臼田坂と内川の源流~臼田坂散策(1):馬込文士村/馬込インターチェンジ/宗福寺
- 2021/01/27
- 09:24
今回は大田区馬込にある臼田坂を散策してみます。
臼田坂はあまり知られていない古道ですが、地形・歴史的に興味深い見どころのある坂で、
周辺地域は大正末期から昭和初期にかけて多くの文人や芸術家が住んでいたため、「馬込文士村」(注)と呼ばれています。
また、途中には、三島由紀夫、俳優の仲村トオルの自宅がある場所でもあります。
(注)このような文士村は、他にも阿佐ヶ谷(杉並区)、落合(新宿区)、田端(北区)にもありましたが、4キロ圏内で100人以上もの多くの文士が暮らしていた地域は馬込文士村だけだそうです。
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下の写真は、馬籠文士村に住んでいた文士の住居を示した地図です。川端康成、室生犀星、山本周五郎など錚々たる人たちが住んでいました。
(日本最初の立体交差:馬込駅から出発)
まず、都営地下鉄・馬込駅から出発します。
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下の写真は、馬込駅内にある地図を筆者が加工したものですが、環七、京浜第二国道、JR東海道新幹線・湘南新宿ライン、都営地下鉄などが複雑に交差するエリアになっています。
馬込駅のそばに、環七と京浜第二をつなぐ立体交差(インターチェンジ)がありますが、
これは昭和15年(1940年)に完成した「馬込インターチェンジ」で、日本で初めてできた立体交差です。当時としては、道路と道路を立体で結ぶというのは画期的な発想だったと思います。
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さらに、このエリアを大田区立郷土資料館にあるジオラマで見てみます。
(許可を得て撮影しました)
過去と現在の地形が入り混じっていますが、大変分かりやすいジオラマです。
中央にある細い道が、これから私たちがこれから歩く「臼田坂」になります。
「古道について(2):古道の特徴」で、古道は原則として尾根道であることを書きましたが、古道であるこの「臼田坂」も尾根道であることがよく分かります。
また、このジオラマから、台地を削って環状七号線を作ったこともよくわかります。現在は削られた台地に新馬込橋が架かっています。
下の写真は、環七から新馬込橋を見たものです。左右の台地はつながっていましたが、掘削し切通しの道(環七)が建設されました。
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(内川の源流)
上のジオラマに「内川」(うちかわ)が流れていますが、現在はほとんどが暗渠化されています。
下の写真は、馬込駅から内川方面を撮ったものですが、凹んだところが、内川が流れていた場所です。
内川は大田区内に源流があり、大田区内で海にそそぐという大田区内で完結する珍しい河川です。下の写真は、大森の河口付近にある「内川水門」です。
この近くに源流があるので行ってみましょう。
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暗渠化されていますが、河川跡であることがはっきりと分かります。
流路が直線になっているのは耕地整理などで人工的に流路を直線にしたためと考えられます。また、環七通りは盛り土をして内川を分断して作られました。
内川跡の奥に「旧内川源流」の碑が置かれていました。
しかし、地形的に見て、とてもここが源流とは考えられませんので、源流と思われるところまで行ってみます。
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先ほどの「臼田坂」に行き、『「荏原」の地名に思いを馳せる:地名の栄枯盛衰~西小山→荏原町散策(3)』で書いた東急・荏原町駅方向に歩いていくと、「宗福寺」があります(下の写真)。
下の写真は、「宗福寺」の裏手の坂道ですが、おそらくこの辺りが源流であったと思われます。水源はこの他にもあり、それらの水源から流れる支流が集まって内川になったと考えられます。
「宗福寺」には、下の写真のような池がありましたが、内川の源流を彷彿とさせます。
このように、河川の源流を簡単にたどれるのが東京散策の面白いところで、
「山手線で最も標高の高い地点を探索~新宿駅構内を散策(1)」で東京の山手地域はミニ山岳地帯だと書きましたが、まさにミニ山岳地帯だと感じます。
この記事では、「臼田坂」を中心に書いていきますが、ところどころに内川も織り交ぜていきます。
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次回も臼田坂、内川跡を散策します。
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