以下のようになります。
(出典:めぐろ歴史資料館 筆者が加工)
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(3)台座に書かれた「浅草」の地名が隠れキリシタンとの関連を示すこと
台座正面には、「浅草平右ヱ門町」「信濃屋庄兵衛 倅 清蔵」と書かれていますが(下の写真)、
(出典:めぐろ歴史資料館)
(出典:めぐろ歴史資料館)
その浅草の鳥越にはハンセン病のキリシタンたちが住んでいたハンセン病病院があり、また、その病院内には礼拝堂がありキリシタンの活動拠点となっていました。
慶長18年(1613年)に信徒たちは捕らえられ、小伝馬町の牢に収容された後、処刑されましたが、
台座に書かれた「浅草平右ヱ門町」と多くの隠れキリシタンがいた浅草との関連が窺えます。
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そこで、浅草にあるカトリック浅草教会に行ってみました(下の写真)。
下の写真は、そのカトリック浅草教会にある「浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑」(台東区浅草橋5丁目20−5)。
また、下の写真は旧町名由来案内版(左衛門橋のたもとに置かれている案内板)で「平右衛門町」が旧町名としてあったことが分かります。
旧町名区域図を拡大したものです。
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なお、「浅草上平右衛門町」の地名は消滅しましたが、「浅草左衛門町」の地名は、「左衛門橋」、「左衛門町通り」としてその名を残しています。
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いずれにしても、大変興味深い話で、さらに研究が進められることを期待します。
なお、目黒歴史資料館からいただいたステッカーには目黒元富士と可愛らしい大日如来像が描かれていました(^^
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(目黒区内にあるその他のキリシタン伝承①:島原藩抱屋敷)
目黒区内には、「茶屋坂隧道から目黒駅まで散策~三田用水跡散策(7)」で散策した「千代ケ崎」のあった島原藩の抱屋敷があり(下の写真は「千代ケ崎」の説明版がある三田公園)、
目黒区の公式ホームページによれば、以下のような伝承が残されているそうです(太文字は筆者)。
「松平主殿頭の屋敷内に三基の異様な灯ろうがあった。この灯ろうは大正15年に大聖院(目黒区下目黒三丁目1番)に移されたのだが、それが十字の型をした切支丹灯ろうであることがわかり、この地が潜伏切支丹の遺跡ではないかと大騒ぎになった」のである。
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(目黒区内にあるその他のキリシタン伝承②:大鳥神社の切支丹灯籠)
上述した「島原藩下屋敷」にあったと伝えられる「切支丹灯籠」が下目黒の大鳥神社にあります(目黒区下目黒3丁目1−2)。
竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、
イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の「切支丹灯籠」であることが説明版に書かれています。
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(目黒区内にあるその他のキリシタン伝承③:大聖院の切支丹灯籠)
大鳥神社の隣にある天台宗の寺院である「大聖院」にも、同じく、「島原藩下屋敷」にあったと伝えられる「切支丹灯籠」が置かれています(目黒区下目黒3丁目1−3)。
説明書きには、「中央のもっとも高い1基の棹石(さおいし)には変形T字クルスとキリスト像と思われる形状が、また左右面に、漢詩が刻まれている」と書かれています。
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