ユニクロ柳井社長の邸宅、イスラム教寺院を探訪~三田用水跡・暗渠散策(2):東京ジャーミイ/古賀政男音楽記念館/徳川宗家の邸宅
- 2021/03/23
- 07:42
京王電鉄の笹塚駅(渋谷区)から出発し、三田用水跡の暗渠散策を開始しました。
今回は、ユニクロ・柳井社長の邸宅やイスラム教寺院を探索しながら、三田用水跡を歩きます。
(※)芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(日本最大のイスラム教寺院:東京ジャーミイ)
三田用水跡をたどる前に寄り道して、「東京ジャーミイ」に行ってみます。
前回の記事で渡った「井の頭通り」を東方向の代々木方面に歩くと、下の写真のようなレトロで重厚感のあるマンションがあり、
しばらくすると、日本最大のイスラム教寺院である「東京ジャーミイ」が見えてきます(渋谷区大山町1−19)。
「ジャーミイ」とは礼拝が行われるモスクを意味します。
ここは見学自由で、中に入ると下の写真のような美しいイスラム建築様式を見ることができるのですが、長文になるため別記事(「日本最大のイスラム教寺院を訪問~三田用水跡・暗渠散策(番外編)」)で詳しくご紹介したいと思います。
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(古賀政男音楽記念館)
この「東京ジャーミイ」から小田急線・代々木上原駅のガードをくぐった先には、「古賀政男音楽博物館」があります(渋谷区上原3丁目6−12)。
昭和を代表する作曲家の古賀政男は昭和13年(1938年)にこの地に移り住みましたが、古賀政男の意思を受け継ぎこの博物館が建てられました。
古賀政男に関する展示や日本の歌謡史に関する展示がされています。
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(ユニクロ・柳井社長の邸宅)
先ほどの「東京ジャーミイ」の近くには、ユニクロ社長・柳井氏の邸宅があります。
家というよりも城塞のような、非常に大きく立派な邸宅です。
いままで、東京散策をしながら芸能人・著名人の家を多く見てきましたが、それらの中でもこの邸宅は群を抜いていて、最大級の立派な豪邸です。
敷地内にはゴルフ練習場やテニスコートがあるそうです。
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大正2年(1913年)に開園した遊覧庭園「大山園」跡地が柳井社長の邸宅になっています。
昭和初期の地図(1927~1939年)を見ると「大山園」の名前が載っています。
(出典:今昔マップon the webを筆者が加工したもの)
当時は大山園から渋谷川水系の支流が流れていたそうです。
下の写真は柳井社長邸宅の東部分の様子ですが、下り坂の後は上り坂になるV字型の谷を形成しており、大山園があった当時はこの谷の部分に川が流れていました。
現在でも邸宅の中に湧水源があるのかどうか、巨大な塀に囲まれて見ることはできません。
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(徳川宗家の邸宅)
また、この界隈には徳川宗家の邸宅があります。
「徳川」と書かれた表札がありました。
「【日本橋】橋梁としての日本橋探索(1):元標の広場/道路元標」で、「本町通り」(旧日光街道)の道標に徳川家第18代当主が揮毫していることを書きましたが、
この邸宅の当主が徳川家第18代当主の徳川恒孝氏です。
下の写真がその揮毫。
(東京の知られざる高級住宅地:渋谷区大山町、西原)
上述した「大山園」の名に由来する、この界隈の「大山町」は「徳川山」とも呼ばれる、東京の知られざる高級邸宅地です。
また、この大山地区の隣にある西原地区も芸能人・著名人が多く住んでいる高級住宅街で、今でも湧水池がある閑静な地区です。この「西原地区」については、「三田用水散策シリーズ」の番外編として別記事を書く予定です(『「森山良子などの芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大山散策(最終回)』)。
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(三田用水跡の散策を再開)
さて、先程の場所に戻って、三田用水跡の暗渠散策を再開します。
しばらく歩くと、下の写真のような、車道に比べて不自然に広い歩道があります。
不自然に広い歩道は暗渠であることが多く(川や用水を覆っただけなので重量のある自動車を通せないため、車道にせず歩道として使用している)、この歩道は三田用水跡と考えられます。
道路の右手は下っていて(下の写真)、人工河川である三田用水が窪地を避けて尾根道を流れていたことを窺わせます。
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(東北沢駅点検口)
しばらく行くと、小田急線・東北沢駅前の工事現場があります。
この工事現場の中に、下の写真のような四角の鉄板があるのですが、これは三田用水の点検口と言われるものです。
三田用水の数少ない遺構のひとつですが、工事中に取り除かれてしまうのではないかと危惧しています。
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(宇田川の源流)
さらに歩いていくと、「宇田川木材」という会社があります。
以下の2つの記事で、渋谷川の支流であった「宇田川」のことを書きましたが、
このあたりは渋谷川の支流である「宇田川」の源流の一つがあった場所で(上原支流)、そのことがこの会社の名前から見て取れます。
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(三角橋)
さらに進んでいくと、「三角橋交差点」という三叉路があります。
この付近は、「三田用水」と「三田用水の分水」があり、三角状の橋が架かっていたのではないかと考えられます。
また、この辺りは、目黒区・世田谷区・渋谷区の3つ区の区境にもなっています。
(東北沢駅に置かれた地図の拡大写真を筆者が加工したもの)
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(ところどころに境界石が見えてくる)
さらに進み、右手の横道を見ていくと、下の写真のような三田用水の境界石を見ることができます。
下の写真はその境界石を拡大したものです(境界石にある矢印は新しく刻んだものと思われます)。
「失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡(1)」で書いたように、
境界石は「地上に出ていたのは約20cmですが、基礎部分は90cm以上埋められていた」非常に長い石で、掘り出すことが難しかったため残されたものと考えられます。
下の写真は「めぐろ歴史資料館」入り口に展示されている「三田用水境界石」です。私はここで初めて「境界石」の全体を見ましたが、非常に長いので驚いたことがあります。
(出典:目黒歴史資料館)
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(※)芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
次回は、駒場東大の裏手の高台に流れていた三田用水跡を散策します。
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