「松居一代など芸能人・著名人の自宅」と「戦争遺構」を探訪~代田・代沢散策(最終回):徳永英明/竹下登/駒場学園高等学校/陸軍獣医学校跡碑/軍馬碑/陸軍境界石
- 2021/11/18
- 09:03
世田谷区の代田を散策しながら、江原啓之が神職として奉職した北澤八幡神社を散策した後、小栗旬・山田優夫妻の自宅と自宅マンションを探訪しました。
今回は、「世田谷代田・代沢散策シリーズ」の最終回として、徳永英明・松居一代の自宅、竹下登邸跡や戦争遺構を探訪します。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(徳永英明の自宅)
前回の記事で歩いた代沢界隈には、シンガーソングライター・徳永英明の自宅があります(下の写真)。
玄関には、
「TOKUNAGA」と書かれた表札がありました。
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(駒場学園高等学校の戦争遺構①:陸軍獣医学校跡碑/軍馬碑)
私たちが歩いている代沢地区から駒場・池尻大橋にかけての地域には、戦前、陸軍が所有する広大な敷地がありました。
駒場・池尻大橋にかけて今でも残る戦争遺構については、別の機会(「中目黒→池尻大橋散策シリーズ」)にご紹介したいと思いますが、
この代沢地区の戦争遺構が駒場学園高等学校周辺にありますので、それらを見てきたいと思います。
駒場学園高等学校前の通りから、下の写真のような馬の銅像が見えます(世田谷区代沢1丁目23−8)。
許可を得て敷地内に入って写真を撮らせていただきました。
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「陸軍獣医学校跡」の石碑と
「軍馬碑」が置かれています。
戦前、この地には「陸軍獣医医学学校」があり、
クリント・イーストウッドが監督した映画「硫黄島からの手紙」にも出てきた西竹一(バロン西)陸軍中佐の愛馬ウラヌスも、西の戦死後、後を追うようにしてこの「陸軍獣医医学学校」で亡くなったそうです。
下の写真は、西竹一(バロン西)と愛馬ウラヌス。
(出典:Wikipedia)
参考記事:この界隈にある軍馬の供養碑についてまとめた記事として、「世田谷区の戦争遺構を探訪~中目黒→池尻大橋散策(最終回)」があります。
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(駒場学園高等学校の戦争遺構②:陸軍境界石)
駒場学園高等学校の裏手にある道路には、陸軍境界石が今でも残されています。
はっきりと「陸軍省」の文字が読み取れます。「陸軍省」の下にも文字が一部見えますが埋まっていて読み取れません。
この近辺には他にも陸軍境界石があったのですが、宅地の改築時に除去されたようです。
このような戦争遺構は文化財に指定されていないので簡単になくなってしまうのですが、先の大戦を忘れないためにも残しておいてほしいものです。
参考記事:陸軍境界石については、『「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2)』でも書いたことがあります。
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(松居一代の自宅)
代沢界隈には、女優の松居一代の自宅があります。
自宅脇に置かれている赤い車は、イギリスの高級車「ベントレー」で、この赤いベントレーは松居一代のブログにたびたび出てきます。
玄関には、
大きく「Matsui」と書かれた表札がありました。以前は「船越」の表札が掲げられていましたが、私が行った時は「Matsui」の表札になっていました。
また、元夫の船越英一郎はこの近くにあるマンションに住んでいるそうですが確認はできませんでした。
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(竹下登邸跡)
また、代沢には竹下登元総理の邸宅跡があります。竹下登の孫であるDAIGO(ダイゴ)の実家になりますが、現在はマンションになっています(下の写真)。
ここはもともとは佐藤栄作元総理の邸宅で、この佐藤邸を借りて住んでいたそうです。
道路わきにある2本の赤松は竹下登邸があった当時のまま残っているものだそうです。
【追記】中曽根元総理が長嶋茂雄所有の上北沢にある邸宅を借りていたように、運気を引き寄せるため運の強い人の家に住む政治家がいますが、
竹下登元総理も長期政権を築いた佐藤栄作元総理(第61・62・63代の内閣総理大臣)の運気にあやかろうと佐藤邸を借りていたものと思われます。
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これで、「芸術家が好んだ街~代田・代沢散策(1)」から8回にわたって掲載した「世田谷代田・代沢散策シリーズ」を終了します。
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