森厳寺を散策~「一神教と多神教」を考える~代田・代沢散策(6):坂口安吾文学碑の由来/森厳寺川跡(暗渠)
- 2021/10/09
- 06:38
世田谷区の代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪しました。
今回は、代田から代沢に行き、森厳寺で「一神教と多神教」について考察したり、北沢川の支流である森厳寺川跡(暗渠)を散策します。
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(坂口安吾文学碑の由来)
古道である「鎌倉通り」が「代田」と「代沢」の境界線になっていて、この「鎌倉通り」を渡ると「代沢」になります。
参考のために、「芸術家が好んだ街~代田・代沢散策(1)」で掲載した地図を再掲します。
(出典:北沢川緑道に置かれた地図を筆者が加工したもの)
この「鎌倉通り」を渡ってさらに歩くと、三軒茶屋と下北沢を結ぶ「茶沢通り」と「世田谷区立代沢小学校」があります。
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「茶沢通り」に面した「世田谷区立代沢小学校」と「北沢川緑道」に挟まれた場所に「坂口安吾文学碑の由来」の説明版と一対の門柱が置かれています。
「坂口安吾文学碑」説明版の拡大写真です。
坂口安吾は大正14年(1925年)、この「代沢小学校」で1年間代用教員として勤めたことから、ここに説明版が置かれたようです。
また、両側の煉瓦は坂口安吾が「鎌田の家」(現大田区東矢口2丁目)と称していた家の門柱を移設したものです。
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(森厳寺①:灸と針供養)
「茶沢通り」を左に行くと、「森厳寺」(しんがんじ)があります(世田谷区代沢3丁目27-1)。
「森厳寺」は江戸時代には灸と針供養で知られた浄土宗の寺院で、山門の横には「粟嶋の灸」という大きな木の看板が掲げられています。
僧侶たちによる灸の効用が世間の評判を呼んで毎月3・8の灸治の日には遠くから訪れる人も多かったそうです。
なお、森厳寺の前には、風情ある蕎麦店「打心蕎庵」(だしんそあん)があるのですが(下の写真)、これについては別の記事(「静かな雰囲気で風情と癒しを満喫」)でご紹介します。
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(森厳寺②:2本の大イチョウ)
境内に入ると2本の大イチョウがあります。開山当時より境内にある樹齢400年の大イチョウだそうです。
(森厳寺③:針塚)
山門を入った左手に「森厳寺境内マップ」が置かれています。
境内には、様々な史跡がありますが、「灸」とともに知られた「針塚」を訪れてみます。
「針塚」の横に置かれた説明版には「針供養とは2月8日や12月8日、あるいは両日ともに裁縫の仕事を休み、折れ針や古針を供養する行事のことをいう」と書かれています。
奉納者の「東京和服裁縫教師会」の名が刻まれていました。
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(一神教と多神教)
(以下の「一神教と多神教」に関する記述は私見であり、「このような考えもある」ということでお読みください)
「多神教と一神教:日本人は宗教に無節操なのか?/異なる「神」の概念/針供養とアイボ」で詳しく書きましたが、
一神教を信じる欧米人に「日本では針や包丁を供養する」と話すと大変驚かれます。
キリスト教のような一神教では「人間は万物の上に君臨し、人間以外の生物を支配する特別な存在」と考えますが、
身近なものに「霊」が宿り、それを対等な存在として慈しむ発想は、絶対的・超越的な「神」の下に人間を含めた全てのものが服従するという「一神教」にはない考えであり、
この「針塚」は、日本が多神教文化圏に属するよい事例です。
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上の記事で書いたように、
身近なものに「霊」が宿り、それを対等な存在として慈しむ考えは、一言で言えば、人間を含む全ての存在を(支配ではなく)統括する「大いなるもの(something great)」への畏敬であると思います。
「恐れ」は恐怖を生み出しますが、「畏れ」は謙遜を生み出し、全てのものに敬意を持って接することを教えます。
日本人はこのような考えを無意識的に持っていると思いますが、これを意識化しもっと理解を深めることは大事なことではないかと思います。
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下の写真は、渋谷区広尾の祥雲寺にある鼠塚ですが(渋谷区広尾5-1-34)、
明治33年(1900年)に東京でペストが流行した際、感染源としてねずみが大量に駆除されました。
この碑は、そのねずみ達を慰霊するものですが、害獣である鼠でさえ供養する精神をみることができます。
碑の裏側には「数知れぬ 鼠もさぞやうかぶらむ この石塚の重き恵みに」という歌が彫られています。
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(森厳寺④:三つ葉葵)
「森厳寺」は徳川家康の次男として生まれた結城秀康が開基で、徳川家の位牌所のひとつであることから、
境内の至るところに徳川家の家紋である三つ葉葵を見ることができます。
(森厳寺⑤:森厳寺川跡:暗渠散歩)
この森厳寺のすぐ近くには、現在は暗渠化されていますが、「北沢川」に合流する「森厳寺川」が流れていました。
その流路であった近くに、「弁財天」が置かれています(下の写真)。
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弁財天は沼、湖、河川など、生命の根源ともいえる水を司る「薩羅隆伐底(サラス パティ)」という河川神といわれています。
そのような縁で古来、弁財天は水辺に祀られることが多いのですが、そのような弁財天が流路の近くにあるのはかつてこの近くに「水」があったことを想起させます。
下の写真は、「森厳寺川」を上流に向かって歩いた「森厳寺川跡(暗渠)」です。
この川跡(暗渠)はさらに下北沢まで続いています。
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次回の記事では、江原啓之が神職として奉職した北澤八幡神社を散策した後、芸能人の自宅を探訪します。
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