池上本門寺に向けて散策~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(7):子安八幡神社/林昌寺/池上梅園
- 2021/09/25
- 07:04
大田区北西部を散策する「夫婦坂→久が原→池上本門寺散策」シリーズは、以下の3つのサブシリーズで構成されています。
① 学習研究社の本社があった「上池台散策サブシリーズ」(3回の記事)
② 渡哲也などの著名人や大企業の社長の自宅がある「久が原散策サブシリーズ」(3回の記事)
③ 力道山の墓所などがある「仲池上→池上本門寺散策サブシリーズ」(3回の記事)
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前回の「社長の家を探訪しながら久が原の高級住宅街を歩く~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(6)」で、②の「久が原散策サブシリーズ」を終了したので、
今回は、③の「仲池上→池上本門寺散策サブシリーズ」の第1回目となります。
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(川の痕跡)
「夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(3):猿坂の祠/道々橋」で最後に訪れた東海道新幹線のガード下(下の写真)に戻って、池上本門寺に向けて散策します。
新幹線のガード下をくぐると、車道と同じぐらい広い歩道があります(下の写真)。
「ユニクロ柳井社長の邸宅、イスラム教寺院を探訪~三田用水跡・暗渠散策(2)」で書いたように異常に広い歩道は暗渠である可能性が高いのですが、
ここは「水のきれいな小川と暗渠を散策~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(2)」で書いた3つの支流(洗足流れ、小池流れ、鴻巣流れ)が合流して流れていた場所でした。
暗渠化しても、上に重量のある車を通すことができないため、歩道にしています。
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また、この付近の家は歩道より数段高い位置にあり、これも川が流れていた痕跡です。
さらに先に行くと、「八幡坂」(はちまんざか)の標識があり、そこには「坂下には子安橋があり」と書かれていましたので、ここに橋が架かっていたようです。
古地図を見ると、川はここで右に曲がり呑川に合流していました(ただし、一部の水はさらに小さな川(用水)となって先に流れていました)。
この先にある解説板に「子安八幡神社の付近の水路で、子どもたちが水あそびをしていたこと」「流れにはフナ、タナゴ、ハヤ、ウナギ、カワエビ、シジミなどがいました」と書かれています。昔は清らかな小川が流れていたのですね。
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(子安八幡神社)
左手の急峻な階段を登ると
「子安八幡神社」が鎮座しています(大田区仲池上1-14-22)。
階段の手前には「耕地整理完成記念」の大きな碑がありました。
大正初めから昭和にかけて各地で「耕地整理事業」が行われましたが、この大きな碑を見ると、当時の人達にとっていかに重要な事業であったかが感じとれます。
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(林昌寺)
「子安八幡神社」の隣には「林昌寺」があります(大田区仲池上1-14-17)。
日蓮宗の大本山である池上本門寺の周辺地域には日蓮宗の寺院が多いのですが、この「林昌寺」も日蓮宗の寺院です。
「古道を歩く~夫婦坂→久が原→池上本門寺散策(3)」で書いた、一時的に撤去された庚申堂が境内に大切に安置されていました(下の写真)。寺院と地元の人達の強いつながりを感じます。
また、ここの「大雄殿」のステンドグラスが美しいと聞きましたので写真に撮らせていただきました。
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(池上梅園)
「林昌寺」からしばらく歩くと第二京浜国道に合流します。
今まで私達が歩いてきた道は「桜のプロムナード」と呼ばれる道で、左に曲がると、この「桜のプロムナード」がさらに続きますが、
私達は右に折れて「池上梅園」に向かいます。
「池上梅園」は丘陵斜面を利用した庭園で、四季折々の風情を楽しむことができます。
(出典:大田区ホームページ)
園内には、大田区の花であるウメが約370本あり、初春には芳香を放ちながら紅白の花が咲き乱れます。
また、ツツジ約800株をはじめとする樹木や、茶室、和室の施設、水琴窟があります。
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次回の記事では、池上本門寺にある力道山の墓所などを見ていきます。
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