江東区深川の名所を歩く(1):松尾芭蕉・カミソリ堤防・相撲部屋
- 2018/06/01
- 17:46
今回は江東区深川を散策します。
江東区は、城東・深川・南部の3地区に分けられますが、深川地区は江戸時代の下町情緒にあふれる地区です。
今回は、森下→清澄白河→門前仲町と歩きます。
☆☆☆
(芭蕉記念館)
地下鉄森下駅から徒歩7分ほどのところにある「芭蕉記念館」を訪れます。
史跡の宝庫(1):南千住・北千住で松尾芭蕉の像を見て、足立区と荒川区の間で松尾芭蕉が旅立った場所について論争があることをお話しました。
これをきっかけに松尾芭蕉に興味を持ちましたので、芭蕉が長年住んでいた深川の「芭蕉記念館」に来たわけです。

松尾芭蕉は37歳から51歳まで最も充実した時期に深川に住みました。このため、江東区はここに記念館を建てたのですが、大変充実した記念館で多くの資料の収集や展示を行っています。
私は不勉強で知らなかったのですが、芭蕉が「奥の細道」の旅をした時、河合曽良(かわいそら)という弟子と旅に出たそうです。その時の様子が展示されていました。

(写真撮影について芭蕉記念館の了解を得ています)
松尾芭蕉は徳川幕府が警戒していた仮想敵の仙台藩(伊達藩)に異様に長く滞在するなどしたことから徳川幕府のスパイだったのではないかという説がありますが、芭蕉ではなくこの河合曽良がスパイ活動をしていたという説もあるそうです。
また、芭蕉は千住まで徒歩ではなく、船で隅田川を上り、千住で「奥の細道」の旅に出たそうです。その船で降りた場所が南千住か北千住か分からないため、足立区と荒川区で未だに論争があるわけです。
(隅田川のカミソリ堤防)
「芭蕉記念館」を出た後、隅田川テラスに行きました。散策に気持ちのいい場所です。
隅田川テラスは、隅田川両岸に整備された親水テラスですが、ここに「カミソリ堤防」と呼ばれる堤防があります。
幅が細い堤防ですね。すぐに「切れる」(決壊する)ので「カミソリ堤防」というのだそうです。

柴又を歩く(3):山本亭・江戸川土手の写真にあるように、江戸川は土手で洪水を防いでいますが、隅田川は堤防で洪水を防いでいます。
(芭蕉庵史跡展望庭園)
この隅田川テラスを下流に下って行くと、芭蕉の像がある「芭蕉庵史跡展望庭園」があります。

ここにある松尾芭蕉像は午後5時になると隅田川に向きを変えますが、この庭園は4時半に閉まってしまうので、船に乗っている人にしかその動きが見えないそうです。

この庭園は非常に眺望の良い場所です。写真の綺麗な水色の橋は清洲橋(きよすみばし)ですが、関東大震災後の震災復興事業として建設された橋で、国の重要文化財に指定されています。
橋の右奥にあるビルの下半分を見てください。四角の穴が開いていますが、近隣住民の日照権確保のために穴を開けたそうです。

(芭蕉稲荷神社)
この展望台を出たすぐのところに、芭蕉稲荷神社があります。松尾芭蕉が住んだ芭蕉庵があったと言われる場所で、江戸時代の古地図にも描かれています。

(萬年橋、相撲部屋)
小名木川にかかる萬年橋を渡ります。
歴史的に由緒ある橋で、葛飾北斎や歌川広重もこの萬年橋を題材にして浮世絵を描いています。

この萬年橋を渡ると、清澄白河地区です。
このあたりは相撲部屋が4つもあります。大江戸線の清澄白河駅から両国までは2駅ですから相撲部屋が多いのでしょうね。
下の写真は「大嶽部屋」と「錣山部屋(しころやまべや)」です。

