神宮外苑を歩く(2):銀杏並木・聖徳記念絵画館・最古のアスファルト道
- 2018/05/30
- 09:53
神宮外苑を歩く(1)の続きです。
(明治維新に関する私見)
今年は明治150年ということで、明治神宮外苑を散策しているわけですが、明治は明治維新によって幕を開けました。
ということで、
明治維新に関する私の歴史観を述べたいと思います。
一般には、明治維新によって日本は後進的な封建社会から近代国家になったと肯定的に捉えられていますが、このような歴史観は薩長藩閥政府の勝者による偏った歴史観ではないかと私は思っています。
約260年もの平和な社会を築き、その平和の下で現在にまで続く庶民文化が花開き、当時の李氏朝鮮とも良好な関係を保っていた江戸幕府は明治政府の意思決定過程から排除されましたが、もし公武合体が成功し、江戸幕府が新政府の意思決定過程に関与できる体制になっていたならばもっと違った歴史になった可能性があったのではないかと思っています。
当時の国際情勢から考えて、日本は近隣国への植民地政策を取らざるを得なかったと思いますが、江戸幕府の持つ価値観が少しでも浸透していれば、拡大主義ではなくもっと自己抑制の効いた植民地政策になっていたかもしれませんし、今のアメリカとは比べ物にはならない力を有していた当時のスーパー超大国のアメリカと戦争をするという無謀な決断はしなかったかもしれません。
以上はあくまでも歴史の専門家でない者の私見ですので、ご異論があってもご容赦お願いします。
☆☆☆
(銀杏並木)
さて、本題に入ります。
神宮外苑の入り口である青山通りから300メートルに渡り樹齢100年を超える銀杏が4列に並んでいます。
秋の紅葉時期には、黄金色となった銀杏並木を見に来る人が多くいて大変混雑するのですが、今の時期は人も少なくのんびりと散策できます。
下の写真のように、緑のトンネルのようになった銀杏並木も美しいものです。

(お洒落カフェ)
ここで、お腹が空いてきたので、銀杏並木のそばにあるニューヨーク生まれのハンバーガー専門店「SHAKE SHACK(シェイクシャック)」に行きました。

ここの外苑いちょう並木店のシェイクシャックは日本一号店で、開店した当時は大変な評判を呼び長い行列ができていました。
当時は長蛇の列にうんざりして入らなかったのですが、今はだいぶ落ち着いてきて、並ばずに入ることができました。
(聖徳記念絵画館)
幕末から明治までの明治天皇の業績や事績を描いた絵画が展示されている「聖徳記念絵画館」です。

「西郷隆盛と勝海舟の江戸城開城の談判」、「二条城における大政奉還」の絵など歴史の教科書に出てくるような絵画が沢山展示されています。
(ユニコーン像【一角獣】)
「聖徳記念絵画館」の正面に一対の大きなユニコーン(一角獣)が置かれています。

よく見ると一方が口を開け、もう一方が口を閉じており、神社の狛犬のようです。
これは「阿吽(あうん)」を示し、口を開いている狛犬を「阿形(あぎょう)」、口を閉じている狛犬を「吽形(んぎょう、又はうんぎょう)」と言いますが、「阿」が物事の始まり、「吽」が物事の終わりで、宇宙の始まりと終わりを表すと言われています。
ユニコーンが何故神宮外苑にあるのかですが、インターネットで調べると皇室の紋章という説(皇室の紋章は菊の御紋ですが、それ以外にユニコーンも紋章だという説)があるのですが、明確な根拠がなくよく分かりませんでした。
説明書きの看板があるといいのですが、残念ながら設置されていませんでした。
なお、私は小説をあまり読まないので知りませんでしたが、この神宮外苑近くに住んでいた村上春樹の小説(「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、短編「貧乏なお母さん」)にこのユニコーンが出てくるそうです。
(日本最古のアスファルト道路)
このユニコーン前のアスファルトの道路は、「車道用アスファルト舗装として最古のもの」という説明板がありました。

そのため当時のままで保存しており、写真のようにひび割れたままとなっています。

(渋谷川を遡ってみた)
前回のブログ記事で、外苑西通りに(正確には、外苑西通りのやや東側に)、昔、渋谷川が流れていたと書きました。
そこで、この渋谷川を少し上流に遡ってみました。上流には2つの支流があって、一つは新宿御苑からの支流、もう一つは玉川上水の支流(玉川上水余水吐)ですが、今回は玉川上水の支流跡をたどります。
JR中央線の土手下に玉川上水支流が通っていた跡があります。草で見えにくいのですが、レンガの壁のところです。

