臼田坂の由来~臼田坂散策(2):馬込の三本松/川瀬巴水/馬込小学校時計台
- 2021/02/21
- 08:42
前回の「臼田坂散策(1)」では、
都営地下鉄・馬込駅を出発し、地図やジオラマで大田区にある馬込駅周辺・臼田坂を概観し、内川の源流を探訪しました。
今回も、引き続き臼田坂、内川跡を散策します。
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(馬込の三本松)
前回の記事で歩いた新馬込橋付近には、昭和初期まで「三本の松」があり、古来より「道しるべ」として使われていました。
今でも、「馬込三本松通商店会」という商店街の名前、
バス停の名称、
町内会の名称などにその名残を見ることができます。
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(新馬込橋)
環七の切り通しに架けられた「新馬込橋」を渡ります。
橋には、馬込に住んだ、昭和初期の浮世絵師・版画家の川瀬巴水(かわせはすい)が描いた多くの絵が掲げられています。
その中に、「三本松」を描いたと思われる「馬込の月」があります。
また、橋の脇には、川瀬巴水に関する詳細な説明版が置かれています。
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(蒼風堂)
新馬込橋を渡って歩いていくと、左手に和菓子屋の「蒼風堂」(そうふうどう)があります(大田区中馬込3-26-13)。
「馬込文士村」ののぼり旗に惹かれて店内に入り、
「馬込文士村 栗どら」を購入しました。
重厚感があって、美味しいどら焼きでした。
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(馬込シクラメン園)(内川跡)
しばらく歩いていくと、上に東海道新幹線、下に湘南新宿ラインが走る「馬込橋」があります。
少し寄り道して、「馬込橋」の右にある坂道を下っていくと、
「馬込シクラメン園」があります(大田区中馬込3-20-13)。
私が行ったときには、シクラメンの花は咲いていませんでしたが、11月から年末にかけては様々なシクラメンが咲き、販売もしているそうです。
シクラメンにちなんで、近くの公園には「シクラメン ゆかりの里」の碑がありました。
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また、ここは内川の流路にあたる場所で、(暗渠化されていますが)道を挟んで川跡がはっきりと残っています。
一方は住宅街にある川跡、
もう一方は線路(湘南新宿ライン)の下に行く川跡です。
線路の下はトンネルになっていて、向こう側に出口が見えます。
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ここに「桜のプロムナード」と書かれた地図がありました。「桜のプロムナード」と書かれた部分が内川跡になります。
(「桜のプロムナード」を筆者が加工したもの)
線路の向こう側の出口の先が気になるので行ってみたところ、JRの敷地内で確認できませんでした。
JRの敷地を出た内川跡の暗渠は、立正大学付属中学・高校脇の暗渠となり、
第二京浜の「馬込坂下」に続いていきます。
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(馬込小学校と時計台)
先ほどの馬込橋に戻って、橋を渡ると、
右手に、「馬込橋食糧」と書かれた看板のあるレトロなお店があります。まさに古道沿いにふさわしいお店です。
さらに歩いていくと、左手に「馬込小学校」があります(大田区南馬込1丁目34-1)。
「馬込小学校」は昭和初期の馬込村役場でした。
馬込文士村に住んでいた文士たちも、この「臼田坂」を行き来しながら、行政手続きのために、この「馬込小学校」に来ていたことを想像すると散策も楽しくなります。
また、近くの民家には旧馬込小学校のシンボルとして親しまれていた「時計台」が移設されて残っています。
失われることを惜しんだこの民家の方に払い下げられたそうです。
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(臼田坂)
さて、私たちが歩いている「臼田坂」ですが、
その説明書きには「坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起こったといわれる」と書かれています。
「馬込小学校」前に旧馬込村の総鎮守である「馬込八幡神社」があるのですが(大田区南馬込5丁目2-11)、
その「社殿修復奉納者芳名」には「臼田」という姓が多くありました。
臼田家はこの地域の有力一族と思われます。
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次回は、「大田区郷土資料館」を訪れた後、三島由紀夫の邸宅、仲村トオル・鷲尾いさ子夫妻の自宅を探訪します。
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