新宿駅の喧騒を離れた静寂に浸る~新宿で渋谷川の上流を歩く(1)
- 2021/01/02
- 08:49
新年明けましておめでとうございます。
昨年は新型コロナに翻弄された1年でした。
今年もまだまだ油断のできない状態が続くといます。また、世の中の仕組みや人々の考えに大きな変化が起きる年になると思われます。
このような中、どのような変化が起きるのか、また、変化の中でも変わらないものは何なのかを私なりに見極めていきたいと考えています。
本年もよろしくお願いいたします。
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さて、今回は新宿区に流れる渋谷川の上流―――「川」といっても、今では多くがアスファルトに覆われた暗渠(あんきょ)になっていますが、
この渋谷川の上流跡を辿りながら、
新宿の異なる側面を見ていきたいと思います。
※本記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。したがって、現在の様子と異なる可能性があります。
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今回の「新宿で渋谷川の上流を歩くシリーズ」で散策する近隣の散策記事としては次のシリーズがあります。
(参考記事1)新宿駅構内とその周辺の散策記事として、以下の4つのサブシリーズに分けて掲載した「新宿駅構内及び新宿駅周辺散策シリーズ」があります。
2回にわたって、山手線の一番高い地点や駅のホームにある謎の供養塔などを探索します。
4回にわたって、歌舞伎町など新宿駅の東口地域を散策します。
2回にわたって、バスタ新宿、新宿サザンテラスなどを散策します。
2回にわたって、西口広場や思い出横丁などを散策します。
(参考記事2)ゲイタウンとして知られる新宿2丁目界隈を散策し、江戸時代の遊郭からの継承としてゲイタウンがあることを書いた記事として、『「お寺」と「ゲイタウン」シリーズ』があります。
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(渋谷川について)
渋谷川は、数々の支流を集めて、新宿区・渋谷区を流れ、港区に入ってからは古川と名前を変えて東京湾にそそぐ川で、
上流部は多くが暗渠化されていますが、渋谷駅の南側で開口部を見ることができます(下の写真)。
大正5年(1916年)の地図によれば、現在の渋谷駅東口の広場がある場所には、渋谷川が流れ水車小屋がありました。
(出典:「明治大正凸凹地図」(実業之日本社。内田宗治著)103ページを筆者が加工)
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この渋谷川には、大きく分けて2つの支流があります。
① ひとつは、神宮外苑付近を流れていた渋谷川の上流部分で、この支流については、「神宮外苑を歩く(2):銀杏並木・聖徳記念絵画館・最古のアスファルト道」で記事を書き、
② もうひとつは、童謡・「春の小川」のモデルになった、代々木公園付近を流れていた渋谷川の上流部分(河骨川(こうほねがわ))で、この支流については、「渋谷散策(4):安倍総理邸宅/スイーツの激戦区/「春の小川」の碑」で記事を書いたことがあります。
下の写真は、その2つの支流を図示したものです。
(出典:『東京「暗渠」散歩』(洋泉社。本田創著)25ページを筆者が加工したもの)
今回は、①の神宮外苑付近を流れていた支流部分の源流があった、新宿駅近くにある「天龍寺」から歩いてみます。
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(天龍寺)
JR新宿駅東南口から徒歩5分の場所にある「天龍寺」です(新宿区新宿4-3-19)。
新宿駅周辺の喧騒とは全く異なる静寂さに驚かされます。
境内に入ると、「天龍寺の時の鐘」があります。
説明板には、「内藤新宿で夜通し遊興する人々を追い出す合図として『追出しの鐘』と呼ばれた」と書かれています。
「江戸時代には江戸四宿(千住宿、板橋宿、内藤新宿、品川宿)という非公認の遊郭で遊女が置かれている宿場町が4つあり、そのうちの一つが、現在の新宿2丁目界隈の「内藤新宿」でした」と書いたように、
当時の歓楽街であった「内藤新宿」の様子が想像されます。
現代に例えるならば、歌舞伎町などの歓楽街で遊んでいた人々が終電に間に追い立てられるように帰宅するような風景でしょうか。
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さて、この天龍寺は渋谷川の源流で、現在の墓地に当たる場所に池があり、ここから新宿御苑方向に川が流れていたそうです(写真奥の木々があるところが新宿御苑)。
墓地付近には、「水琴窟」や「井戸」があり今でも地下には豊富な水があることを窺わせます。
なお、この「天龍寺」の裏手には多くの簡易宿泊所があります。
独特な雰囲気のある場所で、戦後「旭町」と言われた頃に、青線街・ドヤ街のあったところだそうです。
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(新宿高校:玉川上水の石樋)
「天龍寺」を出て、甲州街道に戻ると「新宿高校」があり、
新宿高校の校内には「玉川上水の石樋」と「旭橋の親柱」があります。
事務室の受付で手続きをとれば構内に入ることができます(新型コロナのため、現在は入校できない可能性があります)。
下の写真が、手続きを済ませて撮影した「玉川上水の石樋」と「旭橋の親柱」の写真です。
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(玉川上水・内藤新宿分水散歩道)
新宿高校から「新宿御苑」に向かいます。
下の写真は、新宿御苑前に設置されている地図を筆者が加工したものですが、新宿御苑内に「新宿区」と「渋谷区」の区境があり、
この区境にほぼ沿って、新宿御苑内の池を水源とした川が現在でも流れています。
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新宿御苑脇の「内藤新宿分水散歩道」には下の写真のような、玉川上水を復元した水路がありますが、かつての玉川上水はもっと広く水量も多かったはずです。
この玉川上水の水は、上で述べた新宿御苑内を流れている渋谷川支流と新宿御苑の東側で合流します。
江戸時代の玉川上水と比べると小規模な水路ですが、この散歩道は緑が多く気持ちよく歩くことができます。
下の写真は、『「お寺」と「ゲイタウン」~新宿2丁目散策(2)』で掲載した、この界隈の江戸時代のジオラマですが、玉川上水が流れていた様子も描かれています。
(出典:新宿歴史博物館。写真撮影は許可されています)
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次回は、四谷大木戸付近まで散策し、玉川上水跡がはっきりと残る遺構を歩いてみます。
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