港区の尾根道を歩く(2):黄梅院・承教寺・赤穂浪士・泉岳寺
- 2018/06/07
- 09:47
港区の尾根道を歩く(1)の続きです。
(黄梅院)
高輪消防署二本榎出張所から少し行くと、左手に曹洞宗の寺院である黄梅院(写真左)があり、境内には金運のパワースポットである高輪銭洗不動(写真右)があります。宝珠から湧き出ている水でお金を洗い清めると金運が増すそうです。

銭洗いといえば弁天様のイメージですが、この黄梅院はお不動様なんですね。
このあたりになると、品川駅ではなく地下鉄の高輪台駅、白金台駅が最寄り駅になります。
☆☆☆
(承教寺)
道路を隔てた右側には、承教寺(じょうきょうじ)という日蓮宗のお寺があります。ここには非常に珍しい狛犬が置かれています。半人半牛の狛件(こまくだん)と言うらしく、中国から持ち帰ったものだそうです。

さらに進むと右側にメロンパンの専門店があります。買って食べましたがとても美味しかったです。

さらに行くと和菓子の「高輪虎屋」があります。あの有名な赤坂の虎屋とは無関係だそうですが、地元では有名な店です。残念ながら閉まっていました。以前来た時も閉まっていたのですが、どうも長期間閉店しているようです。

都営アパートがありますが、とても立派な都営アパートです。

(赤穂浪士の史跡)
この都営アパートの間を入っていくと、赤穂浪士のうち、肥後熊本藩細川家に預けられた大石内蔵助良雄ら17名が切腹した「大石良雄外16人忠烈の跡」があります。赤穂浪士の好きな方には必見の場所ではないでしょうか。

この近辺一帯は細川家が有していた下屋敷で広大な土地ですが、さらに高輪白金駅方向に行くと、樹齢300年を超えるシイの古木があります。

赤穂浪士たちは、泉岳寺にある主君浅野内匠頭の墓に報告した後、拘束されて4つの大名家に預けられましたが、この細川家の扱いが最も丁寧だったそうです。
この先には、港区の「高輪コミュニティーセンター」があり、そこからエレベーターで白金高輪駅に行くことができます。このエレベーターなんと5階から1階まで直通で降ります。

高輪白金駅は谷筋にあるのですが、高低差が5階分あるわけで、ここでも港区が「ちょっとした山岳地帯」であることが、エレベーターを通して実感することができます。
さて、山岳地帯港区を実感したところで、二本松榎通りに戻り先に進みます。
(天皇陛下ご退位後の仮住まい候補地)
少し行くと、左側に大きなお屋敷の門があります。ここが旧高松宮邸で、天皇陛下がご退位された後に仮住まいとしてお住いになる場所です。パトカーが巡回していました。

道路の向かいには高輪二丁目交番もあり、治安対策に万全を期しているようです。
少し行くと、だんごの専門店「松島屋」があります。大正初期の創業だそうですが、この近辺はお寺が多いので門前町の店として商売をしていたと思われます。ここで豆大福、みたらし団子を買って家で食べましたが、上品な味でとても美味しかったです。

(泉岳寺)
「松島屋」のそばに、「伊皿子坂(いさらござか)」交差点があります。「伊皿子」とは聞き慣れない言葉ですが、説明書きによると

とのことですが、古い歴史を持つ坂なので、その由来も分からないようです。
伊皿子坂交差点を右に下ると赤穂浪士四十七士の墓で有名な泉岳寺です。せっかくですので、泉岳寺にも行ってきました。

江戸時代から大人気の物語なので、多くの人が今でも訪れており門前には土産屋などの店が並んでいます。
個人的には好きな物語ではないのですが(江戸城内で個人的な感情に流されて刃傷沙汰を起こし、それによって部下や家族、藩の命運を危機に陥れた浅野内匠頭は主君としては失格で好きにはなれません)、そのことは置いておきましょう。(続きます)
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(関連記事)港区の尾根道を歩く(1)
(黄梅院)
高輪消防署二本榎出張所から少し行くと、左手に曹洞宗の寺院である黄梅院(写真左)があり、境内には金運のパワースポットである高輪銭洗不動(写真右)があります。宝珠から湧き出ている水でお金を洗い清めると金運が増すそうです。