さらに上流に行くと、四谷警察署大京町交番があり、この交番は玉川上水支流跡に建っているのが分かります。

これより先は、四谷四丁目の「四谷大木戸跡」まで続きますが、今回はここまでとします。
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(明治維新に関する私見)
今年は明治150年ということで、明治神宮外苑を散策しているわけですが、明治は明治維新によって幕を開けました。
ということで、
明治維新に関する私の歴史観を述べたいと思います。
一般には、明治維新によって日本は後進的な封建社会から近代国家になったと肯定的に捉えられていますが、このような歴史観は薩長藩閥政府の勝者による偏った歴史観ではないかと私は思っています。
約260年もの平和な社会を築き、その平和の下で現在にまで続く庶民文化が花開き、当時の李氏朝鮮とも良好な関係を保っていた江戸幕府は明治政府の意思決定過程から排除されましたが、もし公武合体が成功し、江戸幕府が新政府の意思決定過程に関与できる体制になっていたならばもっと違った歴史になった可能性があったのではないかと思っています。
当時の国際情勢から考えて、日本は近隣国への植民地政策を取らざるを得なかったと思いますが、江戸幕府の持つ価値観が少しでも浸透していれば、拡大主義ではなくもっと自己抑制の効いた植民地政策になっていたかもしれませんし、今のアメリカとは比べ物にはならない力を有していた当時のスーパー超大国のアメリカと戦争をするという無謀な決断はしなかったかもしれません。
以上はあくまでも歴史の専門家でない者の私見ですので、ご異論があってもご容赦お願いします。
☆☆☆
(銀杏並木)
さて、本題に入ります。
神宮外苑の入り口である青山通りから300メートルに渡り樹齢100年を超える銀杏が4列に並んでいます。
秋の紅葉時期には、黄金色となった銀杏並木を見に来る人が多くいて大変混雑するのですが、今の時期は人も少なくのんびりと散策できます。
下の写真のように、緑のトンネルのようになった銀杏並木も美しいものです。

(お洒落カフェ)
ここで、お腹が空いてきたので、銀杏並木のそばにあるニューヨーク生まれのハンバーガー専門店「SHAKE SHACK(シェイクシャック)」に行きました。


ここの外苑いちょう並木店のシェイクシャックは日本一号店で、開店した当時は大変な評判を呼び長い行列ができていました。
当時は長蛇の列にうんざりして入らなかったのですが、今はだいぶ落ち着いてきて、並ばずに入ることができました。
(聖徳記念絵画館)
幕末から明治までの明治天皇の業績や事績を描いた絵画が展示されている「聖徳記念絵画館」です。

「西郷隆盛と勝海舟の江戸城開城の談判」、「二条城における大政奉還」の絵など歴史の教科書に出てくるような絵画が沢山展示されています。
(ユニコーン像【一角獣】)
「聖徳記念絵画館」の正面に一対の大きなユニコーン(一角獣)が置かれています。

よく見ると一方が口を開け、もう一方が口を閉じており、神社の狛犬のようです。
これは「阿吽(あうん)」を示し、口を開いている狛犬を「阿形(あぎょう)」、口を閉じている狛犬を「吽形(んぎょう、又はうんぎょう)」と言いますが、「阿」が物事の始まり、「吽」が物事の終わりで、宇宙の始まりと終わりを表すと言われています。
ユニコーンが何故神宮外苑にあるのかですが、インターネットで調べると皇室の紋章という説(皇室の紋章は菊の御紋ですが、それ以外にユニコーンも紋章だという説)があるのですが、明確な根拠がなくよく分かりませんでした。
説明書きの看板があるといいのですが、残念ながら設置されていませんでした。
なお、私は小説をあまり読まないので知りませんでしたが、この神宮外苑近くに住んでいた村上春樹の小説(「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、短編「貧乏なお母さん」)にこのユニコーンが出てくるそうです。
(日本最古のアスファルト道路)
このユニコーン前のアスファルトの道路は、「車道用アスファルト舗装として最古のもの」という説明板がありました。

そのため当時のままで保存しており、写真のようにひび割れたままとなっています。

(渋谷川を遡ってみた)
前回のブログ記事で、外苑西通りに(正確には、外苑西通りのやや東側に)、昔、渋谷川が流れていたと書きました。
そこで、この渋谷川を少し上流に遡ってみました。上流には2つの支流があって、一つは新宿御苑からの支流、もう一つは玉川上水の支流(玉川上水余水吐)ですが、今回は玉川上水の支流跡をたどります。
JR中央線の土手下に玉川上水支流が通っていた跡があります。草で見えにくいのですが、レンガの壁のところです。

さらに上流に行くと、四谷警察署大京町交番があり、この交番は玉川上水支流跡に建っているのが分かります。

これより先は、四谷四丁目の「四谷大木戸跡」まで続きますが、今回はここまでとします。
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