三軒茶屋を散策~世田谷線の旅(2):ゴリラビル/円泉寺/林芙美子旧居/東京ワンタン本舗本社
- 2021/11/04
- 08:17
江戸五色不動の一つである「目青不動」などを訪れ、「三軒茶屋の地名の由来」について調べました。
今回も引き続き三軒茶屋界隈を散策し、ゴリラビルや林芙美子旧居跡を訪れます。
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(茶沢通り)
前回の記事の「三軒茶屋由来の説明版」で述べた「田中屋」のある「茶沢通り」を散策します。
「茶沢通り」は三軒茶屋と下北沢を結ぶ通りで、三軒茶屋の「茶」と下北沢の「沢」を合成した名称です。
この「茶沢通り」は下町的な店とお洒落な店が混在している通りです。
参考記事:この付近にあるハンバーガー専門店について書いた記事として、『【三軒茶屋】「パンが美味しいハンバーガー屋」と「茶沢通りプチ散策」:サードバーガー』があります。
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(烏山川:八幡橋 たいしはし)
この「茶沢通り」を下北沢方向に進んでいくと、下の写真のようなやや窪んだ地形となっているのですが、
これは「烏山川」(からすやまがわ)があった地形上の痕跡です。
今は暗渠化され緑道になっていますが、昔あった橋の復元がなされています。
この「烏山川(緑道)」は世田谷線沿線の地形に重要な役割を担っていて、今後の「世田谷線シリーズ」で何回も出てきます。
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(ゴリラビル)
「茶沢通り」をさらに進んでいくと、ビルに巨大なゴリラが覆いかぶさっているゴリラビルがあります。
ゴリラの右手のひらには可愛らしい少女が乗っています。
ゴリラの顔をよく見ると優しい顔をしていて、危害を加えるようなゴリラではなさそうです(^^
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(円泉寺)
さらに進んでいくと、「茶沢通り」の右手に「聖徳太子参道」という石碑がありますので、
ここを入って行くと「円泉寺」があります。
境内にある太子堂(下の写真)には聖徳太子が祀られ、
この界隈の地名である「太子堂」の由来になっています。
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(趣のある庚申塔)
この「円泉寺」入り口横に、下の写真のようにケヤキの空洞の中に納まっている庚申塔があります。
巨木の幹にある庚申塔の姿は大変趣があります。
また、この「円泉寺」前の道はケヤキ並木になっており「せたがや百景」に選定されています。これらのケヤキは、このあたりが農村だったころに見られた屋敷林の名残だそうです。
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(林芙美子旧居)
このケヤキ並木の一角に「林芙美子旧居」の説明版が置かれています(世田谷区太子堂3丁目30)。
その説明版には、「此の路地裏の二軒長屋は、林芙美子の不遇な時代の寓居です」と書かれていますが、その二軒長屋のある路地裏が下の写真です。
下の写真は林芙美子。
(出典:Wikipedia)
林芙美子の「放浪記」には「屍室と墓地と病院と、淫売宿のようなカフェーに囲まれた、この太子堂の家もあきあきしてしまった」との一節があります。
林芙美子がここに住んでいたのは大正14年(1925年)から同15年ですが、林芙美子が「放浪記」で描写したように、墓地とかつての陸軍東京衛戍病院跡がありました。
今でも、当時の面影を残す一角です。
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(東京ワンタン本舗本社)
この「林芙美子旧居」の説明版の向かい側には、餃子の皮を作り続けて60年の「東京ワンタン本舗」の本社があります。
現在では、皮類にとどまらず、幅広い中華食品を製造しています。
(ユニークなマンション)(昔の住居表示)
最後に三軒茶屋界隈にある変わった風景をご紹介します。
「林芙美子旧居」の説明版から茶沢通りに歩いていくと、下の写真のようなユニークなデザインのマンションがありました。
また、この界隈の旧家で東京都が東京市であったころの住居プレートがありました。
(旧住居表示のため現在の場所を特定することは困難ですので全住所を開示しています)
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次回の記事では、三軒茶屋から世田谷線に乗って、世田谷に住むタヌキを探訪します。
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