力道山の墓所などを探訪~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(8):英一蝶/星亨
- 2021/10/15
- 07:51
仲池上から池上梅園まで散策しました。
今回は、池上本門寺に行き、力道山の墓所などの見どころを散策します(下の写真は力道山の墓所にある胸像)。
☆☆☆
大田区北西部を散策する「夫婦坂→久が原→池上本門寺散策」シリーズは、以下の3つのサブシリーズで構成されています。
① 学習研究社の本社があった「上池台散策サブシリーズ」(3回の記事)
② 渡哲也などの著名人や大企業の社長の自宅がある「久が原散策サブシリーズ」(3回の記事)
③ 力道山の墓所などがある「仲池上→池上本門寺散策サブシリーズ」(3回の記事)
今回は、③の「仲池上→池上本門寺散策サブシリーズ」の第2回目となります。
★★★
★★★
(池上本門寺)
前回の記事で訪れた「池上梅園」をさらに進むと、日蓮宗の大本山である「池上本門寺」があります。
この総門の扁額(門戸などに掲げる細長い額)の書は、熱心な法華経信者であり、名筆家としられた本阿弥光悦の書です(実物は寺宝として保管されており、下の写真の額は複製)。
「池上本門寺」には五重塔など4つの国指定の重要文化財、5つの東京都指定の有形文化財、2つの東京都指定の旧跡など、多くの重要な史跡があります(下の写真は、空襲による消失を免れた五重塔)。
これらの史跡については、優れた書籍やサイトがありますので、本記事では「ちょっと知らない見どころ」を見ていきたいと思います。
★★★
★★★
(池上本門寺:ちょっと知らない見どころ①:力道山の墓所)
池上本門寺には、日本のプロレスの礎を築いた力道山の墓所があります。
墓所は分かりにくい場所にあるのですが、所々に下の写真のような標識があるので、その標識に従いながら歩けばたどり着くことができます。
冒頭に掲載した力道山の胸像とともに、墓がありました。
なぜ、池上本門寺に力道山の墓があるのか理由は定かではありませんが、政財界の黒幕と言われていた児玉誉士夫(こだまよしお)と関係がありそうです。
★★★
★★★
力道山と書かれた石碑に「児玉誉士夫」の文字が彫られています。
児玉誉士夫は、力道山が設立した「日本プロレス」の代表取締役会長に就いていたこともあり力道山とは親しい関係にありました。
そして、児玉誉士夫の墓所が、同じく池上本門寺にあるのですが(下の写真)、
このような関係で、力道山の墓が池上本門寺にあるのではないかと推測されます。
参考記事1:児玉誉士夫の旧邸と元プロレスラー・長州力の自宅マンションについて書いた記事として「芸能人の自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(1)」があります。
参考記事2:新日本プロレス道場について書いた記事として「井ノ原快彦など芸能人の自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(最終回)」があります。
参考記事3:力道山とともに日本プロレスを創設した遠藤幸吉の自宅について書いた記事として「渡哲也の自宅など著名人の自宅を探訪~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(5)」があります。
★★★
★★★
(池上本門寺:ちょっと知らない見どころ②:弥生時代住居跡、古墳跡)
五重塔からさらに奥に入っていくと「万両塚」があります。
芳心院(紀州徳川頼宣の娘、家康の孫)の墓で、二重の空堀に囲まれた墓地となっています。建造費が1万両に及んだことから「万両塚」と呼ばれています。
また、万両塚調査の際に弥生時代の集落跡が発見され、その一部のレプリカと、
馬具や埴輪が出土した堤方権現台古墳(復元)も見ることができます。
★★★
★★★
(池上本門寺:ちょっと知らない見どころ③:英一蝶、星亨の墓所)
総門に行く手前に「車坂」があるのですが、
この「車坂」の途中に、元禄期の画家「英一蝶」(はなぶさ いっちょう)の墓があります。
また、坂の上には、伊藤博文とともに立憲政友会を結党する等の政治活動を行った「星亨」(ほし とおる)の墓所があります。
分かりにくい場所にあるため、「星先生墓道」の標識があります。
☆☆☆
次回の記事では、「仲池上→池上本門寺散策サブシリーズ」の最終回として、この界隈にある「三大くず餅店」や「競馬場跡」を散策します。
★★★
★★★
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙

