三軒茶屋は三軒の茶屋から生まれた~世田谷線の旅(1):目青不動尊/教学院/三茶 3番街
- 2021/10/20
- 09:13
今回のシリーズは、世田谷を走る超ローカル鉄道「世田谷線」を使った歩き旅をしてみます。
下の写真のように、世田谷線は三軒茶屋から下高井戸までの17分間を走っている超ローカル電車(2両編成)です。
まず、最初の三軒茶屋駅(下の写真)から出発しますが、その前に三軒茶屋界隈を散策してみましょう。
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(目青不動:教学院)
三軒茶屋には、江戸五色不動の一つである「目青不動」を祀っている「教学院」があります。
寺の縁起によれば、応長元年(1311年)、江戸城紅葉山付近に創建された古刹で、その後、麹町・赤坂・青山に移転し、最終的に世田谷区三軒茶屋の地に移りました。
五色不動は、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる不動尊で、目黒不動(目黒区)、目白不動(豊島区)、目赤不動(文京区)、目青不動(世田谷区)、目黄不動(台東区)があります。
下の写真は、目赤不動(写真左)、目黒区の名称の由来となった目黒不動尊(写真右)。
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「目青不動」のある「教学院」には、三軒茶屋駅右にある「出口専用通路」から行くことができます。
通路を渡っていくと、世田谷線の横が「教学院」の境内になっています。
目青不動は秘仏なので公開されていませんが、「目青不動尊」のお堂があります。
参考記事:目黒不動尊については、『【下目黒】「ヒロミ・松本伊代夫妻の自宅」と「湧水」を探訪しながら目黒不動尊界隈散策(1)』をご覧ください。
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(キャロットタワー)
世田谷駅そばには、平成8年(1996年)に完成した複合ビルである「キャロットタワー」があります。
キャロット(にんじん)の通り、ニンジン色をしています。
26階には展望ロビーとレストランがあり、
三軒茶屋周辺の景色を一望することができます。
「【桜新町】芸能人の自宅を探訪しながら、桜新町・奥沢・用賀を散策(1)」で、駒沢給水塔とそれに続く真っ直ぐな水道道路を見たのもこの展望ロビーからでした。
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(三軒茶屋は三軒の茶屋から生まれた:三軒茶屋由来の説明版)
三軒茶屋は、江戸時代に大山への参拝に行く途中、この地に三軒の茶屋があったことに地名が由来し、街道の分岐点として繁栄しました。
そのことを書いた説明版が「三軒茶屋交番」の横に設置されています。
下の写真にあるように、江戸末期には、「角屋」・「信楽」・「田中屋」の三軒の茶屋があったのですが、
そのうち「田中屋」は現在でも同じ場所に現存しています(下の写真)。ただし、現在は、茶屋ではなく陶器店として営業しています。
参考記事:三軒茶屋で訪れたレストランの記事は以下の通りです。
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(大山街道道標)
上述したように、三軒茶屋は江戸時代に大山への参拝に行く途中の街道の分岐点にあったのですが、
その分岐点に「大山道の道標」があります。大変立派な道標です。
地図で示すと以下の通りです(玉川通りに設置された地図を筆者が加工)。
道標には堂々たる不動明王が置かれています。
これは、大山道が不動明王信仰のある「大山」に至ることを表しています。
「大山」とは神奈川県西北部の伊勢原市にある山で、古代から信仰の対象として「大山詣り」があり、
江戸の人口が100万人の時代に、年間20万人もの参拝者が訪れたといいます。
別名「雨降山」とも呼ばれる大山は、雨乞いや五穀豊穣の祈願だけでなく、商売繁盛にも御利益があり、
人々はさまざまなご利益を求めただけでなく、帰りには江の島などで物見遊山を楽しみました。
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(三角地帯)
三軒茶屋は世田谷の下町ともいわれていますが、
その中でも、特に下町的なエリアは上の地図で示した三角地帯にある「三茶 3番街」です。
新宿の「思い出横丁(通称「しょんべん横丁」」、渋谷の「のんべい横丁」と同じく闇市にルーツを持つ飲食店街です。
上述した「キャロットタワー」と「三茶 3番街」の電線の絡み具合が絶妙です(^^
なお、この「三角地帯」のそばに『「三軒茶屋の人気タイ料理店」と「三軒茶屋の由来」』でご紹介したタイレストラン「タイアムサラート」があります。
参考記事1:大井町にある闇市にルーツを持つ飲食店街「東小路」については、「高村智恵子終焉の地~ゼームス坂散策(1)」を参照ください。
参考記事2:新宿の「思い出横丁(通称「しょんべん横丁」)については、「新宿駅西口を散策(2)~新宿駅構内・周辺散策シリーズ(最終回)」を参照ください。
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次回の記事でも引き続き三軒茶屋を散策します。
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