茶屋坂隧道から目黒駅まで散策~三田用水跡・暗渠散策(7):防衛施設庁 艦艇装備研究所/茶屋坂隧道
- 2021/08/15
- 05:52
前回の「失われた三田用水遺構~三田用水跡散策(6)」では、
代官山にある槍ヶ先交差点から戦艦大和の実験・研究が行われた「艦艇装備研究所」の周辺まで散策しました。
今回は、三田用水跡で最大級の遺構だった「茶屋坂隧道」跡から目黒駅まで散策します。
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(迂回して防衛省敷地の向こう側に行く)
前回の記事で歩いた場所から迂回して防衛省敷地の向こう側に行きます。
途中には馬頭観音や道標史跡があります。
ここから先は、「戦艦大和の実験・研究が行われた施設~中目黒→恵比寿散策(最終回)」で散策した同じ道を逆方向に歩いています。
「防衛施設庁 艦艇装備研究所」入り口があります(目黒区中目黒2-2-1)。
下の写真は、恵比寿ガーデンプレイスの展望場所から撮影した、艦艇装備研究所にある大水槽で、ここで戦艦大和の実験・研究が行われたことは「戦艦大和の実験・研究が行われた施設~中目黒→恵比寿散策(最終回)」で書いた通りです。
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また、「艦艇装備研究所」の向かいには、芸能事務所である「渡辺プロダクション」の学校があります(渋谷区恵比寿南2-14-6)。
さらに、防衛省の敷地で立入禁止の長い壁が続きます。
やっと新茶屋坂に着きました。
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このあたりのことは、『「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2)』で書きましたので、詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが、
この新茶屋坂には、三田用水を流すための「茶屋坂隧道」がありました。
現在は撤去され、「茶屋坂隧道の碑」があるのみです。
この「茶屋坂隧道」も私はかつて見たことがあるのですが、当時は関心がなく写真を撮っていなかったことが悔やまれます。
下の写真は、この碑にある撤去される前の「茶屋坂隧道」を拡大したもの。
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(「茶屋坂隧道」後の三田用水跡を歩く)
『「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2)』では、「茶屋坂児童遊園」の横の坂道を下って、「陸軍境界石」を見に行ったのですが、
今回の散策では、「茶屋坂隧道」から流れてきた三田用水跡を歩きます(下の写真)。
右手にはかつて茶屋坂隧道が架けられていた場所を見ることができます。ここに少しでも遺構の一部を残しておいて欲しかったですね。
歩いていくと、ここにも「境界石」がありました。
目黒区の教育委員会がしたのでしょうか。境界石を保護している様子が窺えます。
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(日の丸自動車学校から目黒駅へ)
歩いていくと、下の写真のように「日の丸自動車学校」の大きなビルが見えてきます。
この「日の丸自動車学校」のビルの脇に「三田用水跡」の詳しい説明版が置かれています。どのような経緯でこの説明板が置かれたのか分かりませんがありがたいことです。
また、この「日の丸自動車学校」の道路を挟んだ向かいにある「三田公園」には「千代ヶ崎」の説明板があります。
この説明板によれば、この地には肥前島原藩主松平主殿頭の抱屋敷があり、三田用水を利用した滝や池があったとのことです。
さて、「日の丸自動車学校」の脇の道を左に曲がります。
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後ろを振り向くと、山手線からよく見える「巨大な球体」を見ることができます。
通常は「日の丸」由来の「赤い球体」ですが(下の写真)、
(出典:日の丸自動車学校ホームページ)
私が行ったときは東京オリンピック仕様になっていました。
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この道を歩いていくと、三田用水脇に植えられていたと思われる大きな木があり、
境界石を見ることができます。
さらに進むと、三田用水跡の細長い空間と境界石がありました。
広い通り(目黒三田通り)に出て、左に曲がると、はんこ屋とモスバーガーがありますが(下の写真)、
このあたりが、三田用水の「水利組合」があった場所です。
公的機関が管理した玉川上水と異なり、三田用水は民間の水利組合が管理したため、
三田用水跡は売却され、その遺構・痕跡が少ないことは、『「関根勤の自宅を探訪しながら、失われゆく三田用水遺構を歩く~「今半」の店名の由来は?~港区白金台・三田用水跡(2)』で書きました。
このモスバーガー少し先には「目黒駅」があります。
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次回の記事では、三田用水跡散策シリーズの最終回として港区白金台まで歩きます。
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