目黒駅から関根勤の自宅がある港区白金台へ~三田用水跡・暗渠散策(最終回):妙円寺
- 2021/10/02
- 08:04
三田用水跡で最大級の遺構だった「茶屋坂隧道」跡から目黒駅まで散策しましたが、
今回は、目黒駅から港区白金台まで三田用水跡をたどりながら散策します。
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(三田用水散策記事のまとめ)
今回はシリーズ最後の記事となるため、本ブログにおける三田用水跡・暗渠散策記事を以下の通りまとめてみました。
三田用水跡・暗渠散策としては、以下の3つのシリーズがありますが、以下の記事では「東京散歩(古道・暗渠・戦争遺構)のカテゴリ」の他に、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」に入る記事がいくつかあります。
(1)上流から散策した「三田用水跡・暗渠散策シリーズ」(8回にわたり掲載)
(2)下流から散策した「失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡シリーズ」(2回にわたり掲載)
(3)番外編:番外編として以下の3つの記事(シリーズ)
②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大山町散策シリーズ』(3回にわたり掲載)
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(目黒駅から自然教育園へ)
前回の記事で歩いたモスバーガーの少し先には「目黒駅」があります。
ここで、吉田茂が使ったメガネを展示いている「伏見眼鏡店」前を通り(「伏見眼鏡店」については、「元祖『抹茶パフェ』の店」と「吉田茂のメガネ~プチ目黒散策」、「東京都庭園美術館のフレンチレストラン」と「プチ白金散策」を参照)、
「元祖『抹茶パフェ』の店」と「吉田茂のメガネ~プチ目黒散策」でご紹介した「林家茶園」の脇を通って、左に曲がると、
下の写真のような目黒通りの裏道に出ます。ここが三田用水跡になります。
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やはり「境界石」があり、
三田用水跡特有の細長い空間があります。
この細長い空間から先は行き止まり(下の写真)になっているので迂回して裏手に行きます。
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すると、このような三田用水の両側に置かれた2つの境界石があります。三田用水の幅をクリアに示す珍しい境界石です。
この2つの境界石は是非後世に残しておいて欲しい遺構です。
この2つの境界石がある前の道は首都高速道路が走っている通りですが、(写真では分かりにくいかもしれませんが)よく見ると左右が緩やかに下っています。
三田用水はこの通りの向こう側に続くのですが、建物で塞がれていますので(下の写真)、信号を渡って迂回します。
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迂回した裏手ですが、三田用水跡に建てられた細長い家がありました。
この脇の道を進んでいきます。
やはり、境界石があり、
三田用水跡に建てられた細長い家並みがあります。
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右手に、屋根(妙円寺の屋根)が見えてきました。
右手の窪地を避けて三田用水を流したことがよく分かります。
下にある妙円寺から撮った写真ですが、高いところに三田用水が作られたことがここから見ても分かります。
池田山公園から見た三田用水と窪地についての地図を示したことがありましたが、その地図を再掲します。
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今歩いている道から「目黒通り」が見えてきました。
三田用水はここで目黒通りを右手に折れて、目黒通り沿いの短い区間を少し流れ、
30メートルほどで右の裏道に入っていました。
この右手に入った裏道が『関根勤の自宅を探訪しながら、失われゆく三田用水遺構を歩く~「今半」の店名の由来は?~港区白金台・三田用水跡(2)』で歩いた最終地点になります。
ここから後は、「失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡シリーズ」で歩いた道を逆に辿っていけば三田用水跡の終着点に行き着きます。
上の記事で詳しくご紹介しましたが、この界隈にある「関根勤の自宅」の写真です。
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これで、「三田用水跡を上流から散策~三田用水跡・暗渠散策(1)」から8回にわたって歩いた三田用水跡散策は、
『関根勤の自宅を探訪しながら、失われゆく三田用水遺構を歩く~「今半」の店名の由来は?~港区白金台・三田用水跡(2)』とつなげれば全ての区間を歩いたことになります。
「三田用水散策シリーズ」で何回か言及してきたように、三田用水跡の遺構や痕跡は、開発によって簡単に失われてしまうものばかりですが、できるだけ多くの遺構・痕跡を残しておきたいものです。
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