銭洗いといえば弁天様のイメージですが、この黄梅院はお不動様なんですね。
このあたりになると、品川駅ではなく地下鉄の高輪台駅、白金台駅が最寄り駅になります。
☆☆☆
(承教寺)
道路を隔てた右側には、承教寺(じょうきょうじ)という日蓮宗のお寺があります。ここには非常に珍しい狛犬が置かれています。半人半牛の狛件(こまくだん)と言うらしく、中国から持ち帰ったものだそうです。

さらに進むと右側にメロンパンの専門店があります。買って食べましたがとても美味しかったです。


さらに行くと和菓子の「高輪虎屋」があります。あの有名な赤坂の虎屋とは無関係だそうですが、地元では有名な店です。残念ながら閉まっていました。以前来た時も閉まっていたのですが、どうも長期間閉店しているようです。

都営アパートがありますが、とても立派な都営アパートです。

(赤穂浪士の史跡)
この都営アパートの間を入っていくと、赤穂浪士のうち、肥後熊本藩細川家に預けられた大石内蔵助良雄ら17名が切腹した「大石良雄外16人忠烈の跡」があります。赤穂浪士の好きな方には必見の場所ではないでしょうか。


この近辺一帯は細川家が有していた下屋敷で広大な土地ですが、さらに高輪白金駅方向に行くと、樹齢300年を超えるシイの古木があります。

赤穂浪士たちは、泉岳寺にある主君浅野内匠頭の墓に報告した後、拘束されて4つの大名家に預けられましたが、この細川家の扱いが最も丁寧だったそうです。
この先には、港区の「高輪コミュニティーセンター」があり、そこからエレベーターで白金高輪駅に行くことができます。このエレベーターなんと5階から1階まで直通で降ります。


高輪白金駅は谷筋にあるのですが、高低差が5階分あるわけで、ここでも港区が「ちょっとした山岳地帯」であることが、エレベーターを通して実感することができます。
さて、山岳地帯港区を実感したところで、二本松榎通りに戻り先に進みます。
(天皇陛下ご退位後の仮住まい候補地)
少し行くと、左側に大きなお屋敷の門があります。ここが旧高松宮邸で、天皇陛下がご退位された後に仮住まいとしてお住いになる場所です。パトカーが巡回していました。

道路の向かいには高輪二丁目交番もあり、治安対策に万全を期しているようです。
少し行くと、だんごの専門店「松島屋」があります。大正初期の創業だそうですが、この近辺はお寺が多いので門前町の店として商売をしていたと思われます。ここで豆大福、みたらし団子を買って家で食べましたが、上品な味でとても美味しかったです。


(泉岳寺)
「松島屋」のそばに、「伊皿子坂(いさらござか)」交差点があります。「伊皿子」とは聞き慣れない言葉ですが、説明書きによると

中国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えられるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも、いいさらふ(意味不明)の変化ともいう
(伊皿子説明書きより)
とのことですが、古い歴史を持つ坂なので、その由来も分からないようです。
伊皿子坂交差点を右に下ると赤穂浪士四十七士の墓で有名な泉岳寺です。せっかくですので、泉岳寺にも行ってきました。

江戸時代から大人気の物語なので、多くの人が今でも訪れており門前には土産屋などの店が並んでいます。
個人的には好きな物語ではないのですが(江戸城内で個人的な感情に流されて刃傷沙汰を起こし、それによって部下や家族、藩の命運を危機に陥れた浅野内匠頭は主君としては失格で好きにはなれません)、そのことは置いておきましょう。(続きます)
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(関連記事)港区の尾根道を歩く(1)