【清澄白河・森下】「お洒落カフェ」と「江戸の名残」~現代と江戸を清澄白河で堪能(2):暗渠散歩/六間堀跡/五間堀跡
- 2021/07/03
- 06:05
ニュージーランド発祥のカフェ「イキ エクスプレッソ」でコーヒーと料理を楽しみました。
今回は、「イキ エクスプレッソ」近くにある六間堀・五間堀跡を散策(暗渠散歩)して江戸時代の名残を探してみます。
下の写真は、森下駅前にある地図ですが、「くの字」をした変わった区画があります(森下駅前にある地図を筆者が加工)。今回はこの地域を散策します。
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(東京の武蔵野台地と下町)
下の写真は、東京を立体的に示した地図で、左側の黄色の部分が武蔵野台地、右の青い部分が標高の低い下町地区になります。私が散策する東京エリアはどちらかというと、左の武蔵野台地が多いのですが、今回は右の下町地区の散策になります。
(出典:国土地理院 デジタル標高地図を筆者が加工)
なお、皇居(江戸城)は東京の中心と言われますが、武蔵野台地の視点から見ると武蔵野台地の東側の縁にあることが分かります。
太田道灌が江戸城を造った当時は、江戸城横には日比谷入り江があり、周辺には川があったので、防御しやすい高台に城を建設した戦略が読み取れます。
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(六間堀・五間堀を暗渠散歩)
前回の記事で訪れた「イキ エクスプレッソ」近くにある六間堀跡(現在はすべて暗渠化)を「堅川(たてかわ)」に向かって歩きます。
途中に「八名川公園」があり、「六間堀跡」の説明版が置かれています。
また、「八名川公園」に隣接する「区立八名川小学校」には、現在の新大橋に架け替えられる前の「旧新大橋」の「名板」が置かれています。
名板には「志ん於ほはし」と書かれていて時代を感じさせます。
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途中で、「新大橋通り」を渡りますが、向こう側に「六間堀跡」が続いています。下の写真で示したように2つのビルが「六間堀跡」に建てられています(【追記】堀の両脇には「河岸地」があったので、六間堀の実際の幅はこれよりやや狭かったと考えられます)。
2つのビルの間の細い道を歩いていくと、
「六間堀児童公園」があります。
ここが、「六間堀」と「五間堀」の結節地点になります。
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(残された護岸跡)
この「六間堀公園」の前にある民家の間に護岸跡があります。「六間堀」の数少ない貴重な遺構です。護岸跡には駐車場の白い境界線が書かれています。
さらに進んで、堅川に架けられた「千歳橋」に行きます。
「千歳橋」脇にも、部分的に残された護岸跡があります。美しいカーブです。
なお、下の写真は、掘り出された六間堀の石です(期間限定の展示で撮影したものなので現在は見ることができません)。
(許可を得て撮影しました)
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(五間堀跡を暗渠散歩)
次に、「六間堀児童公園」に戻って「五間堀跡」(現在はすべて暗渠化)を散策してみます。
通りで分断されますが、向こう側に「五間堀跡」が続いています。
向こう側にある「五間堀公園」に
「五間堀跡」の説明版が置かれています。
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下の写真は、その説明版にある江戸時代の五間堀の拡大写真です。
さらに「五間堀跡」を進んでいくと、
(江戸時代、五間堀に架かっていた「伊予橋」があった)「菊一児童公園」にある公衆トイレの壁に「江戸時代の伊予橋付近」の絵が描かれていました。
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