「錣(しころ)」とはあまり見慣れない文字ですが、デジタル大辞泉よれば、
だそうです。戦いに関係する言葉ですね。
「大嶽部屋」には大鵬の孫、貴闘力の三男がいます。また、「錣山部屋」は寺尾が創設した相撲部屋です。(続きます)
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江東区は、城東・深川・南部の3地区に分けられますが、深川地区は江戸時代の下町情緒にあふれる地区です。
今回は、森下→清澄白河→門前仲町と歩きます。
☆☆☆
(芭蕉記念館)
地下鉄森下駅から徒歩7分ほどのところにある「芭蕉記念館」を訪れます。
史跡の宝庫(1):南千住・北千住で松尾芭蕉の像を見て、足立区と荒川区の間で松尾芭蕉が旅立った場所について論争があることをお話しました。
これをきっかけに松尾芭蕉に興味を持ちましたので、芭蕉が長年住んでいた深川の「芭蕉記念館」に来たわけです。

松尾芭蕉は37歳から51歳まで最も充実した時期に深川に住みました。このため、江東区はここに記念館を建てたのですが、大変充実した記念館で多くの資料の収集や展示を行っています。
私は不勉強で知らなかったのですが、芭蕉が「奥の細道」の旅をした時、河合曽良(かわいそら)という弟子と旅に出たそうです。その時の様子が展示されていました。

(写真撮影について芭蕉記念館の了解を得ています)
松尾芭蕉は徳川幕府が警戒していた仮想敵の仙台藩(伊達藩)に異様に長く滞在するなどしたことから徳川幕府のスパイだったのではないかという説がありますが、芭蕉ではなくこの河合曽良がスパイ活動をしていたという説もあるそうです。
また、芭蕉は千住まで徒歩ではなく、船で隅田川を上り、千住で「奥の細道」の旅に出たそうです。その船で降りた場所が南千住か北千住か分からないため、足立区と荒川区で未だに論争があるわけです。
(隅田川のカミソリ堤防)
「芭蕉記念館」を出た後、隅田川テラスに行きました。散策に気持ちのいい場所です。
隅田川テラスは、隅田川両岸に整備された親水テラスですが、ここに「カミソリ堤防」と呼ばれる堤防があります。
幅が細い堤防ですね。すぐに「切れる」(決壊する)ので「カミソリ堤防」というのだそうです。

柴又を歩く(3):山本亭・江戸川土手の写真にあるように、江戸川は土手で洪水を防いでいますが、隅田川は堤防で洪水を防いでいます。
(芭蕉庵史跡展望庭園)
この隅田川テラスを下流に下って行くと、芭蕉の像がある「芭蕉庵史跡展望庭園」があります。

ここにある松尾芭蕉像は午後5時になると隅田川に向きを変えますが、この庭園は4時半に閉まってしまうので、船に乗っている人にしかその動きが見えないそうです。

この庭園は非常に眺望の良い場所です。写真の綺麗な水色の橋は清洲橋(きよすみばし)ですが、関東大震災後の震災復興事業として建設された橋で、国の重要文化財に指定されています。
橋の右奥にあるビルの下半分を見てください。四角の穴が開いていますが、近隣住民の日照権確保のために穴を開けたそうです。

(芭蕉稲荷神社)
この展望台を出たすぐのところに、芭蕉稲荷神社があります。松尾芭蕉が住んだ芭蕉庵があったと言われる場所で、江戸時代の古地図にも描かれています。

(萬年橋、相撲部屋)
小名木川にかかる萬年橋を渡ります。
歴史的に由緒ある橋で、葛飾北斎や歌川広重もこの萬年橋を題材にして浮世絵を描いています。

この萬年橋を渡ると、清澄白河地区です。
このあたりは相撲部屋が4つもあります。大江戸線の清澄白河駅から両国までは2駅ですから相撲部屋が多いのでしょうね。
下の写真は「大嶽部屋」と「錣山部屋(しころやまべや)」です。


「錣(しころ)」とはあまり見慣れない文字ですが、デジタル大辞泉よれば、
「兜(かぶと)の鉢の左右・後方につけて垂らし、首から襟の防御とするもの」(デジタル大辞泉より)
だそうです。戦いに関係する言葉ですね。
「大嶽部屋」には大鵬の孫、貴闘力の三男がいます。また、「錣山部屋」は寺尾が創設した相撲部屋です。(続きます)
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